2010年4月26日月曜日

織田信長(三)

 だからといって、信長はうかつに美濃へは入らない。
 それよりも気にかかるのは東。
 信長は、岡崎にもどった松平元康と同盟を考える。
 元康は清洲へとやって来る。
 尾張者と三河者は、父祖の代から犬猿の仲。
 途中、弱冠十五、本多平八郎忠勝は吠えまくっている。
 しかし信長と元康は、旧知の仲。
 会って、すぐ幼い頃と同様に。
 今川に妻子を遺している元康。
 苦渋の選択のはずだが、元康は同盟を結ぶ。

 滝川一益が奇略で、伊勢手前の桑名を切りとる。
 一方、美濃への足がかりがなかなか抜けない
 柴田勝家などが、失敗するなか、藤吉郎が、自分にやらせてくれと嘆願。
 信長に大名に取り立てることを交換条件に、一世一代の勝負に出る。
 見事、美濃手前に楔を打ち込むことに成功。
 それをさらに信長は、藤吉郎を使って齋藤家中を分断。
 竹中半兵衛は齋藤家の忠臣だった。
 しかし、龍興の放蕩ぶりに、とうとう藤吉郎に降る。
 これにて、難攻不落の稲葉山城を攻略。
 信長はここへ居城を移し、“岐阜城”と名付ける。

 さて、ここから信長の疾風怒濤の攻略がはじまった。
 すでに、政略結婚で浅井家に妹のお市を。
 そして、武田家にも男女を嫁がせ二重の姻戚を結んでおいた。
 後顧の憂いを断っている。

 流浪する将軍義昭は、前の将軍・義輝の弟だが器は小さい。
 明智光秀・細川幽斎がこれを助けて、信長を頼る。
 明智光秀は武者修行し、朝倉家に奉公していた。
 これを見限って、足利将軍を助ける形で、織田家に主家を変える。
 明智光秀は濃姫のいとこでもあった。
 信長は、足利義昭を都へ帰参させることを旗印に上洛戦を敢行。
 その前に立ちはだかるのは、六角氏などの古豪。
 しかし、時勢は信長にあった。
 破竹の勢いで、京へのぼりつめる。
 そして、京周辺の豪族を掃討。
 松永久秀などは表裏比況。信長にいったんは降る。

 京の平定はほぼなった。
 世間は、信長がこのまま京に居着くと思っていた。
 しかし、さっさと岐阜へ戻ってしまう。
 信長はあくまでも、京の退廃を食い止めたかった。
 その行動は、民衆の心をもつかんでいった。

 しかし、京を整備するには金がかかる。
 信長は、堺衆に目をつけ、金を出させた。
 さらに、キリスト教の布教を容認。
 このことなどが、不利に働く。
 のちに信長包囲網を形成していく。

 さて、まだ信長の勢いは止まらない。
 北は朝倉氏を討伐のため、岐阜に戻ると見せかけつつ、周到に兵を動かす。
*   *   *
 信長と家康。小さいころの義がここにきて、活かされた。
 信長は、家臣を競わせながら用いるのが上手かったようだ。
 新興の家臣、滝川一益や藤吉郎秀吉を思い切って、重要な任務に抜擢。
 この行動が、上洛戦を楽にすすめるのに効果をあげる。
 しかし、ここからが彼の第二の正念場だった。

2010年4月2日金曜日

織田信長(二)

 弟・信行たちの謀反は失敗に終わった。
 柴田権六勝家は、この戦いで信長の真の器に気づく。
 しかし信行たちは、さらに信長暗殺を企てる。
 不意を襲われた信長は落馬。

 信行は病床の兄を見舞う。
 そう装って、自身て信長を殺そうと企む。
 しかし、その思惑は信長に看破されていた。
 信長は、先の戦いで安堵していた弟たちを、とうとうここで返り討ちに。
 暗殺に反対していた柴田権六は、生き残ったのだった。

 これにより家中の内紛を治まった。
 治安もよくなっている。
 信長は、国内に関所は設けず、風通しをよくしていた。
 自然、物流が活発になり国内は富んでいる。
 そんな民たちの暮らしぶりを見て回る信長。
 そんなある日、偶然声をかけられたのは、のちの秀吉・木下藤吉郎だった。
 実は藤吉郎、正攻法では仕官できないと考えてか、偶然を装って近づいたのだった。

 眼を東に転ずれば、今川義元が上洛しようと動き出していた。
 今川は武田・北条と同盟し、後顧の憂いを断っている。
 今川方・四万。一方、織田方は四千。
 勝敗は火を見るより明らかだ。
 なのに信長は、果報は寝て待て状態。
 家臣たちはヤキモキ。
 これは信長の作戦だ。
 敵を欺くには、まず味方から。
 意中を察しているのは、藤吉郎と少数の荒小姓たち。
 それ以前に動き出していたのは、前田犬千代利家。
 彼は賢妻・おまつと芝居をうって一緒に落ち延び、松平勢の懐柔に動き出していた。

 とうとう今川方は尾張領を侵して、砦を攻略しはじめる。
 先方で砦を落としたのは、のちの家康・松平元康。
 信長が“三河の弟”とかわいがっていた竹千代だ。
 今川にとっては、捨て駒のようなものだった。
 幸先のよい報せに、気をよくしていた義元。
 そこへ礼の者が。
 地元百姓たちが、供物を持ってやってきたのだ。
 義元の予定では、早々に大高城に入りたかった。
 しかし、このふたつの吉報で気をよくし、田楽狭間で休息をとることに。

 信長はこれを待っていた。
 田楽狭間の報せは、そのまま織田方の吉報となる。
 跳ね起きた信長は、誰よりも先頭にたって一路、熱田神宮へ。
 愛馬“疾風”の口輪をとるのは、台所奉行に昇進している藤吉郎だ。
 信長の電光石火の行軍は、田楽狭間に雷雲をも呼び寄せる。
 豪雷雨のなか、囮軍を利家に任せ、自身は北から攻め入る。
 虚を突かれた今川軍。
 あっという間に潰乱し、義元はあっけなく討たれてしまった。

 次は、美濃…と誰もが思う。
 しかし、信長は熊野詣に行くと言い出した。
 勤王活動の一環だと言う。
 しかし、それも裏をかいた行動だ。
 真の目的は京にある。
 将軍・足利義輝と謁見。
 剣聖将軍と称される義輝。
 その剣が災いとなっていた。
 信長は京の腐敗を見、尾張と比較し、義輝に剣を捨て、政に専念するよう説くのだった。

 藤吉郎は、そのころ堺で鉄砲の買い占めに。
 ここでは三好慶長が幅をきかし、将軍家はないがしろ。
 その家臣・松永久秀が慶長の座を狙っている、といった構図。
 これを利用して、口八丁で四百掟ゲット。

 そのころ美濃。
 道三を討って、跡目を継いだ義龍は本当の癩病に。
 実は、道三を遠ざけるため、仮病を使っていたのだ。
 しかし、何の因果か、信長を討とうと考えている矢先の発症。
 矢先も矢先、道三が自分の本当の父であることが発覚。
 その証拠の癩病に効くであろう父の形見の薬。
 なんと、あろうことか分量を間違えて一気飲み。
 劇薬と化した薬で、義龍は血を吐いて死んでしまう。
 その息子・義興は若干十八。でも油断はできない。
*   *   *
 尾張平定から天下布武へ。桶狭間の戦いは、まさにその転換点だったのだねぇ。
 この時代、味方をもだまして、作戦を遂行しないと、すぐに間諜に情報が漏れてしまうのだ。若いころから「敵を欺くには、まず味方から」を地で行っていた信長。まさに電光石火で今川義元を討ったのだね。