2015年8月20日木曜日

新書太閤記(全一冊合本版)読了

いや~読み終わるのに、思った以上に時間がかかってしまった。
本を読む集中力が減ってしまったのかなぁ。
*   *   *
清洲会議の後、敵対する秀吉と勝家。
甥っ子の失態で柴田勝家は劣勢。
滅ぶ。

織田次男信雄は家康を頼る。
小牧・長久手の戦い。
池田恒興が奇策で一気に岡崎へ。
しかし途中でバレ討死。
膠着状態。
しかし秀吉は信雄を丸め込み和睦。
ほぼ無条件で。

そして紀州へ。
さらに四国へ。
そして北陸の佐々成政討伐。
ついでといっちゃなんだが上杉の春日山へ顔出し。
そこでは三成と直江が意気投合。

信州は徳川が、上州は北条が。
真田「沼田を渡せん!」
徳川が“かんが川”まで出るが返り討ち。
次男・幸村が活躍。
アレ? 信幸の存在は?

岡崎城代の石川数正。
三河と大坂の間を取り持つも、風当たり強し。
たまらず夜逃げ。
家康「身の不徳かな」
災い転じて軍政改革。
武田流を取り入れる。

大坂から再三上洛要請。
うんざりの家康。
十回以上の最速にキレる。
秀吉「あの徳川殿がな、おもしろい。おもしろい」
大奥に去るその姿は、背の小さなサルではなく、春の潮に去る巨鯨のごとし…。
*   *   *
この後の秀吉を吉川英治は描いていない。
貧相で猿のような日吉は、絢爛な巨鯨の豊臣秀吉に登りつめた。
それは、文字通り日本のサクセスストーリーだ。
この間、三谷幸喜監督の「清須会議」を観た。
大泉洋扮する秀吉はとても小気味良かった。
その秀吉が利家に「これからの戦乱を沈めるのは親父殿(勝家)でない!…」というシーンがあった。
秀吉は長き戦国の世を、民のために平安に導いた。
その意志の根底には、貧しい民への想いがあったのだと思いたい。