2010年1月17日日曜日

坂の上の雲(六)

 黒溝台は大激戦。というより地獄。
 司令部は、事実上機能していないに等しい。
 秋山隊は陣地を死守。
 好古の頭に退却の二文字はない。
 司令部は、中央・右翼を左翼へ逐次投入。
 自然、中央部の守りが薄くなる。
 しかし、敵将クロパトキンはミシチェンコを追い落とすため、あえて攻めてこない。
 ロシアの上級士官たちは、皇帝のご機嫌うかがいしか考えていない。
 敵は日本でなく、ロシア国内だった。
 中央突破されていたら、日本は確実に負けていただろうと考えられる。

 バルチック艦隊は、マダガスカルで足止めを喰っている。
 理由はさまざま。
 ひとつは、石炭が潤沢に供給されないこと。
 ひとつは、本国が第三艦隊を増派することを決定。それを待つことに。
 もうひとつは、旅順が陥落したことの様子見でもあった。
 ロジェストウェンスキーは、国内情勢の不安もあって、呼び戻されると考えていたらしい。
 その間、兵たちの士気はみるみる落ちてゆく。

 ロシアは連戦連敗中。
 そのあおりを喰って、国内では不穏な空気。
 にわかに地下活動が活発となる。
 それを後押ししたのが、日本の明石元二郎大佐。
 ようするに、スパイとしてフィンランドへ。
 彼は、スパイのイメージからはほど遠く、ぱっとしなかった。
 しかし、逆にその実直な性格が買われる。
 フィンランド憲法党のカストレン・過激反抗党のシリヤクスと親しくなった。
 そして、時流に乗って地下活動を援助。
 ロシア属国であるフィンランドから、火の手を上げる。
 ロシアは、これに過剰反応した。
 司祭ガポンに率いられた、ただのデモ行進に警備兵たちが発砲。
 数百人が死傷する。
 かの、“血の日曜日(Bloody Sunday)”だ。

 旅順を陥した乃木軍。
 遼陽の本体と合流するため、北へ。
 意地知は閑職に回され、新しい参謀が配属される。
 乃木は運が悪い。
 列車移動中、その新しい参謀が橋から謝って墜落し重体。
 到着地で、更に新しく配属された参謀は、黄疸を発症。
 結局、若い士官・津野田大尉がその後を継ぐ形。

 そのころ、真之ら東郷艦隊は呉を出発し、鎮海湾へ。
 東郷は、黄海会戦の教訓を生かし、執拗なまでに射撃訓練。
 明けても暮れても、浮き島の的を標的を狙い撃ち。
 日本軍は、標的の指示など、攻撃系統を艦橋から統合的に行う。
 この試みは史上初だったらしい。
 ここで面白いのが、将兵たちに敵艦名を覚えさせた方法だ。
 「アレキサンドル三世」を“あきれ三太”。
 「ボロジノ」をぼろ。
 「アリョール」が蟻寄る。
 ほとんどオヤジギャグ。

 その敵艦隊は、まだマダガスカル沖を漂っている。
 約三ヶ月も、打ち捨てられていた。
 自然、士気が衰え、風紀は乱れる。
 港町は歓楽街になり、売春宿が林立。
 しかし、それもようやく敵国へ出港するという形で、終わりを告げる。

 海の決戦が近づくころ、陸の決戦も近づきつつあった。
 奉天会戦。
 日本軍は、松川大佐の献策を実行するべく行動し始める。
 その作戦とは、左翼(西部)に揺動の大軍(乃木軍+秋山支隊)を出す。
 さらに右翼にも(鴨緑江軍)。
 そして、手薄になった中央を突破。というもの。
 そんなにうまくいくんかい!?
 しかし、児玉はクロパトキンの癖を見抜きつつあった。
 このロシア大将は、秀才ではあったが、天賦の才ではなかった。
 ようするに神経質で、日本軍を過大評価しすぎていた。
*   *   *
 好古兄ちゃんは、ロシア国内の政争のおかげて命拾い。
 バルチック艦隊は、実は、史上初の大冒険をやってのけた。ただ、彼らにそんな感覚は微塵もない。「なんで自分らがこんな目に…」と思ってる。
 それを押さえ込んでる皇帝にも“革命”の影が忍びより、ロシア革命の引き金となった“血の日曜日事件”が起こってしまう。
 いよいよ日露戦争もクライマックスへ。