2016年5月13日金曜日

史記 武帝記(七)

劉徹。
匈奴戦に大敗。
李広利は降り、孫広は李陵に斬られた。
諦念。
変わったのか。
次代を見据え、じっと目を凝らす。
桑弘羊に御史大夫に就くよう、辞を低くする。
命令ではなく、最初で最後の“願い”だった。

桑弘羊。
霍光は霍去病に連なる者。
桑弘羊に厳しく詰め寄る。
一目を置く。
司馬遷とも、いつしか語り合う仲になっている。

李陵。
とうとう戦がなくなる。
自分の生き場所は…。
見出したのは“北”
蘇武とともに“冬”を越す。
“命”がひりつく。
限界と戦う。
新たな“戦”が見つけようとしていた。

司馬遷。
書き上げていた。
書肆で出会った少年。
自宅で書を読ませることに。
余裕が生まれていた。
これが余生なのか。

とうとう劉徹が死に、長い武帝の時代が終わる。
しかし、死して尚、劉徹は、李陵と蘇武を翻弄する…。
*   *   *
どうしたって、中島敦の「李陵」と比べてしまう。
決定的に違うのは、李陵と蘇武の気持ちのありようだろう。

蘇武の北での生き様に、強く心惹かれた。
前半に登場する張騫もそうだ。
そして、その対局とも言える“サバイバル”を成したのは司馬遷だ。

死とは何なのか。
国とは何なのか。
その“国”に振り回される人々の人生とは…。
それは“自分”にも、投げかけられた問いだ。

ただ作者はヒントも出している。
それは“諦念”だ。
あれほど死を恐れていた劉徹さえも、老いて、その境地にたどり着いた。
運命を受け入れ、それに対して足掻き藻掻くことが“生きる”ということなのか。
ただとてもじゃないが、自分にはその境地には達っせられるとは思えない。
…何か、すごく考えさせられる。