父ハミルカルからスペイン領を継いだハンニバルは、打倒ローマだけを胸に生きたと言っても過言ではないだろう。第二次ポエニ戦役の戦端を開かせるために、彼は用意周到に動き、開戦がなると、第一次ポエニ戦役を反面教師として、ローマ本土に攻め込むことを考え実行する。そこで前人未到のピレネー・アルプス越えをやってのける。アルプス越えでの犠牲も、越えてからのローマ領内以北のガリア民族を味方に引き入れることも計算ずく。ローマとの会戦も、当時誰も思いもつかない奇略と、破竹の勢いでローマ領内を蹂躙してゆく。とくに現代でもヨーロッパの兵学校では必修である“カンネ会戦”のハンニバルの戦略は、見事としか言いようがない。
希代の戦略家ハンニバルは、この間に隻眼となっている。日本でも伊達政宗や山本勘助など、隻眼の武将は有名だ。かっこいいイメージがある。ヨーロッパでは、紀元前にこんな兵法者がいたとは驚きだ。“ハンニバル”と名前だけ聞くと、「羊たちの沈黙」の続編である「ハンニバル」を思い出す。観てはいないが、これであの難解な映画の一部でも氷解できるだろうか?
ローマを倒すだけに人生を捧げたと言ってよいハンニバル。付き従う兵士たちにとって孤高の存在だった。それでいて彼から離れていく味方はほとんどいなかったらしい。
対するローマはしかし、のど元に刃を突きつけていた。スペイン戦線は善戦していたのだ。しかしハンニバルが自国を席巻し、イタリアの長靴の足の甲あたり、カラーブリア地方に落ち着いたころ、スペイン戦線も大打撃を被る。指揮する執政官も戦死し、当惑するローマに彗星のごとく現れた若者がいた。スキピオだ。
スキピオは戦死した執政官の息子で、名門コルネリウス家の出だ。しかし、執政官として軍を指揮するには若すぎる。だが彼にはカリスマ的魅力があったらしく、絶大な市民から支持を受け、父の仇討ちの意味もこめられた元老院の決定で、異例の若き執政官が誕生する。
皮肉なことに、このスキピオこそがハンニバルに最も影響され、その戦略を学んだ弟子的な存在となっていた。スペインでの彼の功績は目覚ましく、敵の裏の裏をかく作戦で、主要都市を陥落させていき、カルタゴをスペイン領内から駆逐することに成功。なんとハンニバルと同じく、カルタゴ本国へ討って出る。