2010年5月29日土曜日

孫子(下)

あれから百五十年後。
周王室は没落し、戦国時代に入った。
孫武の子孫は、呉の孫家屯から斉に帰っていた。

長男の繽(ひん)は、読書家の家系からすると変わり者だ。
朝から晩まで、外で狩りや漁をして暮らしていた。
家宝の兵法書には、まったく興味がない。

そんなある日、一人の青年が訪ねてくる。
名を龐涓(ほうけん)と言う。
孫武の十三編以下、多くの書物を見せてもらいたいとやってきたのだ。
若いが立身を志し、兵法を学んでいるという。
繽はまるで興味はないが、客を放っておくわけにもいかない。
自分もいっしょになって読み、少しずつ興味を抱くようになる。
龐涓は熱心に読み、数日して故郷へ帰っていった。

それっきりと思っていたある日。
読んだ書の内容が、スラスラと口から出てくる。
こりゃイケるんじゃね!?
繽は本を片っ端から読み漁りはじめる。
晴狩雨読の毎日。
兵法がおもしろくなってきた。

龐涓とは、あれからも文通していた。
ある日、楚の呉起という人に師事しようということに。
ふたり、遠く楚へ旅立つ。
良きライバルとして切磋琢磨した。
しかし、突然、呉起が殺されてしまう。
混乱しながらも、ふたりは故郷へと帰る。

龐涓と途中で別れ、故郷に帰った繽。
栄達は考えていなかったので、悠々自適に暮らす。
奥さんも貰って、仲睦まじく暮していた。
龐涓とは相変わらず文通しあっていた。
龐涓の家は貧しく、彼は早く栄達したかった。
しかし、国ではなかなか評価してくれない。
一念発起して、魏に行って仕官しようと考える。
龐涓は、繽にお金を無心。
繽は快諾。
感謝しつつ、龐涓は魏に旅立った。
繽はそれからも、龐涓が仕官できるように、陰ながら援助した。
その甲斐あって龐涓は、魏の将軍になる。

それからの龐涓は、勉強しただけあって大活躍。
しかし、繽からすると危なっかしい。
あるとき、秦との戦いであやうく負けそうになった。
繽は機転を利かして、各国の力の均衡を利用することを思いつく。
匿名で、斉の将軍・田忌(でんき)に応援を要請したのだ。
これにより、龐涓は将軍の面目を保つ。

それから十数年が過ぎた。
繽は愛妻を亡くしてしまった。
子どももいなかった。
長い間、悲嘆にくれていたが、家を弟たちに託し、龐涓のところに遊びにいくことにする。
大歓迎を受ける。
宴会になり、そこに亡き妻の面影をもつ女奴隷・紅奴と出会う。

彼女に癒され、ここで暮らすことを考えはじめる繽。
仕官したいと、龐涓に相談する。
酔いの席がまずかった。
昔の恩を、それとなくほのめかし、便宜をはかってもらうよう頼む。

龐涓は、繽に劣等感を感じていた。
魏の王に推挙すると約束して数日後。
気晴らしにウサギ狩りをしようと誘う。
繽とすれば、好きな狩猟だ。
嫌なはずがない。
夢中で狩りを楽しむ間に、山奥へ入りこんでしまった。
なんとその山は王墓。
役人に捕われ、盗掘者として拷問される。
繽は龐涓にうまくだまされ、ワナにはまったのだ。
助かる見込みがない。
こうなったら化けて出てやると、心に誓う繽。
なんと一命はとりとめ、ひざきりの刑に。
膝から下を切られてしまった。
それでも助かっただけモウケモノだ。
このとき、名を孫繽から孫臏と改める。
ここから脱出し、復讐を誓うのだった。

脱出の策を考える繽に、紅奴が忍んでくる。
紅奴は、繽にもらった宝物を賄賂に、ここへ来れるように計らった。
外界との接触を図りたい繽。
しばらくすると、斉の国使が龐涓の邸に滞在しているという情報。
これを利用して、魏を脱出する繽と紅奴。

斉の将軍は田忌。
かつて、龐涓を助けるために利用した人だ。
繽はすべてを話し、信頼を得て、田忌の軍師となる。

数年後、復讐の機会がやってきた。
魏は韓を攻めた。
これを助けるため斉は出兵。
韓を直接助けず、魏の地方都市を攻め、モノにしてしまう。
慌てた龐涓。
だが、臏が恐れて、なかなか策に乗じない。
繽はそれをも看破して、裏の裏をかいて魏軍をたおす。
しかし、龐涓は逃がしてしまった。

さらに時は流れた。
臏は六十になっていた。
焦る彼に再度チャンスが巡ってくる。
それが、あの有名な“馬陵の戦い”だ。
復讐を果たした臏は、官を退き、故郷へ帰って余生を送ったという。
*   *   *
物語は上下ともに復讐劇だ。
下巻・孫臏の巻はドラマチックだったと感じた。
孫臏はとても快活な若者だったし、それに嫉妬する龐涓の気持ちも分からないではない。
でも、だからといって、大恩のある親友を陥れるってのはひどすぎる。
大昔の中国の話だし、オイラの倫理観は通用しないけれど、根本の人としての倫理観は、今も昔も変わっていないと思う。
やっぱりひどいものはひどい。
しかし、孫臏も復讐はやり遂げたが、かつての親友を死へ追いやった。どんな想いだったのだろうか? 決していい気持ちではなかっただろう。
ちょっと悲しい話だ。

2010年5月24日月曜日

孫子(上)

著者は海音寺潮五郎。
まだに二十代のころ、無謀にも「寺田屋騒動」に挑戦。
途中で挫折するという、ニガイ思い出のある小説家だ。

それでもこの年になって、諸子百家にも興味が出てきた。
それに今、「論語」が静かなブーム。
それもあって、「高校生が感動した『論語』」なんてのも読んだりして…。
で、この本を古本屋でゲット。
*   *   *
上巻の時代は、太公望が活躍したあとの時代。
で、秦の始皇帝が中国全土を統一するより前の時代。
いわゆる春秋戦国時代。
それも前期の春秋の時代。
ちなみに、孔子もほぼ同時代人。

この上巻の主役・孫武という人が、十三編の兵法書を著した。
この人は、斉から呉に引っ越して、村を興した。
ようは移民だ。
趣味で戦史を調べたり。
古戦場へ行って調べたり。
先の戦争の生き残りに話を聴いたり。
かなりの念の入れようだった。

そのころ、伍子胥(ごししょ)という人が、楚にいた。
権力争いで父を失い、紆余曲折、呉を頼ってきた。
いつか、楚に復讐してやると考えている。
その後、食客として呉の公子・光と仲良くなる。
伍子胥は、光を補佐する形で、放浪し有用な人材を訪ね歩く。
光は、呉の王様のおじさん。
順番からすれば、今の王より先に、王になれるのに、と考えている。
要はクーデターを考えていた。

そんなある日、孫武の噂を聞いて、伍子胥が村に訪ねてくる。
孫武は臆病で、厄介ごとに巻き込まれるのを恐れた。
しかし、孫武は熱心な研究家だ。
自分の研究の成果は試したい。
伍子胥に、今度行われる戦争のアドバイスをした。
それを教わった光が、その戦術で戦うと見事勝利。
光は孫武を高く評価する。

それから数年たち、光はクーデターを決行。
王を暗殺し、自ら即位し、名を闔廬(こうりょ)とする。
伍子胥は、孫武が御前に召されるのを嫌がることが分かっていた。
まず兵法書を編んでくれるように頼む。
この書を痛く気に入った闔廬。
伍子胥の紹介で、孫武は御前に招かれる。
闔廬は孫武を試す。
宮廷奥にいる女たちを、精兵として訓練しろという。
孫武は自分の研究をいぶかられた。
がまんがならず、引き受ける。
最初、女たちは遊び半分だ。
が、そのために、孫武が隊長にすえた王の寵姫ふたりを斬首してしまう。
軍律は絶対であることを示したのだ。
その後は、みんなまじめに孫武の言うことに従った。
宮廷の女たちは、精兵となった。
孫武は面目を保った。
しかし、そのために王の寵姫をふたりも殺してしまった。
嫌々ながらも将軍になるハメに。

それからの呉は、百戦錬磨。
孫武の作戦は、一つとして無策なものはなかった。
楚を壊滅にまで追い込んでいく。
中国の歴史には“春秋五覇”という春秋時代の覇者を表す言葉がある。
孫武の活躍で、闔廬はそれに入る王だという説もある。
それほど呉の国は勢力をのばした。
しかし、孫武は戦よりも、内政の権力争いのほうに嫌気がさしていた。
ころあいをみはからって、隠居してしまう。

そのあと、呉は越と戦い、あっけなく闔廬は死んでしまった。
あとを継いだのは、次男の夫差。
伍子胥は隠居した孫武を訪ね、策を授けてもらう。
そして最後に念をおして、
ひとつは、勝って戦うため準備・計画を万端に。
ひとつは、包囲殲滅ではなく、逃げ道を開けておく。
ひとつは、禍根を断つこと。
これによって越との戦いに勝った。
しかし、伍子胥と夫差王は仲が良くない。
伍子胥は誅されてしまう。
最後の“ひとつ”は聞き入れられず、越王をゆるしてしまった。 
二十年後、呉は越に滅ぼされてしまった。
*   *   *
孫武の活躍はすごいものがあるが、最後のほうは、なんとも感傷に絶えない。
伍子胥は、もうひとりの主人公と言ってもいいだろう。
楚を恨んで生き、呉を恨んで死んだ。
悲しい一生だ。
この時代は伍子胥のように、なんらかの理由で自国を追われると、他国に亡命して客卿に奉ぜられる、というようなことが多かったようだ。
孔子もそうだ。
このシステムが、血で血を洗う復讐の連鎖を生んだような気がする。
孫武は伍子胥に最後の策を授けたのは、その禍根を断つためだったのかもしれない。

2010年5月13日木曜日

織田信長(五)

 武田勝頼が、父の意志を継ぎ動き出す。
 長篠城では、城主・奥平貞昌が頑強に抵抗していた。
 家康に再三援軍を頼まれていた信長。
 なかなか動かない。
 それには理由がある。
 たくさんの鉄砲を揃えようとしていたからだ。
 信長は革命児だ。
 最新の兵法を編み出してゆく。
 その最も有名な戦いが、長篠の合戦だった。
 敵は、最強の騎馬軍団を持つ武田。
 陣の手前に柵を何十にも巡らす。
 そこに、策略にはまって入った騎馬武者隊。
 鉄砲の一斉射撃。
 武田は半分以上の重臣を失った。
 ちなみに、真田昌幸の兄ふたりも犠牲になっている。

 これによって、武田の憂いは去ったも同然だ。
 が、一難さってまた一難。
 今度は武田と雌雄を争った、上杉謙信が重い腰を上げる。
 そんな謙信が、石山本願寺の再三の同盟呼びかけに呼応。
 それに西の毛利輝元が加わり、またまた信長包囲網が確立される。

 謙信は、自身を軍神と化していた。
 強い相手と戦うことに、生き甲斐を感じているフシがある。
 天下をとる野心はない。
 冬になると、さっさと春日山へ戻ってしまう。
 こんな厄介な敵には、戦術など通用しない。
 そう踏んだ信長は、おまかせ戦術をとる。
 主だった諸将に自由に行動させ、手取川を境に、やばいと思ったら退かせた。
 自分自身は、そこにいると見せかけて、本願寺の方に行ってしまう。
 謙信は、まさか自分を前にして、信長がいないとは思わない。
 謙信は自尊心を傷つけられる。
 それを知ったとき、冬を迎えても戦場を去ろうとはしなかった。
 信長側は、押され気味の膠着状態に。
 しかし、その無理が祟ったか。
 謙信はあっさりと亡くなってしまう。

 信玄、そして謙信までも。
 敵将の死という形で、危機一髪を脱した信長。
 これで天敵はいなくなったも同然。
 目の上のコブは、毛利と武田の残党か。
 このころから信長は、過剰とも思える家中の大掃除を始める。
 譜代の家臣・佐久間信盛や林佐渡などを誅する。
 さらに徳川家康の正室・築山殿が武田に内応。
 その罪をかぶる形で、嫡子・信康が切腹させられる。
 このことなどが、明智光秀の疑心暗鬼につながってゆくのだが…。

 そんなある日、武田方の木曽義昌が内応してくる。
 これを機に、武田を一気に討伐。
 これにより、信長は家康に駿府などを割譲。
 先の信康の件を水に流し、家康を歓待することに。
 その接待役は光秀。
 これまで光秀は、信長にことあるごとに叱られることが多くなっていた。
 信長恐怖と疑心暗鬼の塊になっていきている。
 それでも、家康歓待用の客殿「大宝殿」を建築。
 その豪華さに、勤王第一とする信長を、家康が勘違いする。
 と、信長にでかく叱られてしまう。
 冷静に考えれば、知将・光秀が感ずかないはずがない。
 しかし、もうその冷静な光秀はいなかった。
 さらに接待役を外す外さないの、信長の命令に翻弄される。
 じつは、秀吉が毛利を抑えきれずに、助けを求めてきたことが原因なのだが…。
 それに憤った家来たちが、宴に使う食料を大宝殿の堀に捨ててしまう。
 その量は大量だ。
 腐臭が城下を覆う。
「しまった!」
 この失態を申し開きできないと感じた光秀。
 これが信長に叛旗をひるがえす、決定的なキッカケとなった。
 人の心のすれ違いというのはどこまでも。
 溝が深まれば深まるほど、疑心暗鬼になっていくものなのか。
 信長は城で軍議をしていて、その失態について、ほとんど知らなかった。
 かくして、本能寺の変がおこってしまう。
*   *   *
 本能寺の変は、あまりにも有名だし諸説あるので、覚え書きは割愛させていただくとして、この巻では、後半ほとんど光秀と信長の心のすれ違いが、どれほどだったか書かれている。
 あと、ほんの一歩二歩で天下布武は完成したはずだが、信長の最後はあまりにも、唐突であっけなく幕が切れた。覇王信長の感慨は如何ばかりか、とても凡人のオイラには推し量れない。
  人間五十年
  下天の内をくらぶれば
  夢幻のごとくなり
  一度生を得て滅せぬ者のあるべきか
「敦盛」の舞に、信長の気持ちがこめられているのだろうか。

 それにしても、本能寺の変には諸説あるようで、いろいろな方が小説やマンガで想像を巡らして描いている。そのなかで気になっているのは、加藤廣氏の“本能寺三部作”だろうか。そのうち読んでみたい。

2010年5月1日土曜日

織田信長(四)

 朝倉攻めは問題なく進んでいた。
 朝倉氏の居城・一乗が谷は目前だ。
 そこへ浅井からの使者が。
 信長は即座にその意味を悟る。
 浅井長政は妹婿。その油断がアダとなった。
 挟撃を避け、すばやく撤退。
 金ヶ崎の激戦をくぐりぬけ、命からがら京へ。

 信長は九死に一生を得た。
 今までなら、取って返すようにして反撃戦をするところだ。
 しかし、信長は成長している。
 時間を費やし反撃の機会をうかがう。
 そして、世に言う姉川の戦いへ。
 激戦。
 姉川は血河と化す。
 朝倉・浅井連合軍は強い。
 が、遠謀をめぐらし、何とか辛勝。
 しかし、両氏を叩きつぶすまでには至らず。

 この戦いで、信長弱体化と見てとったのは足利義昭か。
 周りの大名たちを、焚きつけはじめる。
 三好の残党はじめ、松永久秀、一向宗の本願寺や比叡山も巻き込んでいく。
 いわゆる信長包囲網だ。
 比叡山の中立に業を煮やした信長。
 とうとう比叡山を焼き討ちに。
 はたして、包囲網真打ちが動き出す。
 甲斐の虎・武田信玄。

 信玄はゆるゆると、駿河から三河へ。
 これを指をくわえて見過ごすには、家康は若すぎた。
 晩年の辛抱強い家康からは、考えられない無謀な抵抗。
 それを身を挺して、止める家臣たち。
 その甲斐あって、正気を取りもどす家康。
 だが、状況が好転したわけではない。
 野田城の攻防で膠着状態に。
 しかし、信玄がこんなところで足踏みをするはずがなかった。
 信玄は病を得ていたのだった。
 療養しながら、今後を見据えていた矢先、信玄は倒れる。

 家康・信長は最強の敵から救われた。
 信長は天皇の勅を拝し、足利義昭を将軍職から追い落とす。
 これにより足利幕府は消滅。
 とうとう積年の朝倉・浅井の討伐へ。
 朝倉をもみつぶすと、浅井にとりかかる。

 浅井長政は妹婿。
 信長は最後までこの男を惜しんだ。
 長政は孝にしたがい、父・久政のあと追う。
 が、長政は謀計にかかったふりをして妻と娘を逃がす。
 妹・お市の方とその娘たちは救われたのだった。

 さらに、信長は長島本願寺に矛先を向ける。
 信長は神仏を隠れ蓑にする輩を憎んだ。
 鬼のような攻撃。
 一向宗は狂信的な強さ。
 阿鼻叫喚。
 双方一歩も引かず、凄惨な戦いとなる。
*   *   *
 武田信玄の上洛戦は、信玄の死亡であっけない幕切れ。なんという運命のいたずらなのか。
 目の上のタンコブがなくなった信長は、破竹の勢いで周辺の敵を掃討していく。…が本願寺一揆との戦いは、ふつうの大名との戦いとは違って、凄惨を極めたようだ。
 信長はその特異な考えで、仏敵とみなされたが、神仏の加護を隠れ蓑にする輩を異常に憎んだようだ。