2009年8月30日日曜日

イベント:高遠ブックフェスティバル

 選挙投票日のお祭りのなか、早々に投票を済ましてその足で高遠まで。霧の巻くような天気が心配だったけれども、茅野から高遠に上ると、急に視界が晴れ、逆に蒸し暑いぐらい。
 川岸の駐車場に着くとけっこう混んでいる。県外ナンバーもけっこう見える。
 橋を渡って向こう岸へ。町唯一のメインストリートには、本棚が置いてあったり、図書館前のメイン会場では、ちょっとした催し物も開催していて、子どもたちが古本などを売っていた。

 このイベントは“ブックツーリズム”という、イギリスのヘイ・オン・ワイという町が行ったイベントがもとになっていて、日本では初めて試みだそうだ。一回目ということでまだまだ盛り上がりには欠けるようだけれど、地元の人たちによる野菜などの直売もあったりで、手作り感満載だ。
 さらなる盛り上がりに期待したいですな。

2009年8月26日水曜日

薮の中

 小栗旬主役でこの9月に上映される「TAJOMARU」。その原作が芥川龍之介の「薮の中」だということで、青空文庫のテキストで、恥ずかしながら今ごろ読んでみる。短いので速攻で読めた。

 事件の当事者たちの証言がすべて食い違っていて、ちょっとしたミステリーとしても楽しめる。

 これをベースにした作品は、黒澤監督の映画「羅生門」はじめたくさんあって、ネガティブ路線なんだけれど、「TAJOMARU」の映画予告を観ると、かなりポジティブに仕上がっているように見受けられるが、観てないからそうなるかどうか分からないんだけど…。

「薮の中」「羅生門」「蜘蛛の糸」「杜子春」など、これらの芥川作品に共通するものは、人間のエゴだよね。だが本作以外は、教科書にも載るような作品だ。本作は一番おとなな作品だったというわけだね。ムフフ。

2009年8月24日月曜日

その男(一)

 池波正太郎が著した幕末もの。無名の剣客、杉虎之助の物語。
 虎之助は幼少の頃から病弱だった。継母にいじめられ、十三のとき、我が身の不幸を呪って身投げしたところを、池本茂兵衛に助けられ、その縁から剣の道を志し茂兵衛についてゆく。
 六年の月日が過ぎ、虎之助は見違えるほどたくましい男に生まれ変わっていた。
 ひょんなことから叔父を助け消息が知れるが、茂兵衛の頼みで、礼子というわけありの女を、彦根城下まで送り届けることに。その道中、薩摩なまりの侍と乱闘になるも、そんじょそこらの剣客に負ける虎之助ではなかった。
 そんなこんなで、師匠の秘密が気になりだした虎之助だが、ここで師匠に絶縁されてしまう。
 言いつけを守り江戸で暮らす虎之助。剣客、伊庭八郎と出会い親交を深める。労咳を患う彼から、友好の印として“心形刀流”を授かる。
 ある日、世話人から礼子を見かけたという話を聞く。彼女が旅装で品川宿を後にしたというのだ。その先に恩師、池本茂兵衛の影を見た虎之助は礼子を追う。出発の日、またも例の薩摩武士をみかけた虎之助は、いそぎ東海道を京へ。御油宿の宿屋ではち合わせた三組。またもヒゲ面の武士をやりすごした虎之助だったが、京へのぼっても、礼子どころか茂兵衛にも会えない虎之助は、悶々と京で過ごす。
 天下はますますもって幕末。京にも不穏な空気が漂いはじめ、とうとう師匠の秘密を知った虎之助。池本茂兵衛は幕府の隠密だった。恩師とともに働きたいと思う虎之助だが、茂兵衛は「礼子を探し連れ出して、江戸で幸せに暮らせ」という。

 ひょろひょろだった虎之助が、見違えるように逞しくなって帰ってくるクダリが痛快。そのときの叔父さんとのやりとりがまた楽しい。伊庭八郎や、後半登場する中村半次郎との親交も気になるぜ。

2009年8月20日木曜日

ローマ人の物語(5)

 ハンニバルは陽動の意味でローマ首都に迫ったことがあったということだけれど、そのときがローマを見た最初で最後だったということだ。
 ハンニバルの誤算は、敗者をも取り込んでゆくローマの共存共栄システムだった。ハンニバルはローマ同盟の切り崩しに失敗した。まわりの同盟に加盟している都市や国家はほとんど、ハンニバルの誠意ある呼びかけにも振り向きはしなかった。

 さすがに元老院も独善的なスキピオ(大スキピオ)を呼び戻す。会議の結果、アフリカではなくシチリアに派遣することが決まる。しかし、そこは申し合わせたように、シチリアからカルタゴ領土へ侵入する糸口を、合理的につかませる用意周到な配置だった。再三の勧告を無視したカルタゴへの報復として、スキピオは満を持してカルタゴに上陸。本国に泣きつかれたハンニバルは、イタリアを去り本国へもどることとなった。

 このときハンニバルの想いはどんなものだったろうか。“万感の想い”とはよく言うが、その時の彼には、いろいろな気持ちがこみ上げてきたことだろう。旗下の兵士たち全員を船に乗せることはできない。追いすがる部下たちを、弓で追い落としたということだ。非情なエピソードだが、残された兵士たちはイタリアで奴隷にされることを恐れもしたことだろうけれど、ハンニバルを慕ってもいたのだと思う。ローマはそこまで非情な国ではないことを一番分かっていたのは、他でもないハンニバルだったかもしれないのだ。

 とうとう師弟は相対する。“ザマの戦い”だ。
 ここでハンニバルは大敗を喫してしまう。どうもカンネ会戦時とは、ローマ側とカルタゴ側の騎兵の量が逆転していたようだ。それにスキピオ側がハンニバルの象隊を陽動によって、使い物にならなくしてしまった。象を受け流す抜け道をつくったのだ。あとスキピオはこの会戦で、スペイン剣“グラディウス”を、この戦いで大量投入していることも興味深い。グラディウスは今までにない両刃の剣だ。これらによって、カンネとは逆転した戦況で、ローマ軍がカルタゴ軍を包囲し殲滅。決着が着く。
 それでもローマはカルタゴを征服せず、共存共栄を図ろうとした。

 ローマはその後も、周辺諸国から攻められ、それを平らげては、共存共栄を図ろうとするが、悲しき帝国主義へ進んでいく。それでもスキピオ存命中は、彼の考え方や威光もあって“ゆるい帝国主義”だった。それを厳しくしてしまったのは、彼をはじめとするローマ人が尊敬してやまないギリシア人だった。
 この後ローマは、マケドニア、シリア、ギリシア諸国と滅ぼしてゆく。だがこれらは、ギリシアをはじめ、同盟国を守るための戦いだった。スキピオはカトーに蹴落とされ政界を去り、ハンニバルも亡命先でローマに売り渡される前に毒をあおって死ぬ。

 ローマをこれほどまでに強大にしてしまったのは、皮肉にもハンニバルだった。軍略をハンニバルに学んだローマは、公武合体ではないけれど、政治的にも軍事的にも比肩する国がなくなってしまった。文明的に先進国だったギリシアも、その驕りからローマに鉄槌を喰らわされる。
 カルタゴを滅ぼすのに指揮をとった、スキピオ・アフリカヌスの養孫、スキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)は、滅びてゆくカルタゴを見ながら、「ローマも同じ道を歩み、滅び去る日が来る」と嘆き涙したという。
 しかし、古代ローマが滅びるにはまだまだ永い時間がかかるのだ。

2009年8月13日木曜日

ローマ人の物語(4)

 父ハミルカルからスペイン領を継いだハンニバルは、打倒ローマだけを胸に生きたと言っても過言ではないだろう。第二次ポエニ戦役の戦端を開かせるために、彼は用意周到に動き、開戦がなると、第一次ポエニ戦役を反面教師として、ローマ本土に攻め込むことを考え実行する。そこで前人未到のピレネー・アルプス越えをやってのける。
 アルプス越えでの犠牲も、越えてからのローマ領内以北のガリア民族を味方に引き入れることも計算ずく。ローマとの会戦も、当時誰も思いもつかない奇略と、破竹の勢いでローマ領内を蹂躙してゆく。とくに現代でもヨーロッパの兵学校では必修である“カンネ会戦”のハンニバルの戦略は、見事としか言いようがない。

 希代の戦略家ハンニバルは、この間に隻眼となっている。日本でも伊達政宗や山本勘助など、隻眼の武将は有名だ。かっこいいイメージがある。ヨーロッパでは、紀元前にこんな兵法者がいたとは驚きだ。“ハンニバル”と名前だけ聞くと、「羊たちの沈黙」の続編である「ハンニバル」を思い出す。観てはいないが、これであの難解な映画の一部でも氷解できるだろうか?

 ローマを倒すだけに人生を捧げたと言ってよいハンニバル。付き従う兵士たちにとって孤高の存在だった。それでいて彼から離れていく味方はほとんどいなかったらしい。

 対するローマはしかし、のど元に刃を突きつけていた。スペイン戦線は善戦していたのだ。しかしハンニバルが自国を席巻し、イタリアの長靴の足の甲あたり、カラーブリア地方に落ち着いたころ、スペイン戦線も大打撃を被る。指揮する執政官も戦死し、当惑するローマに彗星のごとく現れた若者がいた。スキピオだ。
 スキピオは戦死した執政官の息子で、名門コルネリウス家の出だ。しかし、執政官として軍を指揮するには若すぎる。だが彼にはカリスマ的魅力があったらしく、絶大な市民から支持を受け、父の仇討ちの意味もこめられた元老院の決定で、異例の若き執政官が誕生する。

 皮肉なことに、このスキピオこそがハンニバルに最も影響され、その戦略を学んだ弟子的な存在となっていた。スペインでの彼の功績は目覚ましく、敵の裏の裏をかく作戦で、主要都市を陥落させていき、カルタゴをスペイン領内から駆逐することに成功。なんとハンニバルと同じく、カルタゴ本国へ討って出る。