黒溝台は大激戦。というより地獄。司令部は、事実上機能していないに等しい。
秋山隊は陣地を死守。
好古の頭に退却の二文字はない。
司令部は、中央・右翼を左翼へ逐次投入。
自然、中央部の守りが薄くなる。
しかし、敵将クロパトキンはミシチェンコを追い落とすため、あえて攻めてこない。
ロシアの上級士官たちは、皇帝のご機嫌うかがいしか考えていない。
敵は日本でなく、ロシア国内だった。
中央突破されていたら、日本は確実に負けていただろうと考えられる。
バルチック艦隊は、マダガスカルで足止めを喰っている。
理由はさまざま。
ひとつは、石炭が潤沢に供給されないこと。
ひとつは、本国が第三艦隊を増派することを決定。それを待つことに。
もうひとつは、旅順が陥落したことの様子見でもあった。
ロジェストウェンスキーは、国内情勢の不安もあって、呼び戻されると考えていたらしい。
その間、兵たちの士気はみるみる落ちてゆく。
ロシアは連戦連敗中。
そのあおりを喰って、国内では不穏な空気。
にわかに地下活動が活発となる。
それを後押ししたのが、日本の明石元二郎大佐。
ようするに、スパイとしてフィンランドへ。
彼は、スパイのイメージからはほど遠く、ぱっとしなかった。
しかし、逆にその実直な性格が買われる。
フィンランド憲法党のカストレン・過激反抗党のシリヤクスと親しくなった。
そして、時流に乗って地下活動を援助。
ロシア属国であるフィンランドから、火の手を上げる。
ロシアは、これに過剰反応した。
司祭ガポンに率いられた、ただのデモ行進に警備兵たちが発砲。
数百人が死傷する。
かの、“血の日曜日(Bloody Sunday)”だ。
旅順を陥した乃木軍。
遼陽の本体と合流するため、北へ。
意地知は閑職に回され、新しい参謀が配属される。
乃木は運が悪い。
列車移動中、その新しい参謀が橋から謝って墜落し重体。
到着地で、更に新しく配属された参謀は、黄疸を発症。
結局、若い士官・津野田大尉がその後を継ぐ形。
そのころ、真之ら東郷艦隊は呉を出発し、鎮海湾へ。
東郷は、黄海会戦の教訓を生かし、執拗なまでに射撃訓練。
明けても暮れても、浮き島の的を標的を狙い撃ち。
日本軍は、標的の指示など、攻撃系統を艦橋から統合的に行う。
この試みは史上初だったらしい。
ここで面白いのが、将兵たちに敵艦名を覚えさせた方法だ。
「アレキサンドル三世」を“あきれ三太”。
「ボロジノ」をぼろ。
「アリョール」が蟻寄る。
ほとんどオヤジギャグ。
その敵艦隊は、まだマダガスカル沖を漂っている。
約三ヶ月も、打ち捨てられていた。
自然、士気が衰え、風紀は乱れる。
港町は歓楽街になり、売春宿が林立。
しかし、それもようやく敵国へ出港するという形で、終わりを告げる。
海の決戦が近づくころ、陸の決戦も近づきつつあった。
奉天会戦。
日本軍は、松川大佐の献策を実行するべく行動し始める。
その作戦とは、左翼(西部)に揺動の大軍(乃木軍+秋山支隊)を出す。
さらに右翼にも(鴨緑江軍)。
そして、手薄になった中央を突破。というもの。
そんなにうまくいくんかい!?
しかし、児玉はクロパトキンの癖を見抜きつつあった。
このロシア大将は、秀才ではあったが、天賦の才ではなかった。
ようするに神経質で、日本軍を過大評価しすぎていた。
* * *
好古兄ちゃんは、ロシア国内の政争のおかげて命拾い。バルチック艦隊は、実は、史上初の大冒険をやってのけた。ただ、彼らにそんな感覚は微塵もない。「なんで自分らがこんな目に…」と思ってる。
それを押さえ込んでる皇帝にも“革命”の影が忍びより、ロシア革命の引き金となった“血の日曜日事件”が起こってしまう。
いよいよ日露戦争もクライマックスへ。