2010年6月29日火曜日

天と地と(上)

長尾為景は六十にして子を授かる。
名を虎千代。
しかし為景は、この子の出生を怪しんで愛せない。
それを知ってか知らずか、母・袈裟は虎千代を溺愛する。

この時代は、越後守護は上杉定実。
その守護代として為景が実権を握っていた。
それに異を唱えるのは宇佐美定行。
両者はしばしば戦う。
両者の緩衝地帯には柿崎弥二郎という勇将が。
蛮勇で女好き。
一旦は宇佐美派に流れたが、為景が女をエサに返り忠させる。

両者に和睦がなり、束の間の平和がもどる。
袈裟は肺炎を患い帰らぬ人に。
虎千代は体は小さいが利発で気の強い子だった。
しかし、母が死んでから暗くなっていった。
そんな虎千代を、為景は徐々に遠ざけはじめる。

ある日為景は、豪腕だが美しい百姓女を召し抱える。
名を松江という。
城の生活に馴染まない。
虎千代は、なぜかこの女にだけはなついた。
しかし為景は、松江を侍妾としてしまう。
スライドした守役は、金津新兵衛というひげ男だった。

虎千代は元服して景虎となる。
為景の、景虎に対する態度は、さら硬化していった。
出家しろという。
虎千代はまだ六歳だ。
新兵衛は抵抗したが「決まったことだ」とニベもない。
虎千代は涙もこぼさない。
春日山のふもとにある林泉寺へ出される。
和尚は虎千代の才気を見抜いた。
半年教育しただけで、城へ帰してしまった。
為景はおもしろくない。
養子縁組して外へ出そうとする。
これは景虎が抵抗した。
おこった為景に、不孝者として見限られる。
新兵衛は、景虎の母親の縁をたより、栃尾城に預けられることとなった。

少しして、為景と宇佐美定行は、越中に一向宗を征伐するため出発。
為景はこのときすでに七十五。
歳のせいか、天命か、農民兵を甘く見た。
敵の術中にはまり討死してしまう。
松江は為景そばにあったが、辛くも逃れ、どこへやら。

葬儀が行われ、景虎も春日山へもどる。
守護代を新しく決めなければならない。
世襲ではないから、評定は荒れた。
宇佐美が丸く納める。
結局、為景嫡男の晴景に決まる。

晴景は良くも悪くも凡庸だ。
それはいい。
しかし、酒色にふけること、ただならない。
一年もしないうち三条長尾氏の俊景が叛旗をひるがえす。
追い打ちをかけるように、春日山に内乱がおきる。
先代・為景の腹心だった昭田常陸介が謀反。
晴景は春日山を追いだされる。
景虎は新兵衛の機転で難を逃れる。
同じく難を逃れた若衆と、一路栃尾城へ逃れる。

腐っても守護代。
昭田常陸介は別の場所へ移動。
晴景は春日山を恢復。
膠着状態の越後は、束の間の平和をとりもどす。
景虎は、宇佐美定行に兵法を教授してもらう。
ものすごい吸収力だ。

晴景は、春日山で満足し、また酒色にふけりはじめる。
京から美しい姉弟を買って溺愛。
景虎はその噂を聞き、怒り心頭だ。
春日山へ諫言に行く。
晴景は逆ギレ。
追い出される形で、景虎たちは越中へ。
景虎は諸国をまわってみたかった。

越中山奥の尼寺で、奇しくも松江と再会。
松江は再会を喜び、数日寺に厄介となる。
しばらくして、景虎郎党の鬼小島弥太郎と松江が恋仲に。
松江は景虎にとって育ての母も同じだ。
複雑な気持ちだったが、快く添わせる。
その後、飛騨から信州に入り、松本・諏訪へ。
このとき武田晴信は、諏訪氏を滅ぼした直後。
諏訪からは武田氏の領土となっていた。
折りならず、晴信は鷹狩りの途中、景虎と運命的な邂逅を果たす。
それは、裏富士の裾野。
わずかな、すれ違いではあったけれど…。

景虎たちは、そこから武蔵野をまわり、越後へもどる。
越後は相変わらずの膠着状態。
このままではラチがあかない。
景虎は宇佐美定行と示しあわせて討って出る。
…といっても、敵の領土の民家を焼き払っては逃げる。
俊景の堪忍袋を破らして、逆寄せさせるのが目的だ。
果たして、まんまと策に乗ってくる。
しかし敵は、自軍の十倍近い。
守護代の冠が必要だったのだ。
宇佐美の案で、上杉定実から春日山を動かすことにする。
イヤイヤながらも、晴景は栃尾城へやってくる。
*   *   *
当時の越後の情勢は、まさに下克上。
とくに長尾氏は、守護代を争って、本家分家入り乱れている。
そんな時代に、のちの上杉謙信は生まれる。
父親に疎まれる境遇にあったのは、川中島で戦ったあの人と同じだ。
それにしても歳の離れた末子なのに、なぜそんなにかわいくなかったのか?
母を早くに亡くし、松江という一風変わった女に育てられ、思春期に兄の偏愛を目の当たりにして、景虎は女性に不安定な感情を持ち始めていったようだ。

2010年6月13日日曜日

真田騒動 —恩田木工—

“真田もの”の所以となった短編集。

ブログ名が“真田屋敷の本棚”と言いながら、
「やっと読むんかい!」
と、つっこまれそうだが…。

最初の二編「信濃大名記」「碁盤の首」。
これは“真田太平記”にも出てくるエピソードなので割愛します。

*   *   *

「錯乱」
信幸が松代に移って晩年。
そこに起こったお家騒動の話。
信幸は隠居して、もう九十二になっていた。
現藩主で息子の信政が急死。
跡継ぎはまだ幼い。
それに信政の子であるのかも怪しいという。
幕府はことあるごとに、真田家を取り潰そうと画策していた。
それを後ろ盾に、沼田領の分家・信利が松代真田十万石を狙うのだが…。
とにかく、信幸兄ちゃんの方が一枚も二枚も上手だったという話。
それにしても、何代も続く隠密の非情な宿命には驚嘆。


「真田騒動」
江戸の世に入って百五十年。
原五郎八郎と恩田木工は、千曲川の治水工事を進める。
その功績と殿様である藩主・信安の寵愛。
これにより、原は筆頭賀老という異例の出世。
しかしいつからか、原は殿様と一緒に遊興にふけるようになっていった。

藩治はボロボロになっていった。
原の暮らしは行き過ぎ、着るものも殿様と同じ。
このへんから、信安と原に溝ができはじめる。
木工は、以前の原を知っているだけに嘆く。
しかし、藩祖・信幸からの「民第一」の教えを胸に、原の失脚を考える。

そんななか、藩士たちがストライキ。
さらに木工によって、殿様の妾に手を出したことが発覚。
前代未聞の事態に原は失脚。

次に表れたのが田村半右衛門。
江戸藩邸にいる殿様に、田村はうまく取り入った。
か、その政策はあまりにも稚拙。
地元・松代で総スカンを喰らう。
さらにあろうことか、民百姓から搾り取り、私腹を肥やし始めた。
今度は、農民たちがだまっちゃいない。
藩に、身柄引き渡しを要求。
木工が、なんとかおさめた。
田村はほうほうの体で江戸へ逃げていった。

そして、信安が死ぬ。
跡を継いだのは、嫡男・豊松。
このとき十四。
幼年なので幕府から許しが出ない。
なんとか、幕府へ働きかけつづけ藩主となる。
二年がたっていた。
名を幸弘と改める。
利発で賢君だ。
その幸弘が名指しで、筆頭家老に指名したのが木工だった。
家老職のなかで一番の若輩だった。
木工は、身命を賭して善政を布く。
所信表明では、はじめて侍以外の、領民の代表を城に入れる。
数年後、真田十万石は息を吹きかえしたのだった。
木工の活躍は、ほとんど最後の章。
松代藩だけでなく、いろいろな藩は、こういう状況だったのだろうけれど、藩士のストライキや、領民が悪人の身柄引き渡しを要求するなど、とても紳士的に行動していることに驚いた。


「この父、その子」
「真田騒動」のバックストーリー。
謹厳実直で倹約にいそしんだ信安の父・信弘。
その嫡男と、落胤の子が対比されている。

*   *   *

この短編小説は、松代藩・真田十万石の列伝となっている。
藩祖・信幸の兵法であり座右の銘は「民第一」。
その教えは、脈々と受け継がれてゆく。

解説が昭和末期に寄せられているが、そのなかに“今の政治家にも読んでもらいたい…”と書いてある。
今や平成も二十年も過ぎた。
この嘆きは、あれからの年月嘆かれたままだと思った。
そして“男たれば一度は読んでもらいたい”と結ばれている。
まったく同感です。

2010年6月3日木曜日

男振

 堀源太郎は、若くしてハゲになってしまった。
江戸藩邸で、若殿の学友として仕えているときだった。
急に、髪の毛がごっそり抜け落ちる奇病におかされる。
それからの源太郎は、誹謗と嘲笑に絶える日々だった。

そんなある日。
若殿に、ひどい中傷を受ける。
気がついたときには、若殿をボッコボコに。
こんなこと、許されるわけがない。
即、牢屋行き。
源太郎は死を覚悟する。

しかし、いくら待っても沙汰がくだらない。
番卒のひとりに優しい男がいた。
たまに内緒で、まんじゅうを差し入れてくれる。
原田小平太というらしい。
見た目はそうでもないが、手腕で屈強さが分かる男だ。

数ヶ月後、腹切堂というところへ移される。
とうとう時がきた。
切腹という名誉は受けられない。
首を討たれるのだと覚悟した。
転瞬。
家老の安藤主膳に助けられる。

「堀源太郎は狂死」
落ち延びるて、源太郎は名を“杉本小太郎”と改めることに。
外へ出ると、原田小平太が待っている。
どういうことなのか?
その答えを得ず、着いたのは、あの饅頭屋の長屋だった。
倒れる源太郎。すごい熱だ。
長い牢屋暮らしがたたり、この脱出劇だ。
無理もない。
しばらく、ここに隠れて養生する。
ここで源太郎は、喜助という老爺と、お順という女中に看護される。
お順は源太郎を見ても、眉ひとつ動かさず、献身的に尽くしてくれたのだった。
源太郎はそんなお順に感動するのだった。

病も癒えたころ、次の沙汰が。
「杉本小太郎は、堀家へ養子に入ることとする」
…ということは、元々の家に戻れるということだ。
まったく、どういうことなのか?
しかし、実家へ帰れるのだ。
源太郎の喜びは、ひとしおではない。
原田小平太といっしょに越後・筒井藩領へと旅立つ。

故郷へ無事に着き、原田小平太と別れる。
自宅では母が「たった今」臨終となっていた。
父との再会。
それからしばらくは平穏が続く。

源太郎は、ほとんど外に出ない。
隣家のお妙が会いたいという。
お妙は源太郎のいいなづけだった。
が、禿頭になって、お妙の父は一方的に婚約を破棄したのだった。
幼なじみでもある。
だが、禿頭を見るなりお妙は大笑い。
源太郎ブチ切れ。
気がついたときには、斬り掛かっていた。
そこを通りかかった、お妙の父の上司に取り押さえられる。
しかし、今度も寛大な処置だ。
「堀小太郎は、生涯家内の牢にて謹慎」
死罪も覚悟していた源太郎たちにとって、寛大な処置だ。

その後も、源太郎に不可解な沙汰が続く。
「堀小太郎は、生涯家から出てはいけない」
これで、家の牢から出ることが許される。
「堀小太郎は、生涯妻帯を許さず」
あんなことをした身で、そんなことは露とも思っていない。
「堀家は、新しく養子縁組するように」
という具合だ。
とにかく不可解だ。

新しく養子が入るというので、源太郎のために離れが造られる。
伊助という、腕のいい大工がやってくる。
たかだか百五十石取の堀家に、とうてい呼べるような大工ではない。
父・源右衛門は低い身分だが、しばしば筆頭家老の邸に出入りしていた。
その伝手だという。
伊助の仕事ぶりに興味を持つ源太郎。
手遊びに、大工道具の扱いを習うのだった。

離れが出きてしばらくして、父が倒れる。
父を診察するため、藩医の遊佐元春が来る。
これも破格の待遇だ。
おかけで父は、一命をとりとめ快方へ。
そんなとき、突然、原田小平太が現れる。
「もうすぐ刺客がやってくる」
なにがなんだか分からないまま、源太郎は連れ出される。
父や使用人たちも身を隠すことに。
しかし、なぜか源太郎だけは小平太とともに江戸へ向かう。
途中、越後・上州境の三国峠で刺客に襲われる。
辛くも逃げおうせたが、小平太と生き別れに。

なんとか江戸の松蔵宅へ。
ひとりになったとき、そこへ行くように小平太に言われていたのだ。
松蔵は、なんと“杉本小太郎”のとき厄介になったお順の父だった。
匿われた源太郎は、そこで衝撃の事実を知ることになる…。
*   *   *
現代でも、源太郎のようなハンディキャップをもって、活躍しているスポーツ選手など、何人かいらっしゃる。
自分のデメリットをものともせず活躍する姿は、とても爽やかだ。

この作品と、藤沢周平の「蝉しぐれ」とを、対比できる若者の爽やかさを感じた。
源太郎は、文四郎と比べても、剣の腕がたつわけでもないし、鬱屈として過していく。
言うなれば、今で言う“ニート”だ。
それを、周りの人びとが、温かい目で見守りつづける。
源太郎は、その人びとのことを想い、いい意味で裏切り、巣立っていく。
そうした経験が、十数年後、
「まことにもって、よい“男振”…」
と、なるのだね。