2010年12月30日木曜日

宮尾本 平家物語(玄武)

都落ちを決行した平家。
ひとまず、一時都となった福原へ。
そして、西国に味方を求める。
その一門でも、袂を別つ人々が。
頼盛は、母・宗子が頼朝を救ったことで、東国に囲われる。

一方、難なく入洛を果たした義仲。
はじめはよかったが、木曽育ちの粗野な振る舞いが目立つ。
法皇はじめ、公家方と溝が深まる。
とうとう敵対同士に。
法皇方は頼朝に泣きつく。
頼朝は、弟たちを京へ派遣。
範頼を大将、それを補佐する形で義経。
入洛前に兵を分け、主力範頼軍は大手・坂本方面から。
義経率いる搦手軍は、伊賀方面から寄せる。
主力がもたつく間に、義経軍は難なく入洛。
ビビった義仲は大した抵抗もなく落ちる。
これを鎌倉軍は素早く追討。
義仲は覚悟を決め反撃したが討たれてしまった。
義経をいたく気に入った法皇。
流れで平氏討伐の命を下す。

平氏は瀬戸内海を漂い太宰府まで。
西国の勢力をまとめたいが、なかなか集まらない。
それでも、徐々に勢力を盛り返す。
皮肉にも、法皇と木曽勢の争いに時間をもらった形だ。
そして、四国・屋島(現高松市)に仮の御所を建てる。
さらに、海を隔てた一ノ谷で軍備を整える。
天然の要害である一ノ谷。
ここで東国軍を迎え撃とうと考えた。

前は海、後ろは絶壁の一ノ谷。
義経は、あの有名な鵯越で後方から、まさかの攻撃。
結果、主力と挟撃する形となる。
油断していた平氏軍は散り散りに。
主だった平家の男たちが消えていく。

義経は得意満面で京へ帰洛。
法皇も大喜びだ。
こうなるとやっぱり出てくるのが、義経を快く思わぬ輩。
鎌倉の頼朝に、あることないことチクる。
怒った頼朝は、義経の鎮西大将を範頼にまかせる。
しかし、義経のようにはうまくいかない。
結果、平家の息を吹き替えさせる結果に。
結局、法皇が義経を派遣する形。

当の平氏軍は屋島に戻る。
そこを、またも義経が奇策を弄す。
まず熊野水軍を味方に引き入れる。
そして四国・屋島の反対側、阿波国・勝浦に上陸。
これまた、屋島を海と陸とで挟撃。
しかし、少数だった義経軍は苦戦を強いられる。
休戦となり、平氏が挑発して女乗りの舟の先に扇を立てて挑発。
これを那須与一が受け、見事に射た。
…というのは有名な話。
結局、平氏は義経にまたも追い落とされる。

そして、壇ノ浦へ。
孤立した平氏は彦島に。
しかし、水上の戦いに慣れている。
対する源氏は、水上には慣れず苦戦を強いられる。
しかし、義経の調略により阿波重能が寝返る。
これにより、水軍の形勢が逆転。
とうとう、主だった平家の人々は入水してしまった。

意気揚々と都へ帰った義経。
京では大賛辞の嵐。
これで兄・頼朝もねぎらってくれるだろう。
そう信じて疑わなかった。
しかし鎌倉では、例の快く思わない輩たちが暗躍。
頼朝も、今回は命令違反して出征した義経に激怒していた。
そんなことは露知らず。
義経は意気軒昂と平氏の総大将・宗盛を伴って、いざ鎌倉へ。
しかし、義経はとうとう鎌倉へは入れず。
とうとう、義経は叛旗を翻す決意をする。

宗盛は宗盛で、最後まで命乞い。
いったんは京へ帰れると喜んだのも束の間。
なんの因果か、頼朝、義経の父・源義朝が討たれた地で首討たれる。

義経は京で寡兵。
しかし鎌倉の威勢と度重なる戦で、兵は集まらない。
そうこうしているうちに、鎌倉の威圧にとうとう法皇が義経討伐の院宣を降す。
義経は数年逃げ回り平泉へ。
そこで、平泉ともども最後を遂げることになる。

平氏の血は途絶えたのか。
さにあらず。
入水した安徳天皇と入れ替わっていたのは守貞親王。
入れ替わった守貞親王(安徳天皇)は平氏の血を皇統に残す。
これが二位尼時子の、最後の機転だったのだと…。
*  *  *
最後の安徳天皇と守貞親王が入れ替わったクダリは、本当かどうか分からない。
とにかく、宮尾本 平家物語は女性目線が多かったので、自分として取っ付きにくかった。…ので半分も理解できなかったかもしれない。女房たちの葛藤や、当時の女性の悲哀がとても、克明に描かれていたとは思う。
どうしても気になるのは、平時子が天叢雲剣を帯して本当に入水してしまったのかだ。熱田神宮にあるのが本物か否か。今では歴史のみぞ知るところ。

2010年12月13日月曜日

宮尾本 平家物語(朱雀)

ほとんど、なし崩しに福原へ都を移す。
清盛は何を思うのか。
しかし、多くの者がこの遷都に反対。
正室・時子が意を決して諌言する。
清盛は、空ろな目で外の海を見るだけだった。

そのころ文覚という僧が、伊豆の頼朝のもとに。
蜂起するように勧める。
頼朝渋る。
文覚、法皇の院宣をいただき速攻で帰ってくる。
これにより頼朝は決起。
いったんは蹴散らされ敗走。
しかし、頼朝蜂起を聞きつけた東国武士。
雲霞のごとく頼朝の元に集まりはじめる。
その数、数万。
とうとう、富士川を挟んで平家率いる西軍と対峙する。

大会戦の予感をはらみつつ、対峙は数日続いた。
平家方は軍紀が緩み、夜は飲めや歌えの騒ぎに。
双方、明朝、相見える約束を交わす。
その夜、水鳥が一気に騒ぎ飛びたった。
ビビる西軍。
戦わずして逃げる。

これを聞いた清盛は激怒。
逃げ帰った将軍・平維盛に処刑を言い渡す。
しかし、その後、どういうわけか出世させる。
自分と似た境遇の維盛に同情したものか…。

日和見の武家たちは、源氏のもとへ。
次々と平家に対して蜂起。
それは膝元近い古都奈良でも。
それを鎮圧するため焼き討ちの暴挙。
興福寺をはじめ、東大寺大仏殿までも焼き払う。

これがたたったかのか、清盛発病。
その苦しみようは、地獄でもがき苦しむようだ。
そして、わずか一週間ほどで亡くなってしまう。
時子、恨むは頼朝。
「わが墓前に、頼朝の首を供えよ」
と、遺言を操作する。
清盛相国入道入寂後、そうそうに源氏討伐へと動き出す平家。

一方、木曽義仲は、以仁王の乱のとき綸旨を受けていた。
義仲は、従兄弟で嫡流の頼朝に気を使いながらも、信濃で蜂起。
越後の城氏と、依田のあたりで相まみえる。
敵数万に対し、こちらは数千。
そこで奇略を用いる。
味方数千を七手にわけ山々へ。
赤旗(平家旗)を立てさせた。
敵が油断した隙に、七手が一手に集まり白旗(源氏旗)が立つ。
ビビる城氏は、敵が数万にも見えたとか。
それを難なく掃討。
この戦いが義仲は有名にする。

宗盛は、富士川で失敗している維盛をまた大将に。
名誉挽回の場を与えたものか。
平氏軍は北陸に発向。
追いつめ籠城する義仲軍。
ここで、またも奇策で谷へ追い落とされ。
維盛率いる平氏軍は、散々に敗れ敗走。

こうなると義仲軍の勢いは止まらない。
平氏は、いつ源氏軍が京へ流れ込んでくるかヒヤヒヤだ。
詮議の結果、主上と三種の神器を持って都落ちし、西へ逃げる決意をする。
*   *   *
平氏は、清盛が亡くなる前後から没落しはじめる。後白河法皇にうとまれていただけで、ひどい専横政治をしたわけじゃない。源氏との確執も、今で言えば自民党と民主党の確執のようなもので、どっちが善悪というわけではない。
でも歴史のイメージというものは、勝者が都合よく書き換える。
なんとなく源氏のほうにかたよりがちだったが、これを読んで、自分のなかで少しだけ平家への認識が改まってきたようだ。

2010年11月10日水曜日

宮尾本 平家物語(白虎)

平氏のバックアップで、滋子入内。
後白河上皇そば仕え、その美貌でたちまち寵を受ける。
清盛はイライラしながらも傍観するしかない。
…といった感じで、天皇との姻戚関係を濃くしていく。
平氏はメキメキと頭角をあらわしてゆく。
そして、ついに娘・徳子の入内が決定。

清盛は太政大臣まで上り詰める。
だが、わずか三ヵ月で引退。
そして出家。
清盛、よる年波は六十近く。
平氏一門は嫡男・重盛が仕切る形。
兄弟で左右大臣となる。
平家の威勢は頂点へ。

こうなるとやはり、嫉妬する輩が出てくる。
鹿谷で謀議が謀られている、という密告。
その頂点には、何と後白河法皇の影が。
主上に親近感が持っていた清盛。
寝耳に水の出来事。
激怒。
断罪。
島流し。
とうとう法皇も軟禁状態へ。
そして、嫡男・重盛の死。

そんななか、源頼政という人。
この人、温厚で長老的存在。
清盛も一目を置いていた。
ひょんなことから、駿馬のやりとりでひと悶着。
それがもとで、以仁王の乱にまで発展。
これも、なんとか平定した清盛。

清盛の庇護を受けていた常盤。
しかし、哀れだけでつながった関係は長くは続かず。
払い下げのように藤原長成に嫁ぐ。
長成は、源義朝の忘れ形見である牛若を引き取る。
が、やんちゃな牛若は弟に大けがさせてしまう。
心苦しく思った常盤は、牛若は鞍馬寺へ。
そこでも暴れん坊。
あるとき、源氏の系図を発見。
自分が源氏の嫡流であることを発見。
源氏を再興する夢を抱き、身震いする牛若。
思いめぐらし、東北に目を向けはじめる。
そんななか集まった仲間とともに奥州へと旅立つ。

度重なる、平家への軋轢。
さらに、信仰する厳島神社の託宣により、遷都を決意。
自分が住み慣れている福原へ都を移す。
*   *   *
重盛の死によって、少しずつずれはじめる清盛。
そんななか義経が登場。
正直ここまでの展開が退屈だっただけに、今後の展開に期待。

2010年10月13日水曜日

宮尾本 平家物語(青龍)

再来年の大河ドラマの主人公は、平清盛だそうな。
それを知ったミーハーなオイラは、この本に飛びついたわけで…。
*  *  *
平氏の嫡男・清盛は八歳になった。
母・鶴羽は小さいころ亡くなっている。
物心つく前は、母の姉?・祇園女御の猷子(養子)として育つ。
その後、父・忠盛にかえされた。
久しぶりに祇園女御に会った清盛。
祇園女御のお供で、天皇の花見についていく。
そこで美しい人に出会う。
それは祇園女御もうひとりの猷子、待賢門院・璋子だった。

清盛十八歳。
父の親友・為忠に呼び出される。
そこで母の秘密を知る。
ときの天皇は白河院から鳥羽院へ。
天皇家は複雑怪奇。
上皇だの法皇だの。
女院の派閥も複雑で超難解。
とにかくドロドロした世界。
簡単に当時の権勢の流れを覚書すると、
天皇は白河—堀河—鳥羽—崇徳。
女院は祇園女御—璋子—得子。
といったところ。
白河院は死ぬまで権勢をふるい、手当り次第女に手をつけた。
そんなひとりが実は清盛の母・鶴羽だったのだ。

さらに清盛は母を知るという女と会う。
そこで知らされたのは、さらなる衝撃の事実だった。

それからの清盛は生まれ変わったようだ。
文武に精を出すようになる。
しばらくして清盛は、高階家の結井と結婚。
当時では珍しい恋愛結婚だ。
清盛は結井に、亡き母の面影を見たのか。
清盛は、結井との間に二男をもうけた。
しかし結井は、産後の肥立ち悪く、帰らぬ人に。
清盛、しばらく荒れる。

清盛は平時信と馬が合い、邸へよく出入りしていた。
賭け事はこの当時、双六か碁ぐらい。
時信邸は、そんな碁を囲む集会場と化していた。
そこで時子と出会う。
清盛は時子と結婚。

異母弟の家盛。
天皇熊野詣随行中の帰りに発作を起こし死亡。
忠盛としては、実の息子だっただ。
それに落胆したのか、数年後亡くなってしまう。
名実ともに、平家の頭領となった清盛。

そんななか、殿上に暗い影が。
崇徳上皇と後白河天皇の間に亀裂。
保元の乱が起こる。
清盛はじめ、源義朝などが後白河天皇方に。
武士団は、親兄弟で骨肉の争いとなってしまう。
結局、後白河側が勝利。
崇徳上皇についた、清盛の叔父や義朝の父弟。
それらを、血筋自ら誅殺しなければならなかった。
この過酷な命令を出したのは、信西という宰相。
のち、後白河側で手腕をふるうようになる。
論功行賞では平氏は格別な恩賞を賜る。
しかし、源義朝はじめ源氏は不満の残る結果となった。

時子には腹違いの妹が。
滋子というが、ときどき遊びにきていた。
それを見た清盛。
亡き待賢門院を思い出し思い焦がれる。
それほど滋子は美しかった。
しかし、すでに天皇の側に行くことが決まっていた。

後白河天皇は早々に退き上皇に。
ここに二条天皇が即位。
そんなころ、上皇に取り入ったのは藤原信頼。
どうして気に入られたのか?
ブサイクで太ってるし。
しかし後白河上皇から寵愛を受けていた。
この人が目の敵にしたのが信西だった。
信頼は、これまた同じ不満を持つ、源義朝を味方に。
挙兵の機会をうかがっていた。
彼らにとって平氏は、目のうえのコブ。
そんな平氏が熊野詣でに。
「チャ〜ンス」とばかり、義朝方は兵を挙げる。
平治の乱が勃発。
びっくりしたのは信西。
落ち延びた先で観念したか、自身を生き埋めにする。
のちに見つかり、首を切られてします。

清盛はこれを聞き、一時は四国へ回る消極論も出した。
しかし郎党著しく、「とって還すべし」。
六波羅へもどる。
信頼をうまくだまくらかして、天皇たちを六波羅へ脱出させる。
これで思う存分戦える。
平氏は勢いづいている。
源義朝の長男“悪源太”義平はの矢の威力はすごかったらしい。
初陣の三男・頼朝は当時十三歳だが、よく戦った。
しかし、平氏の兵力が勝っていた。

義朝以下、北へと落ちてゆく。
途中、再起を誓い合って散り散りに。
義朝は、頼った味方に裏切られ殺される。
義平は清盛暗殺を企んで、京へ戻る。
しかし、見つかり六条河原でさらし首となる。
頼朝もつかまるが、この人は運がよかったのか。
平宗清に捕まるのだが、亡くなった息子に似ていたらしい。
清盛にうまく理由をつけて、助命嘆願を願った。
これにより頼朝は、一命を取り止め伊豆へ配流となる。
そして、清盛は従三位に昇り、悲願の公卿に列せられる。
*  *  *
とかく平家、とくに平清盛のイメージはいいとは言えない。ここに出てくる清盛は、お上に翻弄される男。この時代の武士は、階級が下だし、宮仕えは今のサラリーマンのようだ。
それと、作者が女性だから、女院の様子が細かく描写されている。その様子はドロドロしていて、はっきり言って読むのがつらい。これが続くと思うと少々萎える。反面ゴシップ記事を読むような感覚もあって、この平安の女院の様子は、江戸の大奥、現代の芸能界に通じるものもあるのかなぁ、なんて思ったりもした。

2010年10月1日金曜日

永遠の0

今年始めのことだ。
いつも入力仕事をお願いしている方のメール。
そこには、珍しくこの本に感動したことがつづられていた。
それから、オイラのなかに、この本の存在がくすぶっていた。

“坂の上の雲”以降の歴史を知ること。
それは、太平洋戦争を知るということ。
テレビで池上彰さんが、口酸っぱく言っていた。
「今の日本人は、太平洋戦争以降の歴史を勉強していない」
「それを知れば、今の日本が見えてくる」と。

山㟢豊子さんの著書も読んでみたい。
でも敷居が高いなぁ。

先日本屋へ行くと、なんとこの本がベストセラーとして紹介されている。
もともと、“○△第1位”みたいな文句に弱い。
それがスイッチとなって、読むことを決意。
*   *   *
主人公は、姉のすすめで祖父のことを調べはじめる。
祖父を知る人を訪ねインタビュー。
そこで聞いた祖父・宮部久蔵は、“臆病者”だった。

調査を挫折しそうになったが、さらに調べていく。
生き残った“戦友”の証言。
それは、宮部がただの“臆病者”ではないこと。
それを少しずつ、明らかにしていくものだった。

日中戦争以来の歴戦のパイロット。
結婚し、娘が生まれた。
妻との約束を守るため、宮部は“臆病者”になった。
当時、そんな考えを持った者は少ないと思われた。
しかし、それは大きな間違いだ。
誰でも、当たり前に生への執着はある。
それを上層部は“弾圧”していった。
そして“特攻”だ。
それでも宮部は、“勇気ある臆病者”でありつづけた。

真珠湾。
ラバウル。
ガダルカナル。
フィリピン。
そして、九州へ。

特攻が、当たり前のように毎日飛んでいく。
終戦の四日前。
鹿児島・鹿屋飛行場。
特攻隊のなかに、宮部の姿があった…。
*   *   *
これ、涙なしで読めるのか!?
これが著者のデビュー作だというから、さらに驚く。
著者の百田さんは、もともと構成作家ということで、“書く”ということに慣れていらっしゃるとは思うが、デビュー作で太平洋戦争を題材にすることは、かなり勇気がいったと思われる。
だから、なおさら姿勢を正す気持ちだった。

もし、この感想を読んでいる方がいらっしゃったら、陳腐なセリフだけれど“だまされたと思って”、この本を読んでもらいたい。
身近にいる、あるいは“いた”、おじいさん、おばあさんの物語として。

2010年9月21日火曜日

武田信玄(山)

とうとう信玄は海へ到達した。
水軍も手に入れた。
北条との競り合いも終息。
氏政は上杉と手を切り、武田と対立することをやめる。
甲相同盟が修復した。
感慨も一入ながら、目は西へ。
京への道をどうつけるかだ。

信玄は、信長包囲網を確立するため動き出す。
ひとつは本願寺との絆を強くすること。
ひとつは伊勢水軍を味方に引き入れること。
この大任に、近習である真田昌幸が抜擢される。

昌幸は本願寺方面へ。
本願寺重臣と信玄の娘との結納を決めようとする。
しかし、徳川から横やり。
なかなか思うように進まない。

そうこうしているうちに信長が不穏な動き。
叡山を攻めるというのだ。
信玄の急命を受け、昌幸は叡山へ。
天台座主はじめ高僧を逃がすためだ。
叡山は別天地のようだ。
厳しい戒律はすでにない。
ふつうに女子どもの声がする。
そんな乱れた様子に辟易する昌幸。
それでも、助け出した高僧たちを古府中へ。

さらに昌幸は叡山から大和へ。
これも信玄の命で、松永久秀に会う。
盛大な饗応。
久秀の人となりを見定める昌幸。
たいした人物ではない。
しかし、多大なコネクションは利用できそうだ。
そうこうしているうちに伊勢水軍との盟約がなる。
本願寺のほうもメドがたちそうだ。

信長は、北関東にくちばしをはさむ。
信長は、少しでも信玄の西上を遅らせたい。
…ということで、佐竹と小野を小競り合いさせる。
後ろ盾にそれぞれ、上杉謙信と北条氏政。
北条は武田方に応援を要請。
バカバカしいとは思っても同盟だ。
武田方は東上州に兵を出す。
信玄は焦っていた。
こんなところでグズグズしたくない。
経験上、越軍と対峙すれば長対陣だ。
それは謙信も分かっていた。
赤城の麓で軽く会戦し、双方さっさと退いてゆく。

信玄の西上作戦は、石橋を叩くようだ。
飛騨の江馬氏は父と子で反目し合っていた。
父は武田方に、息子は上杉方。
父はそれをひた隠し。
信玄はそれを確かめるため、木曽衆を送り込む。
信玄にはもう一つ目論みがあった。
飛騨の豊富な鉱山を調査することだった。
江馬息子が申し開きをに来ることに。
その間、鉱山を調べさせる。
どうも息子は来ない。
業を煮やした武田方は息子の居城へ。
しかし横やりが入り、真偽を確かめられず。
横やりは、どうも織田方の差し金。

信玄は具合が悪い。
とうとう起き上がれないまでに。
さすがの信玄も、勝頼を跡を取らせることを考え始める。
そんなとき、江馬氏から貢ぎ物。
そのなかに栃餅が。
飛騨では栃餅の蜂蜜煮が滋養に効くという。
侍医に内緒で、山県昌景がそれを試そうと考える。
里美の方が協力。
信玄はそれを食べ、みるみる回復していく。

起死回生の信玄。
とうとう西上の途につく。
家康の予想を裏切り、伊那から南下進軍。
遠江の二俣城に楔を打ち込む。
ここを抑えれば、他の城にも潰しがきくからだ。
周辺豪族は武田になびいていった。

遠江を抑えた信玄。
これからどうするか軍議が開かれる。
ひとつは、家康のいる浜松城を囲むこと。
もうひとつは、無視して先を急ぐこと。
なかなか決まらない。
そんなとき、三つ目を提案したのは真田昌幸。
“浜松城を囲む”と見せかけて、三ヶ方原へ転進。
“低地へ降りて野営”と見せかけて、三ヶ方原へまたまた転進。
徳川方をおびき出し、迎え撃つ作戦だ。
信玄はこの作戦を採る。

おびただしい物見が、双方から出された。
徳川方も籠城か、討って出るかで意見が割れていた。
そんなとき、物見の情報から、昌幸の計略はばれてしまう。
しかし、どっちにしろ多勢に無勢。
家康は罠と知りながら、討って出る考えに傾いていた。
一方、武田方の物見の情報。
こちらでも、敵が作戦に気づきつつあることを察知。
軍議が開かれる。
馬場美濃が「どっちにしろ、あとはタイミングだろ」
ということで、“低地からの転進”を重要視。
信玄や宿老たちの脳裏には、あの川中島が甦っていた。

武田の軍列は粛々としていた。
祝田の窪地から、三方ヶ原の台地に素早く引き返す。
結果的には、徳川方が武田の策に引っかかった形。
こうなるともう、武田方の一方的な戦いとなる。
織田方の加勢も、ほとんど役立たず。
徳川軍は総崩れとなり、一散に退却。
武田軍は、即追撃にうつる。
しかし、家康は浜松城に逃げおおせた。

本来なら、このまま西上を続けるはずだった。
しかし、信玄の寿命は迫っていた。
信玄は天命を知る。
勝頼を総大将に、西上を続けること。
しかし信玄を労って、家臣たちは偽って伊那谷へ戻る。
その途上、とうとう巨星堕つ。
遺言により、喪を三年間秘す。
それまでに国内を立て直すことを厳命していた。
しかし三年後には、あの長篠の戦いが開かれるのだ。
*   *   *
昌幸父ちゃんは、信玄の近習として頭角をあらわしていった。三方ヶ原の戦いの作戦を立案したのが、昌幸だったというエピソードは興味深い。信玄を戦の師匠として、間近に見ていたことは、彼にとって大きい。真田昌幸の戦上手はここから来ていて、後々、徳川方を苦しめることになるのだね。
江馬の栃餅のエピソードも興味深かった。これって“信玄餅”の由来? とも思ったが、安倍川餅が起源という説もあるようだね。
最後のクダリは諸説あって、オイラなんかは映画“影武者”を連想したりするけど…。
信玄の最大の夢は、ついに叶えられなかった。一代で築きあげた広大な領地も、後の勝頼の代で、ほぼ一瞬にして潰えてしまった。まさに戦国の世の儚さ。天下無双の信玄も労咳という“内なる敵”には勝てなかった。

2010年9月3日金曜日

武田信玄(火)

信濃の平定は、ほぼ成った。
帰還した信玄に、北条から使者が。
「この機を逃さず、協力して関東へ」
助勢を願いたいというのだ。
信玄はまた具合が悪い。
影武者を仕立て、次弟・信廉を大将に碓氷峠を越えさせる。

そんな折、駿河にいる父・信虎から使いが。
使者は、あかねという女忍者だった。
信虎は、息子・信玄に上洛の夢を託していた。
そんなことは百も承知の信玄。
こっちにはこっちの都合がある。
しかし、間もなく信虎は、京都へ落ち延びることに。
そのことを告げたあかねは、そのまま信玄の側女に。

一方、碓氷峠を越えた甲信軍。
若い領主・長野業成。
それを団結して守る宿将たち。
そのなかには、あの上泉伊勢守秀綱の姿も。
とりあえず、そこは無視して松山城を攻める。
籠城の敵に信廉はモグラ戦法。
しかし、穴が開く前に、敵は北条と和議を結んでしまう。
くたびれもうけ。

信玄は志摩の湯で湯治。
虎視眈々と、義元亡き駿河・今川領をねらう。
しかし、躑躅ヶ崎館では不穏な動きが。
嫡男・義信が正室の於津禰は今川氏実の妹。
義信は今川に傾倒していた。
信玄は親子サシで話し合う。
しかし、考えは平行線をだどる。
義信は、お守役の飯富兵部と密会を重ねる。
とうとう義信に乞われ、飯富兵部単独という形でクーデター。
しかし、兵部は心からそれを望んではいなかった。
信玄と義信の板挟みとなってしまったのだ。
弟・三郎兵衛にそれとなく計画を告げる兵部。
三郎兵衛は、いまや信玄の右腕的存在だった。
次の日、志摩の湯が囲まれるが、もともと本気ではない。
クーデターは失敗に終り、飯富兵部は自刃する。
義信は謹慎となる。

勝頼が結婚。
相手は、織田信長の養女・雪姫。
信玄は喜び、祝言に出ようと考える。
そんな矢先、上州箕輪城包囲網が苦戦。
信玄は諏訪までやってきたが、古府中にとって返す。

箕輪城陥落まであと少し。
信玄は、ここで勝頼を初陣させる。
城主・長野業成はまだ若い。
宿老のなかには、新陰流の祖・上泉秀綱がいた。
信玄は軍議で勝頼に献策させ、先陣の大将をまかせる。
搦手に力点を集中。
わざと退いて、敵を城外に誘い出し、逆寄せして叩く。
箕輪城は落城。
ほとんどの敵の家臣を安堵。
上泉秀綱は、のちに浪人して去る。

織田信長が、足利義昭を奉じて上洛。
信玄は、信長をうらやましい。
そんななか、義信が妻と離婚するという。
今川方は、それをあっさりと了承。
怪しい。
先手を打って、義信の謹慎先を寺へ移す。
義信と妻・於津禰の間には子がなかった。
しかし、夫婦の仲は良かった。
ひとりぼっちになった義信。
さみしさがたたったのか、病に伏し帰らぬ人となる。

氏実の暗愚な行動に怒ったのか。
信玄は駿河進攻を着々と進める。
徳川家康と通じて、挟み撃ちにする計画。
徳川方には、遠江を分割することを約束。
今川攻略はサクサクと進む。
氏実は、城を捨てて掛川へと落ちる。
掛川城はよく守り、ここで膠着状態に。

徳川方は、遠江を攻め上がっていた。
なぜかその後ろから、飯田・伊那衆が攻撃を仕掛けてくる。
怒った家康。信玄に抗議。
「こちらの手違いだ。こういうこともあるよ」
と信玄は、事も無げ。
さらに怒った家康。
北条と手を組む。
挟撃された武田勢。
浅間(せんげん)神社に楔を打ち込み、風のように撤退。
今川領にある安倍金山を査収。
これで金に困らない。
とりあえずの目的を果たされた。

北条が敵対するとは思っていなかった信玄。
こらしめのため、示威行動を起こす。
駿河へ進攻すると見せて、小田原城を囲む。
ビビる北条。
「このぐらいで勘弁してやらぁ」
北条に脅威のタネを植え付ける。

帰還すると三条の方が病に伏していた。
労咳だった。
久しぶりに三条氏の局に。
三条氏は半年後に亡くなってしまう。

北条に釘を刺した信玄。
今度こそ、駿府城へ進攻。
手前の蒲原城が抵抗。
しかし、勝頼と亡き弟・信繁の息子・信豊が活躍。
これを落とし、駿府へと入る。
*   *   *
武田の血は、肉親を争わせるのか、嫡男・義信との意見が相違し、以前、信虎を追放したように、今度は自分が追い出されるところだったが、家臣たちは信玄に付き従っていた。
信長と労咳に追い立てられるように、信玄は上洛の道をつけるため、東海への戦いに明け暮れていく。

2010年9月2日木曜日

絵で見る十字軍物語

十字軍といえばジハード。
ジハードといえばサラディン。
サラディンと戦ったリチャード獅子心王[ライオン・ハーテッド]。
…ここらへんの物語がどう描かれるのか、個人的に興味がある。

この本は序章。
ギュスターブ・ドレの絵の場面を時系列に並べて、その解説が地図とともに載せられている。
この絵が、本編でキーポイントになっていくと思われる。
そのドレが描いていない、第六次十字軍のことも気になる。
とにかく本編が楽しみ。

2010年8月19日木曜日

武田信玄(林)

長男・義信と今川の姫が結婚。
今川との関係を堅くする。

野駈けの途中立ち寄った娘・恵理が気に入った。
即、輿入れ。

間もなく、満を持して東信濃を蹂躙していく晴信。
村上義清は越後を頼り、落ち延びてゆく。
坂城から川中島にある小城を落としてゆく。
それを黙って見ている長尾景虎ではない。
とうとう第一次川中島合戦となる。
…が、小競り合い程度で、会戦というほどにはならない。
諏訪へ戻るといつも出迎えてくれる湖衣姫。
しかし、その姿がない。
労咳にかかっていたのだ。
死期を悟った姫は、息子・勝頼の未来を晴信に託す。

今川領に北条勢が攻めて来た。
今川義元は、尾張の織田信秀と戦っている最中。
武田に北条勢の牽制と助勢を要請。
晴信は、弟・信繁を大将として差し向ける。
…と、見せかけて自分も付いてゆく。
晴信の影武者は、水防工事を視察していた。
駿河に出た武田軍は、見事な采配で北条軍を牽制。
北条氏康は、武田軍に晴信がいるのを確信する。
今川氏の黒衣の軍師・雪斎。
三国の利を唱え、武田・今川・北条を同盟させる。

これで東南の憂いがなくなった。
再度川中島へ。
犀川を挟んで越軍と対峙。
越軍にとって、犀川以北にある旭山城は目の上のタンコブ。
付け城として、そのまた北に葛山城を建てて牽制。
対陣は二百日続き、景色は間もなく冬の装いだった。
晴信は、今川義元に仲裁を求める。
仲裁役は、またあの雪斎だ。
甲・越の陣ともに饗応されていい気分だ。
しかし、手腕は確かだ。
旭山城破棄という条件などで和睦となる。

諏訪にもどった晴信。
しかし、生きる屍となった湖衣姫。
涙ながらに会うことを拒否。
そのまま古府中に戻る晴信。
間もなく姫は亡くなった。
さすがの晴信もクリティカル・ダメージ。

古府中に来客が立て続く。
足利将軍の名代が、駿河を経由してやってきた。
荒っぽい饗応で持てなし、空席である信濃守護を要請。
もちろん名代には、碁石金をたっぷりと袖下へ。
入れ違いにやって来たのは、織田信長の家臣・梁田政綱。
「織田と款を通じたい…」
不適な信長の提案に対して、晴信の答は“奸風発迷”。
意味不明のまま、梁田はその答えを持ち帰る。
晴信は山本勘助に、それを追わせる。

第三次川中島合戦は、越軍から仕掛けてくる。
しかし、晴信は影武者を使って撹乱。
本物は、安曇の小谷城を攻め、魚津方面を脅かす。
結局、今回も大きな会戦は行われず。
冬になれば、越後は雪に閉ざされる。
景虎は歯噛みしながら、退却してゆく。

梁田と行動を共にする勘助。
二重スパイである勘助は、途中、今川義元の元へ。
自分の行動がバレていることに驚く勘助。
どうやら、晴信が故意に情報を漏らしているらしい。
勘助は、今川義元に嫌気がさしていた。
気持ちは、晴信のほうに、すでに傾いていた。

ひょんなことから信長に会うことになった勘助。
梁田政綱が晴信の“奸風発迷”を伝える。
それを見事看破する信長。
勘助は、その信長の様子を、駿府と古府中へ報告。
義元は「うつけ者」と笑い。
晴信は、炯眼して大きく頷いた。

義元はいよいよ西上を決意。
そのころ晴信は薙髪して、名を信玄と改める。
自分自身をスッキリさせることができた。
神仏の加護、民心を集めることも目的だ。
それは、金の質が落ちていたことに由来する。
信玄は、駿河の安倍金山を狙っていた。
そこで、勘助に“奸風発迷”の発動を指示。
勘助の暗躍によって、今川義元は桶狭間で討たれる。

この変動によって、勢力図が大きく書き換えられた。
長尾景虎は、北関東勢の請いを受け、厩橋(前橋)に進出。
一気に北条氏を追いつめにかかる。
しかし、そこは堅牢を誇る小田原城。
北条勢は劣勢だが、ほとんど傷つかずに籠城。
景虎は、とりあえずあきらめる。
その足で、関東管領職を鎌倉で相続。
名を上杉政虎と改める。
関東勢には、越後勢を快く思わない勢力も。
忍城城主・成田長康などはその筆頭だ。
北条征伐に、なかなか足並が揃わない。
そうこうしているうちに、川中島に海津城が出来る。
政虎は、しぶしぶ越後へと戻っていく。

勘助は川中島の“霧”を調べていた。
そして、雲見が出来る人間を捜し出す。
しかし、身を確保するまで気が回らない。
信玄に初めて責められたような気がした勘助。
死を賭す覚悟をする。

もう機は熟しきっていた。
双方とも次で雌雄を決するつもりでいる。
越後勢は、上州から取って返して信濃へ。
それに呼応するように、武田勢は古府中を出発。
途中上田原で、かつての宿老たちを弔う。
なんと敵前法要。
かなりの心理作戦でもある。
味方には戦意高揚を。
敵には焦燥感をあたえる。

越後勢は海津城を圧迫するため、妻女山に陣を布く。
武田本隊は八幡原に陣を布く。
勘助が見つけた、もうひとりの雲見は、濃霧を予言する。
これを受けて軍議を開く。
珍しく、弟・信繁が反対する。
しかし、この機を逃せば、また長いにらみ合いが続く。
信玄は、馬場民部・真田幸隆を主力に、妻女山へ奇襲隊を差し向ける。
だが、そこは政虎。
敵にも味方にも霧は霧。
さっさと妻女山を降りる。

勘助はそれを、いち早く察知した。
味方に知らせようとするが、運悪く敵に見つかる。
足を刺され、血が止まらない。
本隊よりも奇襲隊に知らせようと機転を利かせる。
真田幸隆に危急を報せ、事切れる。

戦端は開かれた。
揉み潰せと越軍。車掛の陣。
ここにきて、武田本隊は裏をかかれたことを知る。
信玄は堅く陣形を保つよう指示。
政虎は防壁のうすい武田の嫡男・義信隊を衝く。
「わざと負けて引きつけろ!」
義信は今まで、負け戦の経験なく育った。
彼は若気も手伝って、まんまと追撃。
すると、いつの間にか越軍に包囲される。
それを助けるため、弟・信繁隊がかけつける。
これにより、信繁は討たれてしまった。

義信隊周辺に穴が開いてしまった。
信玄は、先頭を諏訪氏はじめとする、信濃先方衆を導入。
お諏訪太鼓が鳴り響く。
太鼓の音に鼓舞されたのか、兵士たちを奮戦する。

間もなく、馬場隊を先頭に別働隊が戻って来た。
勘助の報せが功を奏し、予想より早い。
越軍は挟撃される。
政虎は善光寺へと退却を命じる。
そうはさせじと甲軍。鶴翼の陣。
そこを中央突破する、僧形の武人ただ一騎。
完全に形成は逆転。
両軍、被害は甚大だ。
最終的には、甲軍が越軍を北へ追い落とす形。
領地争いとしては、武田方の勝利となった。
*   *   *
新田さんは、信玄と政虎の直接対決はなかったんではないかという見解だ。資料が“甲陽軍鑑”と“妙法寺記”ぐらいしかなかったようだ。
海音寺さんの“天と地と”には山本勘助が登場しないが、この“武田信玄”には宇佐美定行は出てこない。…と、読み比べるのも、オイラとしてはおもしろい。
巻末の川中島の戦いでは、信玄は弟の信繁を失う。あくまで信玄の後ろ盾に徹した信繁。しかし才覚は信玄とほぼ同等だった。その信繁が、今回の戦いを諌めたことは正解だったのだ。
そう考えると、武田信玄の父ちゃん信虎が信繁を跡目にと考えてたことも、あながち間違いじゃなかったのかもしれないなぁ。
ちなみに、「知ってるわい!」と突っ込まれそうだが、真田幸村の本名は“信繁”。昌幸父ちゃんは、この武田信繁にあやかって名付けたという説は有名な話。

2010年8月7日土曜日

武田信玄(風)

謙信と来れば、信玄でしょ!
ってことで、新田次郎の著書に挑戦。
*   *   *
父・信虎は甲斐の暴君。
国は平定されているが、民は苦しんでいた。

ある日、野駈けに出た晴信の前に、百姓が命がけの直訴。
信虎が、妊婦の腹を割いて、胎児を引き出したというのだ。
晴信は、父の暴挙を恥じる。
父は父で、賢明な晴信を邪険にしていた。
晴信は意を決し、今川義元に父を預かってもらうよう手紙を出す。
その伝令は山本勘助という、今川氏の間者だった。
父は父で同じことを考えていた。
義元は晴信の将来性を怖れ、信虎を優先しようとしていた。
しかし、人心は晴信にかたむいている。

そんななか、佐久の海野棟綱を攻めるため従軍。
海野氏は手応えなく退いてゆく。
これを助ける形で、上州の上杉憲政と村上義清が出てくる。
この一連の動きは、諏訪氏を中心とした巧妙なワナだった。
それを察知した甲斐軍は、すごすごと撤退。
途中、重臣である板垣信方や甘利虎泰らと晴信によるクーデター。
そのまま、信虎は今川へ送致される。

家督を奪った晴信は、諏訪氏の討伐に乗り出す。
まずは陽動で敵を疲れさせる。
兵を国境へ出しては退かせる。
それと同時に、諏訪氏の外堀を埋めていく。
高遠氏など、諏訪氏に反感を抱く豪族たちと結託。
松本平の小笠原長時は動かない。
これにより、ほとんど手を下さず諏訪は陥落。

いったん降伏したかに見えた諏訪頼重。
しかし、謀反の疑いありとして、諏訪頼重を切腹させる。
武田信虎がなし得なかった諏訪の攻略。
武田晴信は、二年でそれを成し遂げる。

晴信は祢津氏の姫・里美を迎える。
東信濃は群雄割拠だ。
敵のなか、姫を迎えるのは危険だった。
そこで里美は、その輿入れの供に、真田幸隆を指名する。
東信濃のなかでも知略優れる武将。
幸隆は武田方につくことに。

晴信は、東信濃の抵抗勢力を駆逐していく。
長窪城主・大井貞隆は諏訪頼重と同じ形で、切腹させてしまう。
後味が悪い。

晴信は、時を置かずに諏訪氏の姫・湖衣姫も輿入れさせる。
これにより諏訪地方は安定する。

信虎時代に出奔した宿老たちがいた。
晴信は、これらを“土産付きなら”という条件で、帰参を許していく。
まずは今井兵部。
金山開発に尽力。
つぎに日向三郎四郎。
鉄砲開発に尽力。
鉄砲職人を紀州根来寺の根来衆から引き抜いてきた。
しかし、弾薬は輸入するしか道がない。
そこで山本勘助に輸入路を確保するよう命じる。

続いて志賀城攻め。
ここで晴信は、父を彷彿とさせる暴挙に出る。
抵抗には徹底した弾圧。
敵城に、討ち取った生首三千を掛け並ばせる。
これにより、上州の上杉軍も信濃から追い払う。

晴信は、このところ微熱が続いていた。
それを隠して、湖衣姫や里美のところへ通う。
性欲が激しい。
諏訪から戻った板垣信方が、晴信の具合に気づく。
医者に見せると、労咳の疑いが大きい。
愛妾のところへ通うのを禁じる。
盛んな晴信は聞き入れない。
母の大井氏によって、とうとう志摩の湯で湯治することに。
甲斐あって、見るみる恢復していった。

恢復した晴信は、村上義清の討伐に乗り出す。
板垣信方・甘利虎泰など宿老やたちは猛反対。
真田幸隆も、志賀城攻めの暴挙で、村上勢は窮鼠になると諫言。
晴信はそれらの反対を押し切り、上田原へ出兵。
東信濃の豪族たちは、幸隆が言うように窮鼠と化していた。
死に物狂いで抵抗。
結果、板垣信方・甘利虎康の二大宿老を失ってしまう。
このまま撤退というのでは、負け犬のようでカッコがつかない。
対峙して膠着状態に。
あきらめ切れないが、しばらくして隊伍を整え退却する。

いったん諏訪までもどった晴信。
頭を冷やして、戦後対策を考える。
結論は、中信濃の小笠原長時が動くだろうということだ。
諏訪の西方衆は村上との敗戦後、小笠原に寝返りつつある。
村上は戦の傷が癒えるまでは動かない。
そこで、一気に中信濃を攻めることに。
これに負ければ、武田に未来はない。
今度は自分たちが追いつめられたのだ。

晴信は一計を案じた。
古府中に戻った晴信は、すぐに兵を挙げる。
諏訪までは一日の行軍で到着できる。
が、わざと遅い。
八日もかけた牛歩作戦。
塩尻峠につくと、電光石火の機動作戦に出る。
峠道は四本あり、それぞれに軍をわける。
主力隊が拮抗している間に、他の間道から裏を衝く作戦だ。
かくして、塩尻峠の戦いは始まった。
前半は晴信の思った通りの戦況。
しかし先方隊は、どちらも諏訪衆だ。
晴信は、同族同士の戦いは浮き足立つと考えた。
現実は逆だった。
先陣の戦いは酸鼻は極める。
じりじりと押され始めた甲軍。
晴信は切り札を使う。
里美を主将として、主力隊に押し立てたのだ。
勇敢な里美の鼓舞に、兵たちは応える。
戦況は立ち直った。
日和見の豪族たちが、武田に味方しはじめる。
とうとう小笠原軍は崩壊。
居城である林城から、深志へと落ちていった。

二年が過ぎる。
この間、小笠原は反撃の様子を見せない。
もう小笠原に、反撃の意志はないと見た晴信。
松明を盛んにして、多勢に見せかけ、夜中ずーっと勝どき。
ビビる小笠原は、三々五々逃げ出し、無血で深志城を明け渡す。
小笠原長時は、村上義清を頼って落ち延びていった。

恩情で対する中信濃に対して、東信濃は凄惨な対応。
武田憎しの佐久衆は不穏な動き。
…と、真田幸隆の間者が注進。
村上氏や北信濃勢は、長尾景虎を頼りはじめる。
晴信は、今度こそ禍根を断つため出兵。
村上氏の支城・砥石城を目指す。
神川の断崖絶壁に守られた、難攻不落の城。
軍議では、ほとんどの諸将が砥石城攻略に反対。
囲むだけにして、村上本城・葛尾城を攻めるべきと主張。
しかし、晴信は砥石城を攻める。
二回挑戦して、ほぼ全滅。
さらに鉄砲まで奪われ、散々に負ける。
そこへ村上の本隊。
万事休す。
上田原の戦いでは、何とか引き分けた。
今回は完敗だった。
退却は混乱。
晴信は間一髪のところを、影武者に助けられた。

その砥石城を、真田幸隆が「買う」という。
内部事情に精通している幸隆だからこそ出来ることだった。
砥石城内の佐久衆頭領・矢沢総重は賢い勇将。
今回の砥石崩れは、彼の功績が大きい。
しかし、村上から満足な恩賞は出ない。
佐久衆と村上衆に亀裂が走る。
幸隆はそこに目を付ける。
間者などを使って情報操作。
矢沢総重が、村上を裏切らなければならない状態を作り出す。
とうとう、砥石城は内部崩壊。
不本意な矢沢総重は旅に出る。
家族は幸隆にたくされた。

中信濃では、名族・安曇部氏がしぶとく最後の抵抗をしていた。
これを攻略し、中信濃と東信濃をほぼ征服したことになる。
ここまで、風のごとし十年…。
*   *   *
長尾景虎に対し女好きな晴信。かなりお盛んだったようだが、好いた女にはとことん尽す人でもあった。
諏訪を皮切りに、信濃を攻略していった晴信。戦いの毎日。とくに、東信濃攻略は凄惨を極めた。“上田原の戦い”や“砥石崩れ”など、村上義清との戦いは負けこんだ大きな理由は、志賀城攻めのような凄惨な態度をとったために、ひどく恨まれたことが挙げられる。それでも真田幸隆の活躍(暗躍?)と晴信の執念で、東信を平定していく。
武田信玄といえば、希代の戦上手だけれど、少なくとも東信では当てはまらない。失敗の連続が“武田信玄”を生み出すのか!?

2010年7月20日火曜日

天と地と(下)

京から帰り、まずしたことは、一向宗との和解。
この時代の信仰は現代の比ではない。
なかには厚い信仰をしている豪族も多い。
そのなかから、直江実綱などを選んで使者にたてる。

信濃では村上以下、北信濃の豪族たちが武田勢に敗退。
景虎を頼る。
彼らを厚く迎え、それに応える信濃の豪族たち。
これにより景虎は信濃へ。
武田晴信は音に聞こえた戦上手だ。
しかし晴信は、姉婿である今川義元に仲立ちを頼んで、早々に休戦となる。
じつは想い人・諏訪御前が余命いくばくもなかったのだ。
さすがの晴信も、戦に手がつかない。
さっさとケリをつけたかったのだ。
戦場からもどり、少しして諏訪御前は帰らぬ人となった。

景虎のほうでは、地侍の境目争いが絶えない。
なんとか仲裁をしているのだが、なかなかうまくいかない。
頭に来た景虎。
出奔。
ひとりで高野山に行くつもりだ。
それを諌めるため、小姓たちが追いすがる。
半年近くも押し問答が続く。
そこへ、上田の政景が、諌めるためにやってきた。
それでも景虎は動かない。
政景はトドメの言葉を刺す。
「武田をどうするおつもりか」
晴信は、越後の家臣たちの調略を開始。
それになびいたのは、古くからの家臣、北条(きたじょう)高弘だった。
身から出たサビと、景虎は春日山にもどる。
早速、北条征伐に。
しかし、相手は堅く城にこもって出てこない。
力押しで手ひどい目にあう。
そこにあらわれたのは松江。
北条の奥を説き伏せて、開城させる。

晴信は、占いにより信濃攻めを決定。
…という旨の願文を、戸隠神社に奉納。
それを聞いた景虎。
「意味わかんねぇ!」と激怒。
今度はこちらから動く。
小県の村落まで出て、焼き討ちなどの陽動。
しかし、晴信は乗って来ない。
小県には出ず、安曇野へ出、その北の豪族たちを攻略。
それでも結局、川中島で対峙。
間もなく膠着状態に。
それでも朝霧たちこめるの寒い朝。
敵の動きを察知した景虎。
決戦となる。
それでも力は拮抗し、押しつ押されつだ。
引き際も難しい。
六分の勝ち…として引き上げる。

春日山にもどると、将軍の請いを受け、上洛を計画。
将軍・足利義輝には、もう権勢はない。
勢いは陪臣・三好慶長、陪々臣・松永秀久に。
景虎はこれを打ち砕く考えだ。
勅命が降れば戦うつもりで、準備を進める。
まず、真正直に武田方に上洛の旨を伝え、停戦を申し入れる。
快く了承する晴信。
しかし、腹に一物を持って、後々行動を起こすのだが…。
これで後顧の憂いがなくなったと安心する景虎。
上洛。
再三、義輝に逆臣を討たせてくれるよう、意見上申する。
しかし、義輝は優柔不断だったのか、とうとう意見を容れない。
そんな折り、越後から急使。
武田がまたも北信濃に侵入。
留守居の政景が、よく防戦しているが、どうなるか分からない。
後ろ髪を引かれる思いで、越後へもどる。
それを知っているかのように、武田方は退き下がっていった。

今川義元が桶狭間で急死。
織田信長の奇襲に倒れる。
東海の情勢は一変。
武田信玄は、このチャンスを見逃さない。
このことで、信濃は小康状態。
景虎はこれを機に、上杉憲政との約束を実現するため、関東へ討って出る。
小田原北条氏を厩橋(前橋)で迎え撃つ。
紆余曲折したが大勝。
鎌倉・鶴岡八幡宮で、名実ともに関東管領の名跡を継ぐ。
ここで上杉政虎と名のる。

政虎はひきつづき、関東で北条を倒すべく謀略。
だが、三代目・北条氏康は賢明だ。
乗ってこない。
そんな折りも折り。武田がまた信濃に。
それも越境して越後まで入る。
「またしても空き巣ねらい!」
政虎はまたまた激怒。
北条をあきらめ、関東を引き払う。

今度こそ雌雄を決しようと、心に誓う景虎。
かの第三次川中島合戦に突入していく。
*   *   *
三回目の川中島の戦いは、あまりにも有名なので割愛するが、物語は、合戦から引き上げる途中、妙高の麓で物悲しく終わる。
上杉謙信は、自らを厳しく律し、著者の言うところの“男性的気概”をもって生きた。
男から見れば、かっこいいことこのうえない憧れの存在だが、物語のなかの謙信は、たびたびこの乱世での自分の生き様に空しさを感じることがあった。最後はひとりの女性も幸せに出来ないと悔やむ。
上杉謙信といえば、“義”の人というイメージで、実際、村上義清など、北信濃の豪族に対する武田信玄の横暴に怒り、川中島で領地を取り返した後、領地を安堵している。けれど作中では、“義”という言葉がほとんど出てこなかった気がする。それだけ行動で体言していたということだと感じた。

2010年7月7日水曜日

天と地と(中)

三条勢を見事な采配で痛破する景虎。
長尾俊景を討ち取り、このままの勢いで、残る三条方を潰したい。
しかし、兄・晴景はこれで満足してしまう。
さっさと、春日山へ帰ってしまった。
結局、勢力図はほとんど変わらず仕舞い。

少しして、春日山で事件がおこる。
晴景が寵愛している姉弟の弟・源三郎。
春日山に与力している豪族・新発田氏の妻。
このふたりが不倫。
噂は新発田のダンナの元にも聞こえてきた。
新発田は弟に正否を確かめさせる。
弟はこのふたりを成敗して、武門の汚れを雪いだ。
これを晴景がゆるせない。
新発田の弟を差し出すよう再三催促。
あきれた新発田氏は、景虎に頭領を鞍替え。
景虎は快く迎える。
さらに激怒した晴景。
かくまった景虎を倒すため兵を挙げる。

景虎も晴景の堕落は目に余るものがある。
晴景をたたきつぶすチャンスだ。
栃尾に迎え撃つ。
上田長尾氏の房景・政景父子は晴景につく。
しかし、晴景のまずい采配に、怒って帰ってしまう。
こうなると勝敗は明らかだ。
景虎は見事な采配で、春日山まで追い返す。
敵は風前のともしびだ。
しかし景虎は、春日山手前で兵を止めてしまう。
腐っても兄。
虚無感におそわれる。
これを察知した宇佐美定行は、越後守護・上杉定実を動いてもらうことに。
和睦はなり、晴景は隠居。
跡を取る形で、景虎は越後守護代として春日山に入る。
このとき景虎は、わずか十九だ。

残る抵抗勢力は三条。
敵城は信濃川と、もうひとつの川の間に挟まれた天然の要害だ。
これを陽動作戦で、見事討ち破る。
これで、とりあえず越後が平定となる。

上杉定実が呆気なく病死。
定実には子がなかった。
評定が開かれ、景虎が越後守護に推される。
定実の葬儀が盛大に執り行われるが、上田長尾家の父子が来ない。
これを深刻に思った景虎。
腹違いの姉・綾(のちの仙桃院)を、政景に嫁がせようとする。
が、イマイチ反応がかんばしくない。
景虎は自ら上田へおもむいて、房景父子と会う。
出向いてきたことを喜ぶ房景。
これで婚儀が成立。

この当時、武田は東信濃から北信濃へ侵攻。
村上義清と激しく争っていた。

一方、小田原の北条氏康は。
上州に出、関東管領・上杉憲政を攻略。
上杉憲政は破れ、景虎に救いを求める。
自ら春日山まで来て、なんと関東管領を譲るという。
景虎は北条を征伐する実績を積んでから、名跡を継ぐことを約束。
そのまま上杉憲政は春日山に居座る。
風雅な人で、景虎は琵琶などをこの人に習うのだった。

信州・上州の動静は気になる。
しかし、まずは越後守護を名実ともにするため、景虎は京へ。
裏の目的は鉄砲を入手するため堺へ。
敵対勢力と渡り合えるようにするためだ。
その当時は、一向宗・石山本願寺は隆盛を極めている。
一向宗は父の仇だが、その城のような寺に、景虎は内心舌を巻く。
高野や比叡にも出向く。
景虎は若い。
いろいろ吸収して、ひと回りもふた回りも大きくなって帰る。
*   *   *
幾多の困難を乗り越え、混沌とした越後を平定したとき、景虎はまだハタチそこそこだった。
のちに“軍神”と崇められる上杉謙信も、戦いを虚しく思うことが多くなっていった。それを埋めるかのように、琵琶を覚え孤独に耐えたのか…。
孤高の人にしか分からない寂しさが、少し感じられる。

2010年6月29日火曜日

天と地と(上)

長尾為景は六十にして子を授かる。
名を虎千代。
しかし為景は、この子の出生を怪しんで愛せない。
それを知ってか知らずか、母・袈裟は虎千代を溺愛する。

この時代は、越後守護は上杉定実。
その守護代として為景が実権を握っていた。
それに異を唱えるのは宇佐美定行。
両者はしばしば戦う。
両者の緩衝地帯には柿崎弥二郎という勇将が。
蛮勇で女好き。
一旦は宇佐美派に流れたが、為景が女をエサに返り忠させる。

両者に和睦がなり、束の間の平和がもどる。
袈裟は肺炎を患い帰らぬ人に。
虎千代は体は小さいが利発で気の強い子だった。
しかし、母が死んでから暗くなっていった。
そんな虎千代を、為景は徐々に遠ざけはじめる。

ある日為景は、豪腕だが美しい百姓女を召し抱える。
名を松江という。
城の生活に馴染まない。
虎千代は、なぜかこの女にだけはなついた。
しかし為景は、松江を侍妾としてしまう。
スライドした守役は、金津新兵衛というひげ男だった。

虎千代は元服して景虎となる。
為景の、景虎に対する態度は、さら硬化していった。
出家しろという。
虎千代はまだ六歳だ。
新兵衛は抵抗したが「決まったことだ」とニベもない。
虎千代は涙もこぼさない。
春日山のふもとにある林泉寺へ出される。
和尚は虎千代の才気を見抜いた。
半年教育しただけで、城へ帰してしまった。
為景はおもしろくない。
養子縁組して外へ出そうとする。
これは景虎が抵抗した。
おこった為景に、不孝者として見限られる。
新兵衛は、景虎の母親の縁をたより、栃尾城に預けられることとなった。

少しして、為景と宇佐美定行は、越中に一向宗を征伐するため出発。
為景はこのときすでに七十五。
歳のせいか、天命か、農民兵を甘く見た。
敵の術中にはまり討死してしまう。
松江は為景そばにあったが、辛くも逃れ、どこへやら。

葬儀が行われ、景虎も春日山へもどる。
守護代を新しく決めなければならない。
世襲ではないから、評定は荒れた。
宇佐美が丸く納める。
結局、為景嫡男の晴景に決まる。

晴景は良くも悪くも凡庸だ。
それはいい。
しかし、酒色にふけること、ただならない。
一年もしないうち三条長尾氏の俊景が叛旗をひるがえす。
追い打ちをかけるように、春日山に内乱がおきる。
先代・為景の腹心だった昭田常陸介が謀反。
晴景は春日山を追いだされる。
景虎は新兵衛の機転で難を逃れる。
同じく難を逃れた若衆と、一路栃尾城へ逃れる。

腐っても守護代。
昭田常陸介は別の場所へ移動。
晴景は春日山を恢復。
膠着状態の越後は、束の間の平和をとりもどす。
景虎は、宇佐美定行に兵法を教授してもらう。
ものすごい吸収力だ。

晴景は、春日山で満足し、また酒色にふけりはじめる。
京から美しい姉弟を買って溺愛。
景虎はその噂を聞き、怒り心頭だ。
春日山へ諫言に行く。
晴景は逆ギレ。
追い出される形で、景虎たちは越中へ。
景虎は諸国をまわってみたかった。

越中山奥の尼寺で、奇しくも松江と再会。
松江は再会を喜び、数日寺に厄介となる。
しばらくして、景虎郎党の鬼小島弥太郎と松江が恋仲に。
松江は景虎にとって育ての母も同じだ。
複雑な気持ちだったが、快く添わせる。
その後、飛騨から信州に入り、松本・諏訪へ。
このとき武田晴信は、諏訪氏を滅ぼした直後。
諏訪からは武田氏の領土となっていた。
折りならず、晴信は鷹狩りの途中、景虎と運命的な邂逅を果たす。
それは、裏富士の裾野。
わずかな、すれ違いではあったけれど…。

景虎たちは、そこから武蔵野をまわり、越後へもどる。
越後は相変わらずの膠着状態。
このままではラチがあかない。
景虎は宇佐美定行と示しあわせて討って出る。
…といっても、敵の領土の民家を焼き払っては逃げる。
俊景の堪忍袋を破らして、逆寄せさせるのが目的だ。
果たして、まんまと策に乗ってくる。
しかし敵は、自軍の十倍近い。
守護代の冠が必要だったのだ。
宇佐美の案で、上杉定実から春日山を動かすことにする。
イヤイヤながらも、晴景は栃尾城へやってくる。
*   *   *
当時の越後の情勢は、まさに下克上。
とくに長尾氏は、守護代を争って、本家分家入り乱れている。
そんな時代に、のちの上杉謙信は生まれる。
父親に疎まれる境遇にあったのは、川中島で戦ったあの人と同じだ。
それにしても歳の離れた末子なのに、なぜそんなにかわいくなかったのか?
母を早くに亡くし、松江という一風変わった女に育てられ、思春期に兄の偏愛を目の当たりにして、景虎は女性に不安定な感情を持ち始めていったようだ。

2010年6月13日日曜日

真田騒動 —恩田木工—

“真田もの”の所以となった短編集。

ブログ名が“真田屋敷の本棚”と言いながら、
「やっと読むんかい!」
と、つっこまれそうだが…。

最初の二編「信濃大名記」「碁盤の首」。
これは“真田太平記”にも出てくるエピソードなので割愛します。

*   *   *

「錯乱」
信幸が松代に移って晩年。
そこに起こったお家騒動の話。
信幸は隠居して、もう九十二になっていた。
現藩主で息子の信政が急死。
跡継ぎはまだ幼い。
それに信政の子であるのかも怪しいという。
幕府はことあるごとに、真田家を取り潰そうと画策していた。
それを後ろ盾に、沼田領の分家・信利が松代真田十万石を狙うのだが…。
とにかく、信幸兄ちゃんの方が一枚も二枚も上手だったという話。
それにしても、何代も続く隠密の非情な宿命には驚嘆。


「真田騒動」
江戸の世に入って百五十年。
原五郎八郎と恩田木工は、千曲川の治水工事を進める。
その功績と殿様である藩主・信安の寵愛。
これにより、原は筆頭賀老という異例の出世。
しかしいつからか、原は殿様と一緒に遊興にふけるようになっていった。

藩治はボロボロになっていった。
原の暮らしは行き過ぎ、着るものも殿様と同じ。
このへんから、信安と原に溝ができはじめる。
木工は、以前の原を知っているだけに嘆く。
しかし、藩祖・信幸からの「民第一」の教えを胸に、原の失脚を考える。

そんななか、藩士たちがストライキ。
さらに木工によって、殿様の妾に手を出したことが発覚。
前代未聞の事態に原は失脚。

次に表れたのが田村半右衛門。
江戸藩邸にいる殿様に、田村はうまく取り入った。
か、その政策はあまりにも稚拙。
地元・松代で総スカンを喰らう。
さらにあろうことか、民百姓から搾り取り、私腹を肥やし始めた。
今度は、農民たちがだまっちゃいない。
藩に、身柄引き渡しを要求。
木工が、なんとかおさめた。
田村はほうほうの体で江戸へ逃げていった。

そして、信安が死ぬ。
跡を継いだのは、嫡男・豊松。
このとき十四。
幼年なので幕府から許しが出ない。
なんとか、幕府へ働きかけつづけ藩主となる。
二年がたっていた。
名を幸弘と改める。
利発で賢君だ。
その幸弘が名指しで、筆頭家老に指名したのが木工だった。
家老職のなかで一番の若輩だった。
木工は、身命を賭して善政を布く。
所信表明では、はじめて侍以外の、領民の代表を城に入れる。
数年後、真田十万石は息を吹きかえしたのだった。
木工の活躍は、ほとんど最後の章。
松代藩だけでなく、いろいろな藩は、こういう状況だったのだろうけれど、藩士のストライキや、領民が悪人の身柄引き渡しを要求するなど、とても紳士的に行動していることに驚いた。


「この父、その子」
「真田騒動」のバックストーリー。
謹厳実直で倹約にいそしんだ信安の父・信弘。
その嫡男と、落胤の子が対比されている。

*   *   *

この短編小説は、松代藩・真田十万石の列伝となっている。
藩祖・信幸の兵法であり座右の銘は「民第一」。
その教えは、脈々と受け継がれてゆく。

解説が昭和末期に寄せられているが、そのなかに“今の政治家にも読んでもらいたい…”と書いてある。
今や平成も二十年も過ぎた。
この嘆きは、あれからの年月嘆かれたままだと思った。
そして“男たれば一度は読んでもらいたい”と結ばれている。
まったく同感です。

2010年6月3日木曜日

男振

 堀源太郎は、若くしてハゲになってしまった。
江戸藩邸で、若殿の学友として仕えているときだった。
急に、髪の毛がごっそり抜け落ちる奇病におかされる。
それからの源太郎は、誹謗と嘲笑に絶える日々だった。

そんなある日。
若殿に、ひどい中傷を受ける。
気がついたときには、若殿をボッコボコに。
こんなこと、許されるわけがない。
即、牢屋行き。
源太郎は死を覚悟する。

しかし、いくら待っても沙汰がくだらない。
番卒のひとりに優しい男がいた。
たまに内緒で、まんじゅうを差し入れてくれる。
原田小平太というらしい。
見た目はそうでもないが、手腕で屈強さが分かる男だ。

数ヶ月後、腹切堂というところへ移される。
とうとう時がきた。
切腹という名誉は受けられない。
首を討たれるのだと覚悟した。
転瞬。
家老の安藤主膳に助けられる。

「堀源太郎は狂死」
落ち延びるて、源太郎は名を“杉本小太郎”と改めることに。
外へ出ると、原田小平太が待っている。
どういうことなのか?
その答えを得ず、着いたのは、あの饅頭屋の長屋だった。
倒れる源太郎。すごい熱だ。
長い牢屋暮らしがたたり、この脱出劇だ。
無理もない。
しばらく、ここに隠れて養生する。
ここで源太郎は、喜助という老爺と、お順という女中に看護される。
お順は源太郎を見ても、眉ひとつ動かさず、献身的に尽くしてくれたのだった。
源太郎はそんなお順に感動するのだった。

病も癒えたころ、次の沙汰が。
「杉本小太郎は、堀家へ養子に入ることとする」
…ということは、元々の家に戻れるということだ。
まったく、どういうことなのか?
しかし、実家へ帰れるのだ。
源太郎の喜びは、ひとしおではない。
原田小平太といっしょに越後・筒井藩領へと旅立つ。

故郷へ無事に着き、原田小平太と別れる。
自宅では母が「たった今」臨終となっていた。
父との再会。
それからしばらくは平穏が続く。

源太郎は、ほとんど外に出ない。
隣家のお妙が会いたいという。
お妙は源太郎のいいなづけだった。
が、禿頭になって、お妙の父は一方的に婚約を破棄したのだった。
幼なじみでもある。
だが、禿頭を見るなりお妙は大笑い。
源太郎ブチ切れ。
気がついたときには、斬り掛かっていた。
そこを通りかかった、お妙の父の上司に取り押さえられる。
しかし、今度も寛大な処置だ。
「堀小太郎は、生涯家内の牢にて謹慎」
死罪も覚悟していた源太郎たちにとって、寛大な処置だ。

その後も、源太郎に不可解な沙汰が続く。
「堀小太郎は、生涯家から出てはいけない」
これで、家の牢から出ることが許される。
「堀小太郎は、生涯妻帯を許さず」
あんなことをした身で、そんなことは露とも思っていない。
「堀家は、新しく養子縁組するように」
という具合だ。
とにかく不可解だ。

新しく養子が入るというので、源太郎のために離れが造られる。
伊助という、腕のいい大工がやってくる。
たかだか百五十石取の堀家に、とうてい呼べるような大工ではない。
父・源右衛門は低い身分だが、しばしば筆頭家老の邸に出入りしていた。
その伝手だという。
伊助の仕事ぶりに興味を持つ源太郎。
手遊びに、大工道具の扱いを習うのだった。

離れが出きてしばらくして、父が倒れる。
父を診察するため、藩医の遊佐元春が来る。
これも破格の待遇だ。
おかけで父は、一命をとりとめ快方へ。
そんなとき、突然、原田小平太が現れる。
「もうすぐ刺客がやってくる」
なにがなんだか分からないまま、源太郎は連れ出される。
父や使用人たちも身を隠すことに。
しかし、なぜか源太郎だけは小平太とともに江戸へ向かう。
途中、越後・上州境の三国峠で刺客に襲われる。
辛くも逃げおうせたが、小平太と生き別れに。

なんとか江戸の松蔵宅へ。
ひとりになったとき、そこへ行くように小平太に言われていたのだ。
松蔵は、なんと“杉本小太郎”のとき厄介になったお順の父だった。
匿われた源太郎は、そこで衝撃の事実を知ることになる…。
*   *   *
現代でも、源太郎のようなハンディキャップをもって、活躍しているスポーツ選手など、何人かいらっしゃる。
自分のデメリットをものともせず活躍する姿は、とても爽やかだ。

この作品と、藤沢周平の「蝉しぐれ」とを、対比できる若者の爽やかさを感じた。
源太郎は、文四郎と比べても、剣の腕がたつわけでもないし、鬱屈として過していく。
言うなれば、今で言う“ニート”だ。
それを、周りの人びとが、温かい目で見守りつづける。
源太郎は、その人びとのことを想い、いい意味で裏切り、巣立っていく。
そうした経験が、十数年後、
「まことにもって、よい“男振”…」
と、なるのだね。

2010年5月29日土曜日

孫子(下)

あれから百五十年後。
周王室は没落し、戦国時代に入った。
孫武の子孫は、呉の孫家屯から斉に帰っていた。

長男の繽(ひん)は、読書家の家系からすると変わり者だ。
朝から晩まで、外で狩りや漁をして暮らしていた。
家宝の兵法書には、まったく興味がない。

そんなある日、一人の青年が訪ねてくる。
名を龐涓(ほうけん)と言う。
孫武の十三編以下、多くの書物を見せてもらいたいとやってきたのだ。
若いが立身を志し、兵法を学んでいるという。
繽はまるで興味はないが、客を放っておくわけにもいかない。
自分もいっしょになって読み、少しずつ興味を抱くようになる。
龐涓は熱心に読み、数日して故郷へ帰っていった。

それっきりと思っていたある日。
読んだ書の内容が、スラスラと口から出てくる。
こりゃイケるんじゃね!?
繽は本を片っ端から読み漁りはじめる。
晴狩雨読の毎日。
兵法がおもしろくなってきた。

龐涓とは、あれからも文通していた。
ある日、楚の呉起という人に師事しようということに。
ふたり、遠く楚へ旅立つ。
良きライバルとして切磋琢磨した。
しかし、突然、呉起が殺されてしまう。
混乱しながらも、ふたりは故郷へと帰る。

龐涓と途中で別れ、故郷に帰った繽。
栄達は考えていなかったので、悠々自適に暮らす。
奥さんも貰って、仲睦まじく暮していた。
龐涓とは相変わらず文通しあっていた。
龐涓の家は貧しく、彼は早く栄達したかった。
しかし、国ではなかなか評価してくれない。
一念発起して、魏に行って仕官しようと考える。
龐涓は、繽にお金を無心。
繽は快諾。
感謝しつつ、龐涓は魏に旅立った。
繽はそれからも、龐涓が仕官できるように、陰ながら援助した。
その甲斐あって龐涓は、魏の将軍になる。

それからの龐涓は、勉強しただけあって大活躍。
しかし、繽からすると危なっかしい。
あるとき、秦との戦いであやうく負けそうになった。
繽は機転を利かして、各国の力の均衡を利用することを思いつく。
匿名で、斉の将軍・田忌(でんき)に応援を要請したのだ。
これにより、龐涓は将軍の面目を保つ。

それから十数年が過ぎた。
繽は愛妻を亡くしてしまった。
子どももいなかった。
長い間、悲嘆にくれていたが、家を弟たちに託し、龐涓のところに遊びにいくことにする。
大歓迎を受ける。
宴会になり、そこに亡き妻の面影をもつ女奴隷・紅奴と出会う。

彼女に癒され、ここで暮らすことを考えはじめる繽。
仕官したいと、龐涓に相談する。
酔いの席がまずかった。
昔の恩を、それとなくほのめかし、便宜をはかってもらうよう頼む。

龐涓は、繽に劣等感を感じていた。
魏の王に推挙すると約束して数日後。
気晴らしにウサギ狩りをしようと誘う。
繽とすれば、好きな狩猟だ。
嫌なはずがない。
夢中で狩りを楽しむ間に、山奥へ入りこんでしまった。
なんとその山は王墓。
役人に捕われ、盗掘者として拷問される。
繽は龐涓にうまくだまされ、ワナにはまったのだ。
助かる見込みがない。
こうなったら化けて出てやると、心に誓う繽。
なんと一命はとりとめ、ひざきりの刑に。
膝から下を切られてしまった。
それでも助かっただけモウケモノだ。
このとき、名を孫繽から孫臏と改める。
ここから脱出し、復讐を誓うのだった。

脱出の策を考える繽に、紅奴が忍んでくる。
紅奴は、繽にもらった宝物を賄賂に、ここへ来れるように計らった。
外界との接触を図りたい繽。
しばらくすると、斉の国使が龐涓の邸に滞在しているという情報。
これを利用して、魏を脱出する繽と紅奴。

斉の将軍は田忌。
かつて、龐涓を助けるために利用した人だ。
繽はすべてを話し、信頼を得て、田忌の軍師となる。

数年後、復讐の機会がやってきた。
魏は韓を攻めた。
これを助けるため斉は出兵。
韓を直接助けず、魏の地方都市を攻め、モノにしてしまう。
慌てた龐涓。
だが、臏が恐れて、なかなか策に乗じない。
繽はそれをも看破して、裏の裏をかいて魏軍をたおす。
しかし、龐涓は逃がしてしまった。

さらに時は流れた。
臏は六十になっていた。
焦る彼に再度チャンスが巡ってくる。
それが、あの有名な“馬陵の戦い”だ。
復讐を果たした臏は、官を退き、故郷へ帰って余生を送ったという。
*   *   *
物語は上下ともに復讐劇だ。
下巻・孫臏の巻はドラマチックだったと感じた。
孫臏はとても快活な若者だったし、それに嫉妬する龐涓の気持ちも分からないではない。
でも、だからといって、大恩のある親友を陥れるってのはひどすぎる。
大昔の中国の話だし、オイラの倫理観は通用しないけれど、根本の人としての倫理観は、今も昔も変わっていないと思う。
やっぱりひどいものはひどい。
しかし、孫臏も復讐はやり遂げたが、かつての親友を死へ追いやった。どんな想いだったのだろうか? 決していい気持ちではなかっただろう。
ちょっと悲しい話だ。

2010年5月24日月曜日

孫子(上)

著者は海音寺潮五郎。
まだに二十代のころ、無謀にも「寺田屋騒動」に挑戦。
途中で挫折するという、ニガイ思い出のある小説家だ。

それでもこの年になって、諸子百家にも興味が出てきた。
それに今、「論語」が静かなブーム。
それもあって、「高校生が感動した『論語』」なんてのも読んだりして…。
で、この本を古本屋でゲット。
*   *   *
上巻の時代は、太公望が活躍したあとの時代。
で、秦の始皇帝が中国全土を統一するより前の時代。
いわゆる春秋戦国時代。
それも前期の春秋の時代。
ちなみに、孔子もほぼ同時代人。

この上巻の主役・孫武という人が、十三編の兵法書を著した。
この人は、斉から呉に引っ越して、村を興した。
ようは移民だ。
趣味で戦史を調べたり。
古戦場へ行って調べたり。
先の戦争の生き残りに話を聴いたり。
かなりの念の入れようだった。

そのころ、伍子胥(ごししょ)という人が、楚にいた。
権力争いで父を失い、紆余曲折、呉を頼ってきた。
いつか、楚に復讐してやると考えている。
その後、食客として呉の公子・光と仲良くなる。
伍子胥は、光を補佐する形で、放浪し有用な人材を訪ね歩く。
光は、呉の王様のおじさん。
順番からすれば、今の王より先に、王になれるのに、と考えている。
要はクーデターを考えていた。

そんなある日、孫武の噂を聞いて、伍子胥が村に訪ねてくる。
孫武は臆病で、厄介ごとに巻き込まれるのを恐れた。
しかし、孫武は熱心な研究家だ。
自分の研究の成果は試したい。
伍子胥に、今度行われる戦争のアドバイスをした。
それを教わった光が、その戦術で戦うと見事勝利。
光は孫武を高く評価する。

それから数年たち、光はクーデターを決行。
王を暗殺し、自ら即位し、名を闔廬(こうりょ)とする。
伍子胥は、孫武が御前に召されるのを嫌がることが分かっていた。
まず兵法書を編んでくれるように頼む。
この書を痛く気に入った闔廬。
伍子胥の紹介で、孫武は御前に招かれる。
闔廬は孫武を試す。
宮廷奥にいる女たちを、精兵として訓練しろという。
孫武は自分の研究をいぶかられた。
がまんがならず、引き受ける。
最初、女たちは遊び半分だ。
が、そのために、孫武が隊長にすえた王の寵姫ふたりを斬首してしまう。
軍律は絶対であることを示したのだ。
その後は、みんなまじめに孫武の言うことに従った。
宮廷の女たちは、精兵となった。
孫武は面目を保った。
しかし、そのために王の寵姫をふたりも殺してしまった。
嫌々ながらも将軍になるハメに。

それからの呉は、百戦錬磨。
孫武の作戦は、一つとして無策なものはなかった。
楚を壊滅にまで追い込んでいく。
中国の歴史には“春秋五覇”という春秋時代の覇者を表す言葉がある。
孫武の活躍で、闔廬はそれに入る王だという説もある。
それほど呉の国は勢力をのばした。
しかし、孫武は戦よりも、内政の権力争いのほうに嫌気がさしていた。
ころあいをみはからって、隠居してしまう。

そのあと、呉は越と戦い、あっけなく闔廬は死んでしまった。
あとを継いだのは、次男の夫差。
伍子胥は隠居した孫武を訪ね、策を授けてもらう。
そして最後に念をおして、
ひとつは、勝って戦うため準備・計画を万端に。
ひとつは、包囲殲滅ではなく、逃げ道を開けておく。
ひとつは、禍根を断つこと。
これによって越との戦いに勝った。
しかし、伍子胥と夫差王は仲が良くない。
伍子胥は誅されてしまう。
最後の“ひとつ”は聞き入れられず、越王をゆるしてしまった。 
二十年後、呉は越に滅ぼされてしまった。
*   *   *
孫武の活躍はすごいものがあるが、最後のほうは、なんとも感傷に絶えない。
伍子胥は、もうひとりの主人公と言ってもいいだろう。
楚を恨んで生き、呉を恨んで死んだ。
悲しい一生だ。
この時代は伍子胥のように、なんらかの理由で自国を追われると、他国に亡命して客卿に奉ぜられる、というようなことが多かったようだ。
孔子もそうだ。
このシステムが、血で血を洗う復讐の連鎖を生んだような気がする。
孫武は伍子胥に最後の策を授けたのは、その禍根を断つためだったのかもしれない。

2010年5月13日木曜日

織田信長(五)

 武田勝頼が、父の意志を継ぎ動き出す。
 長篠城では、城主・奥平貞昌が頑強に抵抗していた。
 家康に再三援軍を頼まれていた信長。
 なかなか動かない。
 それには理由がある。
 たくさんの鉄砲を揃えようとしていたからだ。
 信長は革命児だ。
 最新の兵法を編み出してゆく。
 その最も有名な戦いが、長篠の合戦だった。
 敵は、最強の騎馬軍団を持つ武田。
 陣の手前に柵を何十にも巡らす。
 そこに、策略にはまって入った騎馬武者隊。
 鉄砲の一斉射撃。
 武田は半分以上の重臣を失った。
 ちなみに、真田昌幸の兄ふたりも犠牲になっている。

 これによって、武田の憂いは去ったも同然だ。
 が、一難さってまた一難。
 今度は武田と雌雄を争った、上杉謙信が重い腰を上げる。
 そんな謙信が、石山本願寺の再三の同盟呼びかけに呼応。
 それに西の毛利輝元が加わり、またまた信長包囲網が確立される。

 謙信は、自身を軍神と化していた。
 強い相手と戦うことに、生き甲斐を感じているフシがある。
 天下をとる野心はない。
 冬になると、さっさと春日山へ戻ってしまう。
 こんな厄介な敵には、戦術など通用しない。
 そう踏んだ信長は、おまかせ戦術をとる。
 主だった諸将に自由に行動させ、手取川を境に、やばいと思ったら退かせた。
 自分自身は、そこにいると見せかけて、本願寺の方に行ってしまう。
 謙信は、まさか自分を前にして、信長がいないとは思わない。
 謙信は自尊心を傷つけられる。
 それを知ったとき、冬を迎えても戦場を去ろうとはしなかった。
 信長側は、押され気味の膠着状態に。
 しかし、その無理が祟ったか。
 謙信はあっさりと亡くなってしまう。

 信玄、そして謙信までも。
 敵将の死という形で、危機一髪を脱した信長。
 これで天敵はいなくなったも同然。
 目の上のコブは、毛利と武田の残党か。
 このころから信長は、過剰とも思える家中の大掃除を始める。
 譜代の家臣・佐久間信盛や林佐渡などを誅する。
 さらに徳川家康の正室・築山殿が武田に内応。
 その罪をかぶる形で、嫡子・信康が切腹させられる。
 このことなどが、明智光秀の疑心暗鬼につながってゆくのだが…。

 そんなある日、武田方の木曽義昌が内応してくる。
 これを機に、武田を一気に討伐。
 これにより、信長は家康に駿府などを割譲。
 先の信康の件を水に流し、家康を歓待することに。
 その接待役は光秀。
 これまで光秀は、信長にことあるごとに叱られることが多くなっていた。
 信長恐怖と疑心暗鬼の塊になっていきている。
 それでも、家康歓待用の客殿「大宝殿」を建築。
 その豪華さに、勤王第一とする信長を、家康が勘違いする。
 と、信長にでかく叱られてしまう。
 冷静に考えれば、知将・光秀が感ずかないはずがない。
 しかし、もうその冷静な光秀はいなかった。
 さらに接待役を外す外さないの、信長の命令に翻弄される。
 じつは、秀吉が毛利を抑えきれずに、助けを求めてきたことが原因なのだが…。
 それに憤った家来たちが、宴に使う食料を大宝殿の堀に捨ててしまう。
 その量は大量だ。
 腐臭が城下を覆う。
「しまった!」
 この失態を申し開きできないと感じた光秀。
 これが信長に叛旗をひるがえす、決定的なキッカケとなった。
 人の心のすれ違いというのはどこまでも。
 溝が深まれば深まるほど、疑心暗鬼になっていくものなのか。
 信長は城で軍議をしていて、その失態について、ほとんど知らなかった。
 かくして、本能寺の変がおこってしまう。
*   *   *
 本能寺の変は、あまりにも有名だし諸説あるので、覚え書きは割愛させていただくとして、この巻では、後半ほとんど光秀と信長の心のすれ違いが、どれほどだったか書かれている。
 あと、ほんの一歩二歩で天下布武は完成したはずだが、信長の最後はあまりにも、唐突であっけなく幕が切れた。覇王信長の感慨は如何ばかりか、とても凡人のオイラには推し量れない。
  人間五十年
  下天の内をくらぶれば
  夢幻のごとくなり
  一度生を得て滅せぬ者のあるべきか
「敦盛」の舞に、信長の気持ちがこめられているのだろうか。

 それにしても、本能寺の変には諸説あるようで、いろいろな方が小説やマンガで想像を巡らして描いている。そのなかで気になっているのは、加藤廣氏の“本能寺三部作”だろうか。そのうち読んでみたい。

2010年5月1日土曜日

織田信長(四)

 朝倉攻めは問題なく進んでいた。
 朝倉氏の居城・一乗が谷は目前だ。
 そこへ浅井からの使者が。
 信長は即座にその意味を悟る。
 浅井長政は妹婿。その油断がアダとなった。
 挟撃を避け、すばやく撤退。
 金ヶ崎の激戦をくぐりぬけ、命からがら京へ。

 信長は九死に一生を得た。
 今までなら、取って返すようにして反撃戦をするところだ。
 しかし、信長は成長している。
 時間を費やし反撃の機会をうかがう。
 そして、世に言う姉川の戦いへ。
 激戦。
 姉川は血河と化す。
 朝倉・浅井連合軍は強い。
 が、遠謀をめぐらし、何とか辛勝。
 しかし、両氏を叩きつぶすまでには至らず。

 この戦いで、信長弱体化と見てとったのは足利義昭か。
 周りの大名たちを、焚きつけはじめる。
 三好の残党はじめ、松永久秀、一向宗の本願寺や比叡山も巻き込んでいく。
 いわゆる信長包囲網だ。
 比叡山の中立に業を煮やした信長。
 とうとう比叡山を焼き討ちに。
 はたして、包囲網真打ちが動き出す。
 甲斐の虎・武田信玄。

 信玄はゆるゆると、駿河から三河へ。
 これを指をくわえて見過ごすには、家康は若すぎた。
 晩年の辛抱強い家康からは、考えられない無謀な抵抗。
 それを身を挺して、止める家臣たち。
 その甲斐あって、正気を取りもどす家康。
 だが、状況が好転したわけではない。
 野田城の攻防で膠着状態に。
 しかし、信玄がこんなところで足踏みをするはずがなかった。
 信玄は病を得ていたのだった。
 療養しながら、今後を見据えていた矢先、信玄は倒れる。

 家康・信長は最強の敵から救われた。
 信長は天皇の勅を拝し、足利義昭を将軍職から追い落とす。
 これにより足利幕府は消滅。
 とうとう積年の朝倉・浅井の討伐へ。
 朝倉をもみつぶすと、浅井にとりかかる。

 浅井長政は妹婿。
 信長は最後までこの男を惜しんだ。
 長政は孝にしたがい、父・久政のあと追う。
 が、長政は謀計にかかったふりをして妻と娘を逃がす。
 妹・お市の方とその娘たちは救われたのだった。

 さらに、信長は長島本願寺に矛先を向ける。
 信長は神仏を隠れ蓑にする輩を憎んだ。
 鬼のような攻撃。
 一向宗は狂信的な強さ。
 阿鼻叫喚。
 双方一歩も引かず、凄惨な戦いとなる。
*   *   *
 武田信玄の上洛戦は、信玄の死亡であっけない幕切れ。なんという運命のいたずらなのか。
 目の上のタンコブがなくなった信長は、破竹の勢いで周辺の敵を掃討していく。…が本願寺一揆との戦いは、ふつうの大名との戦いとは違って、凄惨を極めたようだ。
 信長はその特異な考えで、仏敵とみなされたが、神仏の加護を隠れ蓑にする輩を異常に憎んだようだ。

2010年4月26日月曜日

織田信長(三)

 だからといって、信長はうかつに美濃へは入らない。
 それよりも気にかかるのは東。
 信長は、岡崎にもどった松平元康と同盟を考える。
 元康は清洲へとやって来る。
 尾張者と三河者は、父祖の代から犬猿の仲。
 途中、弱冠十五、本多平八郎忠勝は吠えまくっている。
 しかし信長と元康は、旧知の仲。
 会って、すぐ幼い頃と同様に。
 今川に妻子を遺している元康。
 苦渋の選択のはずだが、元康は同盟を結ぶ。

 滝川一益が奇略で、伊勢手前の桑名を切りとる。
 一方、美濃への足がかりがなかなか抜けない
 柴田勝家などが、失敗するなか、藤吉郎が、自分にやらせてくれと嘆願。
 信長に大名に取り立てることを交換条件に、一世一代の勝負に出る。
 見事、美濃手前に楔を打ち込むことに成功。
 それをさらに信長は、藤吉郎を使って齋藤家中を分断。
 竹中半兵衛は齋藤家の忠臣だった。
 しかし、龍興の放蕩ぶりに、とうとう藤吉郎に降る。
 これにて、難攻不落の稲葉山城を攻略。
 信長はここへ居城を移し、“岐阜城”と名付ける。

 さて、ここから信長の疾風怒濤の攻略がはじまった。
 すでに、政略結婚で浅井家に妹のお市を。
 そして、武田家にも男女を嫁がせ二重の姻戚を結んでおいた。
 後顧の憂いを断っている。

 流浪する将軍義昭は、前の将軍・義輝の弟だが器は小さい。
 明智光秀・細川幽斎がこれを助けて、信長を頼る。
 明智光秀は武者修行し、朝倉家に奉公していた。
 これを見限って、足利将軍を助ける形で、織田家に主家を変える。
 明智光秀は濃姫のいとこでもあった。
 信長は、足利義昭を都へ帰参させることを旗印に上洛戦を敢行。
 その前に立ちはだかるのは、六角氏などの古豪。
 しかし、時勢は信長にあった。
 破竹の勢いで、京へのぼりつめる。
 そして、京周辺の豪族を掃討。
 松永久秀などは表裏比況。信長にいったんは降る。

 京の平定はほぼなった。
 世間は、信長がこのまま京に居着くと思っていた。
 しかし、さっさと岐阜へ戻ってしまう。
 信長はあくまでも、京の退廃を食い止めたかった。
 その行動は、民衆の心をもつかんでいった。

 しかし、京を整備するには金がかかる。
 信長は、堺衆に目をつけ、金を出させた。
 さらに、キリスト教の布教を容認。
 このことなどが、不利に働く。
 のちに信長包囲網を形成していく。

 さて、まだ信長の勢いは止まらない。
 北は朝倉氏を討伐のため、岐阜に戻ると見せかけつつ、周到に兵を動かす。
*   *   *
 信長と家康。小さいころの義がここにきて、活かされた。
 信長は、家臣を競わせながら用いるのが上手かったようだ。
 新興の家臣、滝川一益や藤吉郎秀吉を思い切って、重要な任務に抜擢。
 この行動が、上洛戦を楽にすすめるのに効果をあげる。
 しかし、ここからが彼の第二の正念場だった。

2010年4月2日金曜日

織田信長(二)

 弟・信行たちの謀反は失敗に終わった。
 柴田権六勝家は、この戦いで信長の真の器に気づく。
 しかし信行たちは、さらに信長暗殺を企てる。
 不意を襲われた信長は落馬。

 信行は病床の兄を見舞う。
 そう装って、自身て信長を殺そうと企む。
 しかし、その思惑は信長に看破されていた。
 信長は、先の戦いで安堵していた弟たちを、とうとうここで返り討ちに。
 暗殺に反対していた柴田権六は、生き残ったのだった。

 これにより家中の内紛を治まった。
 治安もよくなっている。
 信長は、国内に関所は設けず、風通しをよくしていた。
 自然、物流が活発になり国内は富んでいる。
 そんな民たちの暮らしぶりを見て回る信長。
 そんなある日、偶然声をかけられたのは、のちの秀吉・木下藤吉郎だった。
 実は藤吉郎、正攻法では仕官できないと考えてか、偶然を装って近づいたのだった。

 眼を東に転ずれば、今川義元が上洛しようと動き出していた。
 今川は武田・北条と同盟し、後顧の憂いを断っている。
 今川方・四万。一方、織田方は四千。
 勝敗は火を見るより明らかだ。
 なのに信長は、果報は寝て待て状態。
 家臣たちはヤキモキ。
 これは信長の作戦だ。
 敵を欺くには、まず味方から。
 意中を察しているのは、藤吉郎と少数の荒小姓たち。
 それ以前に動き出していたのは、前田犬千代利家。
 彼は賢妻・おまつと芝居をうって一緒に落ち延び、松平勢の懐柔に動き出していた。

 とうとう今川方は尾張領を侵して、砦を攻略しはじめる。
 先方で砦を落としたのは、のちの家康・松平元康。
 信長が“三河の弟”とかわいがっていた竹千代だ。
 今川にとっては、捨て駒のようなものだった。
 幸先のよい報せに、気をよくしていた義元。
 そこへ礼の者が。
 地元百姓たちが、供物を持ってやってきたのだ。
 義元の予定では、早々に大高城に入りたかった。
 しかし、このふたつの吉報で気をよくし、田楽狭間で休息をとることに。

 信長はこれを待っていた。
 田楽狭間の報せは、そのまま織田方の吉報となる。
 跳ね起きた信長は、誰よりも先頭にたって一路、熱田神宮へ。
 愛馬“疾風”の口輪をとるのは、台所奉行に昇進している藤吉郎だ。
 信長の電光石火の行軍は、田楽狭間に雷雲をも呼び寄せる。
 豪雷雨のなか、囮軍を利家に任せ、自身は北から攻め入る。
 虚を突かれた今川軍。
 あっという間に潰乱し、義元はあっけなく討たれてしまった。

 次は、美濃…と誰もが思う。
 しかし、信長は熊野詣に行くと言い出した。
 勤王活動の一環だと言う。
 しかし、それも裏をかいた行動だ。
 真の目的は京にある。
 将軍・足利義輝と謁見。
 剣聖将軍と称される義輝。
 その剣が災いとなっていた。
 信長は京の腐敗を見、尾張と比較し、義輝に剣を捨て、政に専念するよう説くのだった。

 藤吉郎は、そのころ堺で鉄砲の買い占めに。
 ここでは三好慶長が幅をきかし、将軍家はないがしろ。
 その家臣・松永久秀が慶長の座を狙っている、といった構図。
 これを利用して、口八丁で四百掟ゲット。

 そのころ美濃。
 道三を討って、跡目を継いだ義龍は本当の癩病に。
 実は、道三を遠ざけるため、仮病を使っていたのだ。
 しかし、何の因果か、信長を討とうと考えている矢先の発症。
 矢先も矢先、道三が自分の本当の父であることが発覚。
 その証拠の癩病に効くであろう父の形見の薬。
 なんと、あろうことか分量を間違えて一気飲み。
 劇薬と化した薬で、義龍は血を吐いて死んでしまう。
 その息子・義興は若干十八。でも油断はできない。
*   *   *
 尾張平定から天下布武へ。桶狭間の戦いは、まさにその転換点だったのだねぇ。
 この時代、味方をもだまして、作戦を遂行しないと、すぐに間諜に情報が漏れてしまうのだ。若いころから「敵を欺くには、まず味方から」を地で行っていた信長。まさに電光石火で今川義元を討ったのだね。

2010年3月24日水曜日

織田信長(一)

 信長は、美濃の斉藤道三の愛娘・濃姫と結婚。
 マムシの道三の娘は利発だ。
 信長の“うつけ”の仮面を見破ることに、時間はかからない。

 尾張は、今でこそ父・信秀が治めているが、混沌としている。
 信秀は、家臣から“大うつけ”信長を廃嫡するよう迫られる。
 父の目からは、ひいき目を引いても、信長がただのうつけ者とは思えない。
 迷う信秀。そんななかで急死してしまう。
 そんな父へ、怒りの焼香をする信長。
 さらに目付家老の平手政秀が、信長の“うつけ”を戒めるため、切腹してしまう。
 弟・信行との確執はさらに深くなり、孤立していく信長。
 
 そんなおり、舅・斉藤道三と会見することに。
 道三は、信長をあわよくば、毒牙にかけようと待ち構えていた。
 しかし、その見事な拝謁ぶりに、すっかり心酔してしまった。

 美濃を後ろ盾にし、国内平定を進める信長。
 しかし、親族・家中たちの思惑は、まさに戦国乱世。
 そこに女たちの思惑もからむ。
 信長は、それらをうまく利用してゆく。
 言葉通り、血で血を洗う骨肉の争い。

 斉藤道三は年老い、嫡男・義龍との亀裂はいよいよ深い。
 家臣の寝返りで、稲葉山城を追い出されてしまう。
 決戦は秒読み状態だ。
 信長は、将軍家嫡流の斯波氏を再興。
 今川方を牽制し、時を待って、舅を助けるため出兵。
 電光石火の出兵で、敵を翻弄する信長。
 しかし道三は娘婿に望みを託し、この世に見切りをつける。

 喜んだのは、弟・信行だ。
 これを機に、一気に信長を追い落とそうとする。
 だが信長は、小さいころから走り回った領地の利を熟知していた。
 そう。ただ遊び回っていたわけではなかったのだ。
 敵の裏をかき、渡れるはずのない河をわたり、信行の目付家老・柴田権六(勝家)の背後をつくのだった。
*   *   *
 とかく信長というと、独善的というか、あまりいいイメージがないのだけれど、この章での信長にはそれを感じない。大望を胸に、自分自身にも鬼になって突き進むウラには、優しさが見え隠れしている。というかその逆だろうか?
 幼少のころから、骨肉の争いに身をさらしながら、それを一つずつ乗り越えるたびに、荘重に成長していく。

2010年2月24日水曜日

坂の上の雲(八)

 巡洋艦「和泉」は、バルチック艦隊を追っている。
 信濃丸からの連絡で、対馬海峡へ現れるのは確実だ。
 和泉は、敵の針路を、慎重に探った。
 素晴らしい正確さだった。

 旗艦「三笠」に無線が入る。
 真之は、小躍りならぬ阿波踊り。
 さっそく、東京・大本営へ上奏する電文を考える。
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」
 一般に美文とされるが、そうではないとは、著者。
 その当時、高等技術である天気予報。
 それを、ほぼそのまま流用した。
 それに、敵を迎え撃つには絶好条件なのだった。
 東郷艦隊、抜錨。
 満を持して、対馬海峡へ。

 「天佑」としか言いようがない。
 この言葉が、真之の口癖になった。
 彼はこの海戦で、神霊を強く信じるようになった。

 バルチック艦隊は、沖ノ島近くに姿を現す。
 その周りには、「和泉」はじめ日本の駆逐艦。
 つかず離れず、まるで送り狼だ。
 そこへ、遠く東郷艦隊が姿を現す。
 天気晴朗とはいっても、モヤで見通しは悪い。
 双方気がついたときには、肉眼で確かめられるぐらいに近づいていた。

 バルチック艦隊というより、ロジェストウェンスキー。
 北進して、あわよくばウラジオストックへ遁走しようと考えていた。
 一方、東郷艦隊は一艦残らず沈めなければならない。
 一艦でも逃せば、ウラジオストックから、満州への補給艦を襲われるからだ。
 要するに、敵を北進させず、かつ撃沈するのが目的だ。
 というわけで東郷さんはなんと、敵前でUターンを命令。
 とてつもなく危険な賭けだ。
 Uターン中、艦隊は動きが止まったも同然で、格好の標的となる。
 もちろん、集中砲火を浴びた。
 ここはじっとがまんだ。
 この戦法が、真之の考えた「丁字戦法」だった。
 つねに、敵旗艦「スワロフ」の頭を抑える戦法だ。

 日本側は、この日のために独自の射撃法を編みだした。
 砲火指揮系統を統一し、一斉射撃をさせたことだ。
 それまでの海戦は、単艦で各々判断して、好き勝手に撃っていた。
 Uターン行動にしろ、何にしろ、東郷艦隊はシンクロのようだ。
 隊列は乱れず、砲撃も一斉射撃。
 それも命中率は抜群!
 開戦から30分で、ほとんど勝敗は決まってしまった。

 真之は「丁字戦法」を皮切りに「七段構え」の戦法を考えていた。
 しかし、その三段階で、この海戦は終息していった。
 ひとつは、敵旗艦「スワロフ」の大破。
 ひとつは、バルチック艦隊提督・ロジェストウェンスキーの拿捕。
 あとひとつは、途中合流した、第三戦艦戦隊のネボガトフ少将が、戦わずして降伏したことだった。

 四日後、海戦は終結した。
「三笠」は佐世保へ。
 秋山兄弟の母・お貞はなくなっいてた。
 真之号泣。好古は満州でこの報に触れた。
 この時点で、兄ちゃんはまだ奉天で、コサック騎兵隊を迎撃をしている。
 間もなくアメリカ大統領ルーズヴェルトの仲介に寄って、ポーツマスで講和条約が締結された。

 日本連合艦隊解散の辞で、東郷さんは言う。
「勝って、兜の緒を締めよ」と。
 しかし、増長した日本は40年後、太平洋戦争へ。

 真之は、根岸・子規宅へ。
 子規の母と妹を訪ねようとした。
 長い間、外でたたずんでいたようだ。
 家には入らず、墓のある大竜寺へと足を向ける。
 寺に向かう坂は雨。
 そう。坂の上は雨なのだった。

 真之は、49歳で亡くなった。長命でなかった。
 晩年は、神霊を信じ、少し気が違ったようだ。
 息子に僧になるように、強く勧めて死んでいった。
 息子は約束を守る。

 好古は、大将で退役し、松山の中学校の校長になった。
 終生、福沢諭吉を尊敬した。
 晩年、校長を辞め、東京に帰り、
「もう、あしのすることはした。逝ってもええんじゃ」
 と言って、病床の人となった。
 最後の言葉は「奉天へ…」。
*   *   *
 とうとう、読み切った。長かった。難しかったぁ!
 三巻から、もうほとんど日露戦争なので、正直とてもつらかった。
 いかに、日本の勝利が奇蹟だったか、読み終えてよく分かったが、同時に、その勝利が太平洋戦争の引き金になっていったと思う。
 あんなに前途洋々だった明治初期から、日露戦争を経て、大正の飽和時代を迎え、昭和の大恐慌に向かい、太平洋戦争へ…。
 …ん!? なんか今の時代って、大恐慌時代に似てない!? 
 前途洋々だった高度成長期、その後の飽和なバブル期、そしてこの不景気…。さすがに、日本は自ら戦争を起こすようなことはない…。
 明治時代は、世界に真の「侍魂」を見せつけた時代だったんだな。

2010年2月1日月曜日

坂の上の雲(七)

 日本はもう、精根尽きている。
 物資や砲弾だけではない。
 投入される兵士たちも、40過ぎの老兵。
 一方、ロシア軍。
 シベリア鉄道に乗って、ピカピカ装備の若い兵士たちがやってくる。
 どこをどう考えても、ロシアが負けるはずがない。
 それを覆してしまったのは、クロパトキンその人だった。
 彼の、病的なまでに神経質な作戦変更が、文字通り日本を救う。

 好古は、左翼・乃木軍の旋回しながら前進する、さらに最左翼に位置する。
 三千ほど率いて、ロシアの右翼後方へ。
 これにクロパトキンびっくり!
 このまま攻めれば、勝利目前のロシア軍右翼。
 それを、なんと退却させてしまう。
 さらに神風か!? 猛風塵がふきあれる。
 日本側は、これに乗じて大河である渾河を、難なく渡ってしまう。
 しかし、ロシア側もこの風に乗じて退却してしまう。

 ともかく、優勢ロシアは退却した。
 連戦連勝で、日本国内は浮かれ気分。
 実際は、クロパトキンが負けてくれている。
 とりあえず日本は勝った? ということらしい。
 この機会を逃してはならない。
 児玉は、政府の尻を叩き、講和を進めるため東京へ。
 仲介役をお願いしたかったのは、米国ルーズヴェルト大統領。
 当時、彼は、日本のよき理解者だった。
 そして、状況を超客観的に分析していた。
 でも、駐米大使の高平小五郎が、
「日本艦隊は弱いらしい」
 いらぬことを、吹聴してしまった。
 これで、日本海海戦は避けられない状況に。

 バルチック艦隊はベトナム沖で、ロシア第三艦隊を待っている。
 皇帝(厳密には皇后)の、いらぬおせっかいでやってくる老朽艦隊だ。
「もう、そろそろ日本の哨戒区域に引っかかってもよさそうなのに」
 真之はいらだっている。
 十中八九、敵は対馬海峡を通るだろう。
 でも残りの可能性が、時間につれて肥大化してゆく。
 それは、太平洋廻りでウラジオストックへ行ってしまうというもの。
 決戦前々日、混乱はピークに達していた。

 バルチック艦隊を見た日本人。
 それは、宮古島のヤンバル舟の船乗りだ。
 これを知らせるだけのために、報告書を作成し、はじめて印鑑をつくった。
 さらに、国家に報告しなければ!
 石垣島にしかない電信機へ行くため、漁師へ頼む。
 この当時、宮古島から石垣島へヤンバル舟で行くということが、どれだけ冒険的なことか!
 五人の青年が、それをやってのける。
 国家機密ということで、彼らは昭和に入るまで、妻にもこのことを黙っていたという。
 国家というものが、庶民にとってどういう存在か、この一例でよく分かる。
 しかし、彼らが報告する直前、バルチック艦隊を発見したのは、哨戒中の仮武装汽船“信濃丸”だった。
*   *   *
 奉天会戦でのクロパトキン。勝てる戦だったのに。日本にとっては奇蹟としか言いようがないっス。腐ったロシア帝政に、助けられたとしか言いようがない。
 それは、海の戦いにも言えるのか!? 不動の東郷さんがシブい!

2010年1月22日金曜日

哄う合戦屋

 実は、年末に図書館に予約してあった。
 新刊だし人気があるようで、なかなか手元まで届かなかった。
 坂の上の雲も先か気になる。
 しかし、これはページ数もあまり多くないし、地元周辺が舞台。
 すんなり読めるかなと…。
 なにせ、図書館に返す期限があるし…。
 イレギュラーだが、こちらを先に読ませてもらおう。
*   *   *
 ときは、戦国乱世まっただ中の中信濃。
 北越を長尾景虎が統一。南は武田晴信が諏訪を切り取っていた。

 保福寺峠(松本市−青木村)。
 青木方面へ帰る、豪族・遠藤吉弘の姫・若菜。
 若菜は、ひばりの巣を観察する巨漢・石堂一徹と出会い、屋敷へ招く。
 石堂一徹の豪勇は、信濃一円に鳴り響いていた。
 が、この男、ただの暴勇ではなく、絵などを解する繊細さを持ち合わす。
 そんな男が何を考えたか、遠藤家に仕官する。

 ある日、近隣の高橋家が当家に夜討ちをかける、という情報を得る。
 頭領である吉弘は、野武士の鎮圧に出かけ留守だ。
 一徹は、落ち着き払って対処しはじめる。
 奇計をもって、高橋を討ち取る。
 さらに、吉弘と合流。
 勢いに乗じて、相手方の城を占領。
 一徹の本領が発揮された、最初の戦だった。

 それからは連戦連勝。
 何かに憑かれたように、所領を拡大していく遠藤家。
 四千石だった領土は、気づけば二万四千石。
 信濃守護の小笠原長時に、比肩するまでになっていた。

 一徹には、その軍師的才能に裏打ちされた野心があった。
 それは、遠藤吉弘を天下人にすること。
「自分に将器はない。しかし軍師として天下を取りたい」
 その孤高の志しも、理解者は姫の若菜だけだった。

 そんななか、松本平に武田が進攻するという情報が。
 小笠原を主とした連合軍で、武田を迎え撃つか。武田に降るか…。
 しかし、一徹の考えはどちらとも違う。
「小笠原以下の豪族を掃討し、武田を迎え撃つ!」
 しかし、到底、常人は上策とは考えない。
 一徹と吉弘の間に、ズレが生じはじめたのもこのころだ。
 吉弘に領土拡大の大望はすでにない。
 一徹と若菜の間の親密さもいぶかって、一徹を疎みはじめていた。
 吉弘は、一徹の策を嫌い、小笠原連合軍に加担することを決める。

 一度は、遠藤家から身を引こうと考えた一徹。
 それを引き止めたのは、若菜の彼への決然とした想いだった。

 はたして一徹は、連合軍のなかで、武田方を迎え撃つ…。
*   *   *
 とにかく読みやすかった。史実を舞台にしているので、登場人物たちが活き活きとしていたと思う。
 しかし、一徹の考えが孤高に過ぎて、イマイチ感情移入しにくいのと、若菜とのプラトニックな関係も解しかねる。まあ、自分が凡人なのだから仕様がないか…。
 それに、石堂一徹と山本勘助がダブるのが気になるなぁ(比べるのはナンセンスかもしれないけど^ ^;)。勘助が、人間臭さから成長して孤高に達していくのに対して、一徹は真逆の成長をしたように感じた。

2010年1月17日日曜日

坂の上の雲(六)

 黒溝台は大激戦。というより地獄。
 司令部は、事実上機能していないに等しい。
 秋山隊は陣地を死守。
 好古の頭に退却の二文字はない。
 司令部は、中央・右翼を左翼へ逐次投入。
 自然、中央部の守りが薄くなる。
 しかし、敵将クロパトキンはミシチェンコを追い落とすため、あえて攻めてこない。
 ロシアの上級士官たちは、皇帝のご機嫌うかがいしか考えていない。
 敵は日本でなく、ロシア国内だった。
 中央突破されていたら、日本は確実に負けていただろうと考えられる。

 バルチック艦隊は、マダガスカルで足止めを喰っている。
 理由はさまざま。
 ひとつは、石炭が潤沢に供給されないこと。
 ひとつは、本国が第三艦隊を増派することを決定。それを待つことに。
 もうひとつは、旅順が陥落したことの様子見でもあった。
 ロジェストウェンスキーは、国内情勢の不安もあって、呼び戻されると考えていたらしい。
 その間、兵たちの士気はみるみる落ちてゆく。

 ロシアは連戦連敗中。
 そのあおりを喰って、国内では不穏な空気。
 にわかに地下活動が活発となる。
 それを後押ししたのが、日本の明石元二郎大佐。
 ようするに、スパイとしてフィンランドへ。
 彼は、スパイのイメージからはほど遠く、ぱっとしなかった。
 しかし、逆にその実直な性格が買われる。
 フィンランド憲法党のカストレン・過激反抗党のシリヤクスと親しくなった。
 そして、時流に乗って地下活動を援助。
 ロシア属国であるフィンランドから、火の手を上げる。
 ロシアは、これに過剰反応した。
 司祭ガポンに率いられた、ただのデモ行進に警備兵たちが発砲。
 数百人が死傷する。
 かの、“血の日曜日(Bloody Sunday)”だ。

 旅順を陥した乃木軍。
 遼陽の本体と合流するため、北へ。
 意地知は閑職に回され、新しい参謀が配属される。
 乃木は運が悪い。
 列車移動中、その新しい参謀が橋から謝って墜落し重体。
 到着地で、更に新しく配属された参謀は、黄疸を発症。
 結局、若い士官・津野田大尉がその後を継ぐ形。

 そのころ、真之ら東郷艦隊は呉を出発し、鎮海湾へ。
 東郷は、黄海会戦の教訓を生かし、執拗なまでに射撃訓練。
 明けても暮れても、浮き島の的を標的を狙い撃ち。
 日本軍は、標的の指示など、攻撃系統を艦橋から統合的に行う。
 この試みは史上初だったらしい。
 ここで面白いのが、将兵たちに敵艦名を覚えさせた方法だ。
 「アレキサンドル三世」を“あきれ三太”。
 「ボロジノ」をぼろ。
 「アリョール」が蟻寄る。
 ほとんどオヤジギャグ。

 その敵艦隊は、まだマダガスカル沖を漂っている。
 約三ヶ月も、打ち捨てられていた。
 自然、士気が衰え、風紀は乱れる。
 港町は歓楽街になり、売春宿が林立。
 しかし、それもようやく敵国へ出港するという形で、終わりを告げる。

 海の決戦が近づくころ、陸の決戦も近づきつつあった。
 奉天会戦。
 日本軍は、松川大佐の献策を実行するべく行動し始める。
 その作戦とは、左翼(西部)に揺動の大軍(乃木軍+秋山支隊)を出す。
 さらに右翼にも(鴨緑江軍)。
 そして、手薄になった中央を突破。というもの。
 そんなにうまくいくんかい!?
 しかし、児玉はクロパトキンの癖を見抜きつつあった。
 このロシア大将は、秀才ではあったが、天賦の才ではなかった。
 ようするに神経質で、日本軍を過大評価しすぎていた。
*   *   *
 好古兄ちゃんは、ロシア国内の政争のおかげて命拾い。
 バルチック艦隊は、実は、史上初の大冒険をやってのけた。ただ、彼らにそんな感覚は微塵もない。「なんで自分らがこんな目に…」と思ってる。
 それを押さえ込んでる皇帝にも“革命”の影が忍びより、ロシア革命の引き金となった“血の日曜日事件”が起こってしまう。
 いよいよ日露戦争もクライマックスへ。

2010年1月6日水曜日

坂の上の雲(五)

 児玉源太郎は、意を決して旅順へ。
 乃木将軍から統帥権を“借用”し、一気に二〇三高地を攻める。
 強力な28cm榴弾砲。
 それを、無理矢理近場へ持っていき、ガンガン撃ちまくる。
 児玉は乃木軍参謀陣にうとまれながら、一見無茶な作戦を強行。
 しかし、今までの無能な力押しの作戦から、強行ではあるが、理にかなった作戦だった。
 児玉は、乃木軍司令部のように、後ろでぬくぬくとしていなかった。
 前線を視察し、現状を、自分の足で把握するよう努めた。
 結果、あれだけ苦戦した二〇三高地は、二日ぐらいで陥落。
 さらに、28cm榴弾砲で旅順港を狙う。
 当てずっぽうの弾が、敵艦に当たっていく。

 上により、旅順艦隊は壊滅。
 これにより、東郷艦隊は艦隊整備のため、日本へ帰れることに。
 しかし、バルチック艦隊の動向が気になる。
 真之は、一時的に東京に帰京。
 …が、バルチック艦隊で頭がいっぱいだ。
 天井ばかりにらんでいる。

 バルチック艦隊は、そのころスリランカにいる。
 敵将・ロジェストウェンスキーは皇帝に媚び、寵愛を受けていた。
 そして、バルチック艦隊の司令官になる。
 …望んだかどうかは別として。
 器量は小さく、いつも怒鳴ってばかり。
 出発して、バルト海から大西洋を南下。アフリカ喜望峰を経由する。
 ドッガーバンクで、イギリス漁船を日本軍と勘違い。
 メッタ撃ち。
 イギリス激怒。
 日本との同盟もあって、大抗議&大妨害。
 寄る港、寄る港、ことごとく総スカン。

 艦隊がなくなったとはいえ、旅順要塞は落ちてはいない。
 ロシア軍も勇猛に戦った。
 しかし、督戦していた士官が戦死。
 これを機に、敵将の気持ちが萎えはじめる。
 まだ十分に戦えるのに、降伏してしまう。

 遼陽付近は、膠着状態のまま冬営に入る。
 秋山支隊は、左翼・黒溝台付近に展開している。
 さかんに騎兵を使っての諜報活動。
 一部などは、ロシア軍の後ろに回り込んで、鉄橋を爆破したりするという大活躍。
 ロシア側は、グリッペンベルグ大将を派遣。
 コサック大隊が左翼に迫る。
 この地方の寒さは半端でない。
 好古は諜報で、コサックが押し寄せてくることを再三、司令部へ報告する。
 しかし司令部は、こんな寒さでは敵も戦えないと思い込んでいた。
 報告を黙殺。
 好古兄ちゃん大ピンチ!!
*   *   *
 児玉源太郎が盟友・乃木希典を救う。
 乃木将軍は偉人として、いろいろと逸話が多い人物だけれど、そうでもなかったということか。
 児玉が乃木を救ったことはひとつの賭けだった。当時はタブーとされたらしく、児玉源太郎は英雄としては語られていない。
 話には聞いたことがあったけれど、バルチック艦隊って、ほぼ地球一周してきたような大航海をしたのだねぇ。それだけでもすごい。でもそれが、ある意味命取りになったのか。
 さぁ、とうとうコサック騎兵隊が好古を襲う。ほとんど絶望的。兄ちゃんはどうシノいだのか!?