2010年4月2日金曜日

織田信長(二)

 弟・信行たちの謀反は失敗に終わった。
 柴田権六勝家は、この戦いで信長の真の器に気づく。
 しかし信行たちは、さらに信長暗殺を企てる。
 不意を襲われた信長は落馬。

 信行は病床の兄を見舞う。
 そう装って、自身て信長を殺そうと企む。
 しかし、その思惑は信長に看破されていた。
 信長は、先の戦いで安堵していた弟たちを、とうとうここで返り討ちに。
 暗殺に反対していた柴田権六は、生き残ったのだった。

 これにより家中の内紛を治まった。
 治安もよくなっている。
 信長は、国内に関所は設けず、風通しをよくしていた。
 自然、物流が活発になり国内は富んでいる。
 そんな民たちの暮らしぶりを見て回る信長。
 そんなある日、偶然声をかけられたのは、のちの秀吉・木下藤吉郎だった。
 実は藤吉郎、正攻法では仕官できないと考えてか、偶然を装って近づいたのだった。

 眼を東に転ずれば、今川義元が上洛しようと動き出していた。
 今川は武田・北条と同盟し、後顧の憂いを断っている。
 今川方・四万。一方、織田方は四千。
 勝敗は火を見るより明らかだ。
 なのに信長は、果報は寝て待て状態。
 家臣たちはヤキモキ。
 これは信長の作戦だ。
 敵を欺くには、まず味方から。
 意中を察しているのは、藤吉郎と少数の荒小姓たち。
 それ以前に動き出していたのは、前田犬千代利家。
 彼は賢妻・おまつと芝居をうって一緒に落ち延び、松平勢の懐柔に動き出していた。

 とうとう今川方は尾張領を侵して、砦を攻略しはじめる。
 先方で砦を落としたのは、のちの家康・松平元康。
 信長が“三河の弟”とかわいがっていた竹千代だ。
 今川にとっては、捨て駒のようなものだった。
 幸先のよい報せに、気をよくしていた義元。
 そこへ礼の者が。
 地元百姓たちが、供物を持ってやってきたのだ。
 義元の予定では、早々に大高城に入りたかった。
 しかし、このふたつの吉報で気をよくし、田楽狭間で休息をとることに。

 信長はこれを待っていた。
 田楽狭間の報せは、そのまま織田方の吉報となる。
 跳ね起きた信長は、誰よりも先頭にたって一路、熱田神宮へ。
 愛馬“疾風”の口輪をとるのは、台所奉行に昇進している藤吉郎だ。
 信長の電光石火の行軍は、田楽狭間に雷雲をも呼び寄せる。
 豪雷雨のなか、囮軍を利家に任せ、自身は北から攻め入る。
 虚を突かれた今川軍。
 あっという間に潰乱し、義元はあっけなく討たれてしまった。

 次は、美濃…と誰もが思う。
 しかし、信長は熊野詣に行くと言い出した。
 勤王活動の一環だと言う。
 しかし、それも裏をかいた行動だ。
 真の目的は京にある。
 将軍・足利義輝と謁見。
 剣聖将軍と称される義輝。
 その剣が災いとなっていた。
 信長は京の腐敗を見、尾張と比較し、義輝に剣を捨て、政に専念するよう説くのだった。

 藤吉郎は、そのころ堺で鉄砲の買い占めに。
 ここでは三好慶長が幅をきかし、将軍家はないがしろ。
 その家臣・松永久秀が慶長の座を狙っている、といった構図。
 これを利用して、口八丁で四百掟ゲット。

 そのころ美濃。
 道三を討って、跡目を継いだ義龍は本当の癩病に。
 実は、道三を遠ざけるため、仮病を使っていたのだ。
 しかし、何の因果か、信長を討とうと考えている矢先の発症。
 矢先も矢先、道三が自分の本当の父であることが発覚。
 その証拠の癩病に効くであろう父の形見の薬。
 なんと、あろうことか分量を間違えて一気飲み。
 劇薬と化した薬で、義龍は血を吐いて死んでしまう。
 その息子・義興は若干十八。でも油断はできない。
*   *   *
 尾張平定から天下布武へ。桶狭間の戦いは、まさにその転換点だったのだねぇ。
 この時代、味方をもだまして、作戦を遂行しないと、すぐに間諜に情報が漏れてしまうのだ。若いころから「敵を欺くには、まず味方から」を地で行っていた信長。まさに電光石火で今川義元を討ったのだね。