2009年8月20日木曜日

ローマ人の物語(5)

 ハンニバルは陽動の意味でローマ首都に迫ったことがあったということだけれど、そのときがローマを見た最初で最後だったということだ。
 ハンニバルの誤算は、敗者をも取り込んでゆくローマの共存共栄システムだった。ハンニバルはローマ同盟の切り崩しに失敗した。まわりの同盟に加盟している都市や国家はほとんど、ハンニバルの誠意ある呼びかけにも振り向きはしなかった。

 さすがに元老院も独善的なスキピオ(大スキピオ)を呼び戻す。会議の結果、アフリカではなくシチリアに派遣することが決まる。しかし、そこは申し合わせたように、シチリアからカルタゴ領土へ侵入する糸口を、合理的につかませる用意周到な配置だった。再三の勧告を無視したカルタゴへの報復として、スキピオは満を持してカルタゴに上陸。本国に泣きつかれたハンニバルは、イタリアを去り本国へもどることとなった。

 このときハンニバルの想いはどんなものだったろうか。“万感の想い”とはよく言うが、その時の彼には、いろいろな気持ちがこみ上げてきたことだろう。旗下の兵士たち全員を船に乗せることはできない。追いすがる部下たちを、弓で追い落としたということだ。非情なエピソードだが、残された兵士たちはイタリアで奴隷にされることを恐れもしたことだろうけれど、ハンニバルを慕ってもいたのだと思う。ローマはそこまで非情な国ではないことを一番分かっていたのは、他でもないハンニバルだったかもしれないのだ。

 とうとう師弟は相対する。“ザマの戦い”だ。
 ここでハンニバルは大敗を喫してしまう。どうもカンネ会戦時とは、ローマ側とカルタゴ側の騎兵の量が逆転していたようだ。それにスキピオ側がハンニバルの象隊を陽動によって、使い物にならなくしてしまった。象を受け流す抜け道をつくったのだ。あとスキピオはこの会戦で、スペイン剣“グラディウス”を、この戦いで大量投入していることも興味深い。グラディウスは今までにない両刃の剣だ。これらによって、カンネとは逆転した戦況で、ローマ軍がカルタゴ軍を包囲し殲滅。決着が着く。
 それでもローマはカルタゴを征服せず、共存共栄を図ろうとした。

 ローマはその後も、周辺諸国から攻められ、それを平らげては、共存共栄を図ろうとするが、悲しき帝国主義へ進んでいく。それでもスキピオ存命中は、彼の考え方や威光もあって“ゆるい帝国主義”だった。それを厳しくしてしまったのは、彼をはじめとするローマ人が尊敬してやまないギリシア人だった。
 この後ローマは、マケドニア、シリア、ギリシア諸国と滅ぼしてゆく。だがこれらは、ギリシアをはじめ、同盟国を守るための戦いだった。スキピオはカトーに蹴落とされ政界を去り、ハンニバルも亡命先でローマに売り渡される前に毒をあおって死ぬ。

 ローマをこれほどまでに強大にしてしまったのは、皮肉にもハンニバルだった。軍略をハンニバルに学んだローマは、公武合体ではないけれど、政治的にも軍事的にも比肩する国がなくなってしまった。文明的に先進国だったギリシアも、その驕りからローマに鉄槌を喰らわされる。
 カルタゴを滅ぼすのに指揮をとった、スキピオ・アフリカヌスの養孫、スキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)は、滅びてゆくカルタゴを見ながら、「ローマも同じ道を歩み、滅び去る日が来る」と嘆き涙したという。
 しかし、古代ローマが滅びるにはまだまだ永い時間がかかるのだ。