匈奴戦に大敗。
李広利は降り、孫広は李陵に斬られた。
諦念。
変わったのか。
次代を見据え、じっと目を凝らす。
桑弘羊に御史大夫に就くよう、辞を低くする。
命令ではなく、最初で最後の“願い”だった。
桑弘羊。
霍光は霍去病に連なる者。
桑弘羊に厳しく詰め寄る。
一目を置く。
司馬遷とも、いつしか語り合う仲になっている。
李陵。
とうとう戦がなくなる。
自分の生き場所は…。
見出したのは“北”
蘇武とともに“冬”を越す。
“命”がひりつく。
限界と戦う。
新たな“戦”が見つけようとしていた。
司馬遷。
書き上げていた。
書肆で出会った少年。
自宅で書を読ませることに。
余裕が生まれていた。
これが余生なのか。
とうとう劉徹が死に、長い武帝の時代が終わる。
しかし、死して尚、劉徹は、李陵と蘇武を翻弄する…。
* * *
どうしたって、中島敦の「李陵」と比べてしまう。決定的に違うのは、李陵と蘇武の気持ちのありようだろう。
蘇武の北での生き様に、強く心惹かれた。
前半に登場する張騫もそうだ。
そして、その対局とも言える“サバイバル”を成したのは司馬遷だ。
死とは何なのか。
国とは何なのか。
その“国”に振り回される人々の人生とは…。
それは“自分”にも、投げかけられた問いだ。
ただ作者はヒントも出している。
それは“諦念”だ。
あれほど死を恐れていた劉徹さえも、老いて、その境地にたどり着いた。
運命を受け入れ、それに対して足掻き藻掻くことが“生きる”ということなのか。
ただとてもじゃないが、自分にはその境地には達っせられるとは思えない。
…何か、すごく考えさせられる。
