2009年11月25日水曜日

坂の上の雲(二)

 日清戦争がはじまった。
 発端をひとことでは言えない。
 日本は欧州列強と渡り合うために、防衛線を朝鮮に欲し、その当時、朝鮮は清の属国だった。
 日本が外交によって、無理矢理、李王朝を味方につけてしまった。
 名目上は「朝鮮を守る」という形。清がそれを許すわけがない。…といった感じ。

 真之。この戦争では、砲艦“筑紫”という小さい船に乗り組む。
 前線の戦略にブーイングしながらも、冷静に戦況を分析した。

 好古。実質、騎兵隊指揮官として、旅順を攻略。
 騎兵の性格もあって、策敵はすばらしい成果をあげる。
 でも当時、騎兵は“無用の長物”扱いに近かったらしい。
 攻略で無理をした。
 騎兵は戦術というより、戦略的にうまく使えば絶大な効果を産むらしい。
 好古はそれを、研究し、実践で成果を上げたかった。が、うまくいかなかったようだ。
 でも、前線の大将として気骨ある立居振舞。リーダーはこうありたいと思わされる。

 子規。どうしても従軍したい。羯南に懇願してとうとう旅順へ。
 しかし、行ったときには戦争は終結。
 帰還の船内で容態が悪くなり、神戸で療養し、なんとか峠を越す。
 その後、静養で松山に。
 このころ夏目漱石が松山中学校に赴任していて、このころの出来事が「坊ちゃん」の着想になった。子規は漱石と仲が良かったらしい。
 そこに真之が見舞いに訪れたりしている。
 小康を得て、松山を後にし近畿地方など歩いた。
 そのときできた俳句に“柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺”がある。

 真之は、表向き留学という形でアメリカへ。
 アメリカはこのころまだまだ後進国で、得るものは少ないと思われていた。
 が、真之がいるときに米西戦争が勃発。
 観戦武官として、キューバ島へ。
 真之は、克明にメモを取り、のちの日露戦争で役に立つことに。

 この時代は、帝国主義全盛時代。
 ヨーロッパを中心に、アジアを食い物にし、極東に至る。
 ドイツとロシアは皇帝同士で密談し、清を食い物にする相談。
 司馬さんが言うには、清を“家畜”にしないで“食肉”とした。
 これに、ただひとり極東進出に反対していた。
 ロシアのウィッテ伯爵という大蔵大臣は、極東に詳しい。
 そんな各国が、清の利権に“食らいつく”なか、北清事変が勃こる。
 内乱に清国政府がそれに乗っかる形。
 その鎮圧に各国が乗り出し、日本も参加。
 どさくさにまぎれて、ロシアは遼東半島を占領してしまう。
 ロシア(少なくとも皇帝ニコライ2世)は、日本をナメきっていた。
*   *   *
 二巻から社会情勢がぐっと多く語られ、正直むずかしい。ただ、この本を読んでいけば、なぜ日本があの太平洋戦争に突入していくのか、分かっていくと思った。
 とにかく、日本は列強に追いつくことに必死だ。そうしないと、清のように“食い物”にされてしまうからだ。自然、軍の増強が加速していった。
 ちょんまげを落として、わずか30〜40年でロシアとわたり合うことが、いかに奇跡だったのかが、語られていく。

2009年11月16日月曜日

坂の上の雲(一)

 いや〜。
 NHKに踊らされていることは分かってる。
 けれど、思わず古本屋でまとめ買いしてしまったわけで…。
 TVドラマを見ればおのずとストーリーも分かる。
 ここで覚え書きするには、ちと内容も濃い。
 なのでとりあえず「読みました」的な程度の覚書と感想を。
*   *   *
 主人公は秋山好古・真之兄弟と正岡子規。三人とも伊予松山の人。
 このころの日本は、勉強すること=お金を稼ぐこと、だった。
 好古は秋山家の長男。今でいう中学生ぐらいの歳に真之が生まれたとき、貧乏で家族が多く「寺に出さねば育てられない」というのを、「お豆腐ほどお金をこさえる」からやめてくれと止めた。
 その言葉通り、好古は早くから家を出て、苦学しながら、最終的には給料をもらいながら勉強できる士官学校へ。体格がよいということもあって騎兵を選択する。

 だから弟の真之は、兄・好古に頭が上がらない。
 真之も兄に負けず劣らずの秀才。そして、すごいガキ大将で伝説になるくらいだった。
 同級生に正岡子規がいた。こちらも秀才だ。
 ふたりとも上京し、大学予備門に入る。一時期は同居していたこともあって、そのころの仲間を子規は“七変人”と言って青春を謳歌した。

 そんなふたりも、人生の岐路に立つ。
 このころの学生は大学予備門を中心に、ある分野で一番になることだけを考えた。
 真之は予備門の勉強で拓ける分野のなかに、一番になれる職業がないことを早いうちから悟り、子規に内緒で兄・好古に相談し、海軍兵学校に入ることを決める。これが後々の名参謀になる道だった。
 子規は哲学の道で一番になりたかった。しかしこちらも一番になれないことを悟り、徐々に文学〜俳句への道へと移っていく。

 このころ、好古はフランスに留学する。
 時代は“ドイツ(プロシャ)式”になる世の中なのに、旧藩主のお目付役として半強制的に、古い考えのフランス軍学を学ぶことになってしまった。…が、騎兵だけはドイツよりフランスのほうが理にかなっていることを知り、陸軍トップの山県有朋に献言する。
*   *   *
 かなり興味深く読んでいるけれど、何せ自分はバカなので、その当時の政治情勢、国際情勢、文化情勢がよく分かっていないで読んでいる。山県有朋とか陸羯南とか、名前は聞いたことはあるけれど…ぐらいの知識しかない。間違って理解しているところもあるかもしれない。これはドラマを見て補えればなぁ、と思っている。

 それにしても、幕末維新この時代は、傑物たちが、雲が湧き立つよう登場する。時代がそうさせるのだろうか? 若者たちはエネルギッシュだ。希望に胸ふくらましながら、世界へと邁進して行く。

2009年11月10日火曜日

宮本武蔵(八)

 高野山には長岡佐渡の姿が。細川家法要の準備のためだ。
 その帰り、真田幸村の子・大助に出迎えられ、閑居している幸村から、若かりしころの武蔵と京都・妙心寺の愚堂禅師の門で一緒だったことなどを聞かされ、武蔵の人物をさらに改める。

 伊織は、茫然自失の体でとぼとぼと、岸和田方面へ。
 行きずりの回船問屋の小林母娘に助けられ、店に置いてもらう。
 慣れない丁稚奉公の最中、細川家家中に小次郎の姿がある。仕返しのお茶の熱湯をぶっかける伊織。怒る小次郎。目には目を、と、熱湯をかけるバツを与えようというときに、長岡佐渡が戻って来る。伊織は法典が原の大徳寺で、その人を知っていた。佐渡に助けられた伊織は、彼の奉公人として小倉まで付いて行くことに。

 武蔵はその後どうしたろうか?
 名古屋近く、岡崎にその姿があるらしい。
 無可先生と称して、手習いなど子どもたちに教えながらある人を待っていた。
 又八もその人を待っている。又八のわだかまりは沢庵によってすでに解けていた。
 二人して待っているのは、武蔵が若年教わっていたという愚堂禅師。
 又八は言うを待たず、武蔵も自分の至らなさを、かなり思い迷っていた。
 半年以上待って、その人は現れる。
 しかし、武蔵には“無一物”のつれない言葉。何も与えず飄然と又八を連れ、西へと旅立ってしまう。
 武蔵は付かず離れず、その人の影を追いかける。野に寝て、風呂にも入らずに。
 ふと雨露をしのぐ山門に書かれた書に、“枝に遊んで葉を摘むな”的なことが書いてあり、武蔵は自分がもつ、つまらないわだかまりを気にしないようになる。
 京都は目前。禅師が妙心寺の奥深く隠れられてしまったら、教えを請うことができない。武蔵は思い切って禅師に追いすがる。
 深く土下座する武蔵に、愚堂禅師は黙然と、棒でその周りをまるく囲む円を描いて立ち去る。
 武蔵はここで“円明流”の悟りを開いたか。
 二にして一。一にして二。己もすべても円の中。…ということか。
 武蔵は月に吠えていた。

 それにしても、あわれなのはお通さん。
 故郷、宮本村近くの播磨灘。かつての乳母の家に身を寄せていた。
 しかし、またしても、お杉婆の策にはめられ曵かれていく途中、奇しくも城太郎が助けに入る。
 城太郎は父・青木端左衛門といっしょに池田家へ帰参が叶い、姫路へ戻ってきていた。
 城太郎は、師・武蔵の出世を阻んだお婆を深く恨んでいた。
 お婆を神社裏の洞穴に押し込めてしまう。
 助かったお通。だがこの人は観音か。烈しく降る雨の中、お婆を助けるために洞穴へ。
 助けられたお婆は、それでもお通を折檻し、とうとうお通は気を失ってしまう。そのとき、洞穴に一書が雨に流され現れる。それは子を想う母の切なる供養の言葉だった。
 誰もが子を想う気持ちは一緒でひとつ。お通にも親があり、その願いは、又八を想う自分の気持ちとおんなじだ。ということをお婆は悟る。

 そして、細川家の取り持ちで、とうとう武蔵と小次郎の決闘が決まる。
 場所は関門海峡沖の船島に決まる。(現・巌流島は彦島とも言い、決闘の史実も諸説あり詳しいことは不明)
 一大決戦ということで、その点に集まるように、縁故の人びともそこを目指す形。
 どちらにも、縁故の人びとと、袂を濡らす女性の見送りが…。

 佐々木巌流小次郎。
 きらびやな出で立ち。鷹を帯び舟上へ。
 宮本武蔵政名。
 逗留先で二筆啓上。舟上、紙縒で襷をつくり、打ち捨ててある櫂を無心に削る。
 遅参すも悠々。

 力と技の剣。
 精神の剣。
 勝負は、その差でしかない。
*   *   *
 あの有名な「小次郎。敗れたり」のセリフは、この原作では「小次郎。負けたりっ」となっていた。小次郎の「遅いぞ。武蔵!」という言葉もない。

 剣豪武蔵も、一個の人間として、道に悩み、恋に焦がれる普通な人として描かれていたと思う。これに対し著しているのが、司馬遼太郎の「真説宮本武蔵」だと解説にあるので、機会があれば司馬版も読んでみたい。
 兵法家として、いろいろな捉え方がある武蔵像だと思うけれど、吉川英治氏は善い方に捉えて書いたようだ。しかし、史実を歪曲するほど脚色していないと思う。
 宝蔵院二代目との仕合いはしていないし、石舟斎とは結局会ってもいない。一乗寺では半数は切り捨てたが、途中で逃げている。
 それにしても、登場人物の奇縁、機縁、薄縁が、付かず離れず、武蔵を巡っている見事さ。
 読んでいてヤキモキもし、助かったと胸を撫で下ろすことの多さ。

 最初に言ったように、やせ細るということはなく、ワクワクしながら読んだ。感謝です。

2009年11月4日水曜日

宮本武蔵(七)

 北条家に招待された武蔵。
 待ち人とがふたりいると連れられてきたのだが、武蔵を試すようにその人物は伏せられていた。
 しかし武蔵は苦笑まじりに看破する。
 ひとりは宗彭沢庵。そしてもうひとりは、なんと柳生宗矩だった。
 宗矩は意地悪くも、武蔵を待ち伏せていた。そうとは知らずの武蔵だったが、気を感じ、部屋へ入る道をわざわざ変えた。その行動を良しとした北条家当主・安房守と柳生宗矩、そして沢庵が、みんなして、将軍家指南役へ推挙し、お通と一家を成せと勧める。

 又八を助けた小次郎。それを逆恨みする浜田某は、小野派一刀流の門弟だった。
 浜田はお杉婆を誘拐し、小次郎をおびき出すが、小次郎はその裏をかく形で師の小野忠明と面接。
 立ち合いの末、負けを認めた忠明は、身を退くことを決め、浜田を破門にする。

 その又八だが朱実に逃げられ、途方に暮れていた。そんな又八に、近所の質屋・奈良井屋大蔵が“いい話”を持ってくる。それはなんと“将軍暗殺”だった。金に目がくらむ又八。ふたつ返事で了解してしまう。…そう、この質屋、城太郎を脅して連れていったあの奈良井屋大蔵だった。

 伊織にせがまれて武蔵は、秩父の三峰権現の神楽舞を見に出かける。
 その太鼓の撥を見て、武蔵はピンとくる。二刀流の極意が。
 そんな背中を暗がりでうかがう者がいた。お甲と宍戸梅軒だ。
 お甲は祇園藤次と、あの和田峠から流れて秩父でお犬茶屋を営んでいた。
 梅軒は野武士家業から足を洗い、三峰神社の寺侍になっていた。
 武蔵には浅からぬ恨みを持つ間柄なので、お甲の茶屋で倒す計画を立てる。
 その横で寝ている丸顔の若い旅人客。
 次の日、武蔵たちは奥之院へ参詣するため山道を歩く。
 そこに待ち伏せていたのは数人の牢人者と梅軒だった。さすがの武蔵も梅軒の強さと周りの多勢に死を覚悟するが、どこからか助太刀が入る。いや助棒か。そしてとうとう梅軒を倒す。鎌と分銅も二刀と同じ。それを見切ったのだ。
 助太刀の人はお甲の店で寝ていた若者。計画に聞き耳を立てていたのだった。武蔵には見覚えがある。あの塩尻峠で、母に導かれ真剣勝負を挑まれた夢想権之助だったのだ。

 仕掛けられたとは言え、神域での刃傷沙汰。役人に自訴することにした武蔵だったが、用意よく役人たちに縛られてしまう。
 どうもその夜、神社では別の事件があったよう。その下手人として武蔵が捕われた形。その事件は、宝蔵から金銀が盗まれるというものだった。
 伊織と権之助は、盗人の手下と間違われ、逃げるしか道がない。
 追っ手は振り切ったが武蔵が心配なふたり。権之助は伊織に武蔵野の草庵に戻るように諭し、いったん引き返す。

 伊織は夜通し逃げたので、途中の石標の草の中で寝てしまう。
 気がつくと、漆桶を担ぐふたりの旅人。何やら怪しい会話。
 そのふたりとは、奈良井の大蔵と、なんと武蔵と数年前に生き別れた城太郎だった。
 何の気なしに行く方向が同じだった伊織は、彼らの行動にますます怪しみを強くする。二手に別れたので城太郎を追うことにした伊織。城太郎も感づいて、もつれ合う。武蔵の名を口にした伊織に、城太郎は驚きのあまり伊織といっしょに木から落ちて気を失うほどだった。

 そこは奇しくも、武蔵野の草庵のすぐ近く、暴風で倒れた草庵に沢庵がひとり待っていた。そこへ現れた虚無僧。なんと城太郎の実父・青木端左衛門。沢庵は話すうちに、彼が宮本村の西軍残党狩りの指揮官だったことに気付き、青木端左はその後自分の息子・城太郎が武蔵の弟子になったことを知ったのだった。沢庵は端左に恩顧の寺へ行くよう諭し、さっそく教えられた道を急ぐ。
 しばらく歩けば、そこに昏倒している若者ふたり。まさかそのひとりが、自分の息子だとは露とも思わない。すぐひっかえして沢庵に知らせ、また旅の人となってしまった。
 奈良井大蔵は西の隠密活動をしていたのだった。彼に傾倒する城太郎に、沢庵は喝を入れ、今の稼業の否を説いて、これも仏のお導きと父の端左を追うよう諭す。

 沢庵は、伊織といっしょに北条家へ。
 北条安房と示し合わせて、江戸城へ詰める。
 ひとつは、秀忠暗殺の阻止を。
 又八を見つけ出した沢庵は、頭を丸めさせ百叩きの計でオッパナしてしまう。
 ひとつは、武蔵の将軍家お抱えの剣術指南役への推挙。
 これは武蔵が、秩父で前者の濡れ衣を着せられていたこともあり、一挙に事を運んだ形。
 しかし、ここにきてお杉婆が、いろいな官庁や屋敷に「武蔵は仇持ち」だと吹聴して歩いたので、武蔵が御前にまかりこしたときには、沙汰止みとなってしまった。
 武蔵はしかし、これ幸いと自分の未熟を想って、野山に深く隠れ、新たなる修行の道を決心し、伊織も残して身を隠してしまう。
 その折、伊織の形見の巾着を預かっていた武蔵は、権之助にそれを返すようにたのむ。北条家でそれを開くと、そこには書き付けが。沢庵は驚く。なんと伊織には生き別れた姉があり、それは今、柳生の庄にいるお通だったのだ。

 そんなこととは露知らず、柳生の庄ではお通が「武蔵お抱え」の文に、居ても立ってもいられず、江戸へと旅立ってしまう。
 夢想権之助と伊織は、すれ違うように柳生の庄に。
 すれ違いの薄縁を嘆いても始まらない。権之助たちは、権之助の母の供養をするために、女人高野といわれる歴史深い金剛山寺へ。
 そこでは奇しくも、あの本阿弥光悦とその母、妙秀尼と出会い、二組ともに武蔵を想い合う。

 さらに勧められて高野山へ旅するふたりは、道すがら仲良くなった組紐商人と肩を並べる。しかし、彼らの真の姿は九度山の牢人たちだった。
 隠密と勘違いされたふたりは逃げ別れに。権之助は多勢に押さえつけられ、伊織は崖に落ちてしまう。
*   *   *
 武蔵はとうとう秩父で、円明(二天一流)の境地を太鼓のバチに見いだした。
 城太郎は生きていた。でも義賊に身をやつしていた。大蔵に半ば脅された形だったが、沢庵によって救われてよかったなぁ。城太郎といい、又八といい、伊織とお通の仲といい、沢庵さんはいつもオイシイところを持っていくよなぁ。
 さあ、ここ最終章にきて、真田幸村の影がチラホラ。武蔵とどう絡むのか!