2010年2月24日水曜日

坂の上の雲(八)

 巡洋艦「和泉」は、バルチック艦隊を追っている。
 信濃丸からの連絡で、対馬海峡へ現れるのは確実だ。
 和泉は、敵の針路を、慎重に探った。
 素晴らしい正確さだった。

 旗艦「三笠」に無線が入る。
 真之は、小躍りならぬ阿波踊り。
 さっそく、東京・大本営へ上奏する電文を考える。
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」
 一般に美文とされるが、そうではないとは、著者。
 その当時、高等技術である天気予報。
 それを、ほぼそのまま流用した。
 それに、敵を迎え撃つには絶好条件なのだった。
 東郷艦隊、抜錨。
 満を持して、対馬海峡へ。

 「天佑」としか言いようがない。
 この言葉が、真之の口癖になった。
 彼はこの海戦で、神霊を強く信じるようになった。

 バルチック艦隊は、沖ノ島近くに姿を現す。
 その周りには、「和泉」はじめ日本の駆逐艦。
 つかず離れず、まるで送り狼だ。
 そこへ、遠く東郷艦隊が姿を現す。
 天気晴朗とはいっても、モヤで見通しは悪い。
 双方気がついたときには、肉眼で確かめられるぐらいに近づいていた。

 バルチック艦隊というより、ロジェストウェンスキー。
 北進して、あわよくばウラジオストックへ遁走しようと考えていた。
 一方、東郷艦隊は一艦残らず沈めなければならない。
 一艦でも逃せば、ウラジオストックから、満州への補給艦を襲われるからだ。
 要するに、敵を北進させず、かつ撃沈するのが目的だ。
 というわけで東郷さんはなんと、敵前でUターンを命令。
 とてつもなく危険な賭けだ。
 Uターン中、艦隊は動きが止まったも同然で、格好の標的となる。
 もちろん、集中砲火を浴びた。
 ここはじっとがまんだ。
 この戦法が、真之の考えた「丁字戦法」だった。
 つねに、敵旗艦「スワロフ」の頭を抑える戦法だ。

 日本側は、この日のために独自の射撃法を編みだした。
 砲火指揮系統を統一し、一斉射撃をさせたことだ。
 それまでの海戦は、単艦で各々判断して、好き勝手に撃っていた。
 Uターン行動にしろ、何にしろ、東郷艦隊はシンクロのようだ。
 隊列は乱れず、砲撃も一斉射撃。
 それも命中率は抜群!
 開戦から30分で、ほとんど勝敗は決まってしまった。

 真之は「丁字戦法」を皮切りに「七段構え」の戦法を考えていた。
 しかし、その三段階で、この海戦は終息していった。
 ひとつは、敵旗艦「スワロフ」の大破。
 ひとつは、バルチック艦隊提督・ロジェストウェンスキーの拿捕。
 あとひとつは、途中合流した、第三戦艦戦隊のネボガトフ少将が、戦わずして降伏したことだった。

 四日後、海戦は終結した。
「三笠」は佐世保へ。
 秋山兄弟の母・お貞はなくなっいてた。
 真之号泣。好古は満州でこの報に触れた。
 この時点で、兄ちゃんはまだ奉天で、コサック騎兵隊を迎撃をしている。
 間もなくアメリカ大統領ルーズヴェルトの仲介に寄って、ポーツマスで講和条約が締結された。

 日本連合艦隊解散の辞で、東郷さんは言う。
「勝って、兜の緒を締めよ」と。
 しかし、増長した日本は40年後、太平洋戦争へ。

 真之は、根岸・子規宅へ。
 子規の母と妹を訪ねようとした。
 長い間、外でたたずんでいたようだ。
 家には入らず、墓のある大竜寺へと足を向ける。
 寺に向かう坂は雨。
 そう。坂の上は雨なのだった。

 真之は、49歳で亡くなった。長命でなかった。
 晩年は、神霊を信じ、少し気が違ったようだ。
 息子に僧になるように、強く勧めて死んでいった。
 息子は約束を守る。

 好古は、大将で退役し、松山の中学校の校長になった。
 終生、福沢諭吉を尊敬した。
 晩年、校長を辞め、東京に帰り、
「もう、あしのすることはした。逝ってもええんじゃ」
 と言って、病床の人となった。
 最後の言葉は「奉天へ…」。
*   *   *
 とうとう、読み切った。長かった。難しかったぁ!
 三巻から、もうほとんど日露戦争なので、正直とてもつらかった。
 いかに、日本の勝利が奇蹟だったか、読み終えてよく分かったが、同時に、その勝利が太平洋戦争の引き金になっていったと思う。
 あんなに前途洋々だった明治初期から、日露戦争を経て、大正の飽和時代を迎え、昭和の大恐慌に向かい、太平洋戦争へ…。
 …ん!? なんか今の時代って、大恐慌時代に似てない!? 
 前途洋々だった高度成長期、その後の飽和なバブル期、そしてこの不景気…。さすがに、日本は自ら戦争を起こすようなことはない…。
 明治時代は、世界に真の「侍魂」を見せつけた時代だったんだな。

2010年2月1日月曜日

坂の上の雲(七)

 日本はもう、精根尽きている。
 物資や砲弾だけではない。
 投入される兵士たちも、40過ぎの老兵。
 一方、ロシア軍。
 シベリア鉄道に乗って、ピカピカ装備の若い兵士たちがやってくる。
 どこをどう考えても、ロシアが負けるはずがない。
 それを覆してしまったのは、クロパトキンその人だった。
 彼の、病的なまでに神経質な作戦変更が、文字通り日本を救う。

 好古は、左翼・乃木軍の旋回しながら前進する、さらに最左翼に位置する。
 三千ほど率いて、ロシアの右翼後方へ。
 これにクロパトキンびっくり!
 このまま攻めれば、勝利目前のロシア軍右翼。
 それを、なんと退却させてしまう。
 さらに神風か!? 猛風塵がふきあれる。
 日本側は、これに乗じて大河である渾河を、難なく渡ってしまう。
 しかし、ロシア側もこの風に乗じて退却してしまう。

 ともかく、優勢ロシアは退却した。
 連戦連勝で、日本国内は浮かれ気分。
 実際は、クロパトキンが負けてくれている。
 とりあえず日本は勝った? ということらしい。
 この機会を逃してはならない。
 児玉は、政府の尻を叩き、講和を進めるため東京へ。
 仲介役をお願いしたかったのは、米国ルーズヴェルト大統領。
 当時、彼は、日本のよき理解者だった。
 そして、状況を超客観的に分析していた。
 でも、駐米大使の高平小五郎が、
「日本艦隊は弱いらしい」
 いらぬことを、吹聴してしまった。
 これで、日本海海戦は避けられない状況に。

 バルチック艦隊はベトナム沖で、ロシア第三艦隊を待っている。
 皇帝(厳密には皇后)の、いらぬおせっかいでやってくる老朽艦隊だ。
「もう、そろそろ日本の哨戒区域に引っかかってもよさそうなのに」
 真之はいらだっている。
 十中八九、敵は対馬海峡を通るだろう。
 でも残りの可能性が、時間につれて肥大化してゆく。
 それは、太平洋廻りでウラジオストックへ行ってしまうというもの。
 決戦前々日、混乱はピークに達していた。

 バルチック艦隊を見た日本人。
 それは、宮古島のヤンバル舟の船乗りだ。
 これを知らせるだけのために、報告書を作成し、はじめて印鑑をつくった。
 さらに、国家に報告しなければ!
 石垣島にしかない電信機へ行くため、漁師へ頼む。
 この当時、宮古島から石垣島へヤンバル舟で行くということが、どれだけ冒険的なことか!
 五人の青年が、それをやってのける。
 国家機密ということで、彼らは昭和に入るまで、妻にもこのことを黙っていたという。
 国家というものが、庶民にとってどういう存在か、この一例でよく分かる。
 しかし、彼らが報告する直前、バルチック艦隊を発見したのは、哨戒中の仮武装汽船“信濃丸”だった。
*   *   *
 奉天会戦でのクロパトキン。勝てる戦だったのに。日本にとっては奇蹟としか言いようがないっス。腐ったロシア帝政に、助けられたとしか言いようがない。
 それは、海の戦いにも言えるのか!? 不動の東郷さんがシブい!