2013年11月15日金曜日

国盗り物語(四)織田信長 後編

光秀は義昭を伴って越前・浅倉へ。
京に近い譜代大名として期待。
しかし、浅倉当主は凡庸。
がっかりの義昭。

室町幕府再興を目指し、最終に頼ったのは信長。
光秀は気が進まない。
しかし、三好・松永を抑えるためには仕方なし。
幕臣でありながら、信長に取り立てられる光秀。
胸中、立場ともに複雑。

天下布武。
信長の力で足利再興。
しかし、すぐに義昭は信長を疎んじはじめる。
かくして、義昭が暗躍し、信長包囲網。

信長は浅倉攻め。
疾風怒濤。
しかし浅井の裏切り。
信長遁走。
秀吉が殿。
家康はこのころは、まだ律義者だった。
光秀とともに秀吉を助ける。

そして姉川の戦い。
こちらでも家康の活躍。
形勢逆転。
しかし殲滅はせず。

その後も伊勢・本願寺などに対応。
またも浅倉浅井勢が出てくる。
にらみ合いで、いつしか冬。
信長は光秀を使って、義昭に仲裁人をさせる。

信長は叡山を焼く暴挙へ。
光秀は諌止を試みる。
「木とカネを焼くだけだ」
信長は超現実主義者。
霊魂など信じない。
このころの叡山は腐敗しきっていた。
しかし、根こそぎの虐殺。
光秀は目を背けるしかない。

光秀は坂本に築城。
おそろしい早さ。
ここでも光秀の才能は光る。

とうとう信玄が動く。
ゆるゆると。
家康にまかせるしかない。
信玄は、家康を無視。
目の前を通り過ぎようとした。
家康憤慨。
「武士の名折れ」と出陣。
三方ヶ原でコテンパン。
そのまま信玄は西上。
…と思いきや伊那で客死。
信長は奇跡的に助かった、としか言いようがない。

信長包囲網は崩れた。
外敵が去れば内。
佐久間親子や荒木村重。
譜代も新参の別なく粛清。
道具は使い道がなくなれば捨てられる。
光秀は危機感を募らせていく。

秀吉の中国攻めがピーク。
信長に助けを乞う。
要は信長にごますり。
光秀にも出陣命令。
出陣前夜、出雲・石見を拝領。
しかし、いままでの領地を没収。
要は、自分で山陰を切り取れということ。
寝耳に水の仕打ち。
とうとう光秀は叛旗を翻す。

本能寺のあと、光秀に勝算も賞賛もない。
哀しいほどの孤独。
最後は土民の槍に倒れる。
*   *   *
超現実主義の信長は、家臣さえも道具として考えた。
使えればひからびるほどに使い倒し、用途がなくなればポイ捨て。
非情だが、革新的に世の中を変えていった。
司馬さんは信長を“革命者”だと言っていた。

「是非に及ばず」
この信長の諦観を、司馬さんなりに分析している。
まぁ、誰でも疑問に思い、世の歴史家ならいろいろな形で研究し尽くされたセリフ。
でも、なお神秘的な響きを持つのは、信長が神秘的でもあったからだろう。

道三の弟子たちが、半ば力を合わせ国盗りを行った。
古きを重んじた光秀。
新しきを重んじた信長。
最後の最後でふたりは、相容れることができなかった。
時代は信長に追いついては来なかった。
ふと楊令伝を思い出す。
始皇帝も然り。

本能寺後の光秀の没落ぶりは、それ以前の光秀とは別人のようにみじめだ。
信長を討たなければどうなっていたか…と、考えずにはいられない。

時代の接ぎ穂は、光秀ではなく秀吉が選ばれた。