2016年1月21日木曜日

謙信の軍配者

四郎左は武田で公私ともに絶頂期。
しかし、息子の太郎丸が死ぬ。
失意のなか、さらに雪姫が労咳。

一方、長尾景虎の前にいた。
直江実綱は足利の旧友・景岳。
実綱を頼り景虎、後の謙信の軍配者となる。

川中島一回目。
景虎は義経のような攻撃。
見事少数で勝利。
それを皮切りに晴信の喉元まで迫る。
四郎左が足で確かめなければ死ぬところ。

北条高広が謀反。
しかし、景虎は手ぬるく許してしまう。
周りの豪族たちに、景虎に対する驕慢が生まれる。
謀反のカゲに武田の調略。

川中島二回目。
武田のやり方に怒る景虎。
義戦を試みる。
しかし、今回の越後勢は精細を欠く。
数もたったの三千。
理由は北条高広の仕置き方にあった。
晴信は機動力を活かし、木曽から七千で駆け戻る。
四郎左と挟撃作戦。
見事勝利。
しかし、晴信は雪姫のもとにいち早く帰りたい。
雪姫の命は風前の灯火だった。
ほぼ無条件で和睦が成立する。
晴信は長く喪に服す。

甲斐に戻ると、四郎左には吉報が待っていた。
子どもが産まれていた。
名をもう一度“太郎丸”とする。

越後では豪族たちの小競り合い。
嫌気が差した景虎。
「高野山へ行って出家する」
最初、重臣たちは本気にしなかった。
数カ月後、景虎は本当に高野山へ。
重臣たちは連判状を認める。
それが景虎を寸前で思いとどまらせる。
ここに越後の結束が固まった。

こうした間にも晴信は調略。
北信濃はおろか越後の大熊にまで。
これに激怒する景虎。
川中島三回目。
今回は、ほぼ睨み合いで終わる。

景虎は満を持して上洛。
天皇や将軍から、関東管領のお墨付き。
あとは神のみ。
越後に戻り鶴岡八幡宮へ。
しかし、鎌倉は云うに及ばず北条領。
厩橋城で景虎は檄を飛ばす。
関東管領の名の下に数万が集まる。
その勢いをかって鎌倉を陥とす。
悠々、鶴岡八幡宮で関東管領に就任。
名も“上杉政虎”に改名。
そして小田原攻め。
小太郎は籠城を勧め、氏康は苦渋の選択。
しかし、このことで小田原の堅城ぶりを世に知らしめた。

こうした間にも晴信は調略。
四郎左は海津城築城。
景虎は、晴信の姑息さに激怒。
また檄して一万二千ほどで妻女山で陣を張る。
晴信も対抗し二万ほどで茶臼山に陣を張る。
川中島合戦四回目。
世に云うの八幡原の激戦がはじまった…。
*   *   *
題名が「謙信の軍配者」だから、もちろん主人公は冬之助。
…と思いきや、長尾景虎のキャラが強すぎてカゲが薄まった感が否めない。

終盤に景虎が「心に迷いが生じたときには、じっと目を瞑って心静かにすれば、必ずや、神仏が導いてくださるのだ」と言うが、「早雲の軍配者」で、早雲庵が小太郎に言った言葉も、まさにこれだった。
もし、早雲と景虎が戦ったら…と思わずにはいられないセリフだった。

青渓、鴎宿、養玉にとって、足利学校はまさしく“母校”だ。
存在は知っていたから、何度か栃木を行き来した際に、観光しようとして叶わずにいる。もし行けるチャンスがあれば、ぜひ寄ってみたいと思う。

2016年1月4日月曜日

信玄の軍配者

小太郎と別れた四郎佐。
あれから九年。
流浪を重ねた。
しかし夢はかなわず、今は囚われの身だ。
軟禁生活の四郎左。
そこへ無人斎が現れる。
甲斐を追放された武田信虎だ。
無人斎は四郎左にある企みを持ちかける。
四郎左を使って甲斐へ返り咲こうというのだ。

事件が起き四郎左は駿河を脱する。
そして不本意ながら小太郎を頼る。
小太郎の助力で足利学校へ。
鉄斎と話す。
武田が面白いと言う。
その言葉を信じ、四郎左は武田へ赴く。
そして晴信と運命的な出会いをするのだった。
*   *   *
その後は、諏訪の上原城での戦いを皮切りに、山本“四郎左”勘助の活躍が描かれていく。
そして、志賀城攻めでの旧友・曽我冬乃助とのとの再開。
彼との約束は川中島へと誘う。
個人的には、砥石崩れや、その後の海野源太左衛門(後の真田幸隆)の活躍も読みたかったが、この物語は、あくまでも四郎左の物語。
そして、次は宇佐美“冬之助”定行の物語。