今川との関係を堅くする。
野駈けの途中立ち寄った娘・恵理が気に入った。
即、輿入れ。
間もなく、満を持して東信濃を蹂躙していく晴信。
村上義清は越後を頼り、落ち延びてゆく。
坂城から川中島にある小城を落としてゆく。
それを黙って見ている長尾景虎ではない。
とうとう第一次川中島合戦となる。
…が、小競り合い程度で、会戦というほどにはならない。
諏訪へ戻るといつも出迎えてくれる湖衣姫。
しかし、その姿がない。
労咳にかかっていたのだ。
死期を悟った姫は、息子・勝頼の未来を晴信に託す。
今川領に北条勢が攻めて来た。
今川義元は、尾張の織田信秀と戦っている最中。
武田に北条勢の牽制と助勢を要請。
晴信は、弟・信繁を大将として差し向ける。
…と、見せかけて自分も付いてゆく。
晴信の影武者は、水防工事を視察していた。
駿河に出た武田軍は、見事な采配で北条軍を牽制。
北条氏康は、武田軍に晴信がいるのを確信する。
今川氏の黒衣の軍師・雪斎。
三国の利を唱え、武田・今川・北条を同盟させる。
これで東南の憂いがなくなった。
再度川中島へ。
犀川を挟んで越軍と対峙。
越軍にとって、犀川以北にある旭山城は目の上のタンコブ。
付け城として、そのまた北に葛山城を建てて牽制。
対陣は二百日続き、景色は間もなく冬の装いだった。
晴信は、今川義元に仲裁を求める。
仲裁役は、またあの雪斎だ。
甲・越の陣ともに饗応されていい気分だ。
しかし、手腕は確かだ。
旭山城破棄という条件などで和睦となる。
諏訪にもどった晴信。
しかし、生きる屍となった湖衣姫。
涙ながらに会うことを拒否。
そのまま古府中に戻る晴信。
間もなく姫は亡くなった。
さすがの晴信もクリティカル・ダメージ。
古府中に来客が立て続く。
足利将軍の名代が、駿河を経由してやってきた。
荒っぽい饗応で持てなし、空席である信濃守護を要請。
もちろん名代には、碁石金をたっぷりと袖下へ。
入れ違いにやって来たのは、織田信長の家臣・梁田政綱。
「織田と款を通じたい…」
不適な信長の提案に対して、晴信の答は“奸風発迷”。
意味不明のまま、梁田はその答えを持ち帰る。
晴信は山本勘助に、それを追わせる。
第三次川中島合戦は、越軍から仕掛けてくる。
しかし、晴信は影武者を使って撹乱。
本物は、安曇の小谷城を攻め、魚津方面を脅かす。
結局、今回も大きな会戦は行われず。
冬になれば、越後は雪に閉ざされる。
景虎は歯噛みしながら、退却してゆく。
梁田と行動を共にする勘助。
二重スパイである勘助は、途中、今川義元の元へ。
自分の行動がバレていることに驚く勘助。
どうやら、晴信が故意に情報を漏らしているらしい。
勘助は、今川義元に嫌気がさしていた。
気持ちは、晴信のほうに、すでに傾いていた。
ひょんなことから信長に会うことになった勘助。
梁田政綱が晴信の“奸風発迷”を伝える。
それを見事看破する信長。
勘助は、その信長の様子を、駿府と古府中へ報告。
義元は「うつけ者」と笑い。
晴信は、炯眼して大きく頷いた。
義元はいよいよ西上を決意。
そのころ晴信は薙髪して、名を信玄と改める。
自分自身をスッキリさせることができた。
神仏の加護、民心を集めることも目的だ。
それは、金の質が落ちていたことに由来する。
信玄は、駿河の安倍金山を狙っていた。
そこで、勘助に“奸風発迷”の発動を指示。
勘助の暗躍によって、今川義元は桶狭間で討たれる。
この変動によって、勢力図が大きく書き換えられた。
長尾景虎は、北関東勢の請いを受け、厩橋(前橋)に進出。
一気に北条氏を追いつめにかかる。
しかし、そこは堅牢を誇る小田原城。
北条勢は劣勢だが、ほとんど傷つかずに籠城。
景虎は、とりあえずあきらめる。
その足で、関東管領職を鎌倉で相続。
名を上杉政虎と改める。
関東勢には、越後勢を快く思わない勢力も。
忍城城主・成田長康などはその筆頭だ。
北条征伐に、なかなか足並が揃わない。
そうこうしているうちに、川中島に海津城が出来る。
政虎は、しぶしぶ越後へと戻っていく。
勘助は川中島の“霧”を調べていた。
そして、雲見が出来る人間を捜し出す。
しかし、身を確保するまで気が回らない。
信玄に初めて責められたような気がした勘助。
死を賭す覚悟をする。
もう機は熟しきっていた。
双方とも次で雌雄を決するつもりでいる。
越後勢は、上州から取って返して信濃へ。
それに呼応するように、武田勢は古府中を出発。
途中上田原で、かつての宿老たちを弔う。
なんと敵前法要。
かなりの心理作戦でもある。
味方には戦意高揚を。
敵には焦燥感をあたえる。
越後勢は海津城を圧迫するため、妻女山に陣を布く。
武田本隊は八幡原に陣を布く。
勘助が見つけた、もうひとりの雲見は、濃霧を予言する。
これを受けて軍議を開く。
珍しく、弟・信繁が反対する。
しかし、この機を逃せば、また長いにらみ合いが続く。
信玄は、馬場民部・真田幸隆を主力に、妻女山へ奇襲隊を差し向ける。
だが、そこは政虎。
敵にも味方にも霧は霧。
さっさと妻女山を降りる。
勘助はそれを、いち早く察知した。
味方に知らせようとするが、運悪く敵に見つかる。
足を刺され、血が止まらない。
本隊よりも奇襲隊に知らせようと機転を利かせる。
真田幸隆に危急を報せ、事切れる。
戦端は開かれた。
揉み潰せと越軍。車掛の陣。
ここにきて、武田本隊は裏をかかれたことを知る。
信玄は堅く陣形を保つよう指示。
政虎は防壁のうすい武田の嫡男・義信隊を衝く。
「わざと負けて引きつけろ!」
義信は今まで、負け戦の経験なく育った。
彼は若気も手伝って、まんまと追撃。
すると、いつの間にか越軍に包囲される。
それを助けるため、弟・信繁隊がかけつける。
これにより、信繁は討たれてしまった。
義信隊周辺に穴が開いてしまった。
信玄は、先頭を諏訪氏はじめとする、信濃先方衆を導入。
お諏訪太鼓が鳴り響く。
太鼓の音に鼓舞されたのか、兵士たちを奮戦する。
間もなく、馬場隊を先頭に別働隊が戻って来た。
勘助の報せが功を奏し、予想より早い。
越軍は挟撃される。
政虎は善光寺へと退却を命じる。
そうはさせじと甲軍。鶴翼の陣。
そこを中央突破する、僧形の武人ただ一騎。
完全に形成は逆転。
両軍、被害は甚大だ。
最終的には、甲軍が越軍を北へ追い落とす形。
領地争いとしては、武田方の勝利となった。
* * *
新田さんは、信玄と政虎の直接対決はなかったんではないかという見解だ。資料が“甲陽軍鑑”と“妙法寺記”ぐらいしかなかったようだ。海音寺さんの“天と地と”には山本勘助が登場しないが、この“武田信玄”には宇佐美定行は出てこない。…と、読み比べるのも、オイラとしてはおもしろい。
巻末の川中島の戦いでは、信玄は弟の信繁を失う。あくまで信玄の後ろ盾に徹した信繁。しかし才覚は信玄とほぼ同等だった。その信繁が、今回の戦いを諌めたことは正解だったのだ。
そう考えると、武田信玄の父ちゃん信虎が信繁を跡目にと考えてたことも、あながち間違いじゃなかったのかもしれないなぁ。
ちなみに、「知ってるわい!」と突っ込まれそうだが、真田幸村の本名は“信繁”。昌幸父ちゃんは、この武田信繁にあやかって名付けたという説は有名な話。

