2010年5月13日木曜日

織田信長(五)

 武田勝頼が、父の意志を継ぎ動き出す。
 長篠城では、城主・奥平貞昌が頑強に抵抗していた。
 家康に再三援軍を頼まれていた信長。
 なかなか動かない。
 それには理由がある。
 たくさんの鉄砲を揃えようとしていたからだ。
 信長は革命児だ。
 最新の兵法を編み出してゆく。
 その最も有名な戦いが、長篠の合戦だった。
 敵は、最強の騎馬軍団を持つ武田。
 陣の手前に柵を何十にも巡らす。
 そこに、策略にはまって入った騎馬武者隊。
 鉄砲の一斉射撃。
 武田は半分以上の重臣を失った。
 ちなみに、真田昌幸の兄ふたりも犠牲になっている。

 これによって、武田の憂いは去ったも同然だ。
 が、一難さってまた一難。
 今度は武田と雌雄を争った、上杉謙信が重い腰を上げる。
 そんな謙信が、石山本願寺の再三の同盟呼びかけに呼応。
 それに西の毛利輝元が加わり、またまた信長包囲網が確立される。

 謙信は、自身を軍神と化していた。
 強い相手と戦うことに、生き甲斐を感じているフシがある。
 天下をとる野心はない。
 冬になると、さっさと春日山へ戻ってしまう。
 こんな厄介な敵には、戦術など通用しない。
 そう踏んだ信長は、おまかせ戦術をとる。
 主だった諸将に自由に行動させ、手取川を境に、やばいと思ったら退かせた。
 自分自身は、そこにいると見せかけて、本願寺の方に行ってしまう。
 謙信は、まさか自分を前にして、信長がいないとは思わない。
 謙信は自尊心を傷つけられる。
 それを知ったとき、冬を迎えても戦場を去ろうとはしなかった。
 信長側は、押され気味の膠着状態に。
 しかし、その無理が祟ったか。
 謙信はあっさりと亡くなってしまう。

 信玄、そして謙信までも。
 敵将の死という形で、危機一髪を脱した信長。
 これで天敵はいなくなったも同然。
 目の上のコブは、毛利と武田の残党か。
 このころから信長は、過剰とも思える家中の大掃除を始める。
 譜代の家臣・佐久間信盛や林佐渡などを誅する。
 さらに徳川家康の正室・築山殿が武田に内応。
 その罪をかぶる形で、嫡子・信康が切腹させられる。
 このことなどが、明智光秀の疑心暗鬼につながってゆくのだが…。

 そんなある日、武田方の木曽義昌が内応してくる。
 これを機に、武田を一気に討伐。
 これにより、信長は家康に駿府などを割譲。
 先の信康の件を水に流し、家康を歓待することに。
 その接待役は光秀。
 これまで光秀は、信長にことあるごとに叱られることが多くなっていた。
 信長恐怖と疑心暗鬼の塊になっていきている。
 それでも、家康歓待用の客殿「大宝殿」を建築。
 その豪華さに、勤王第一とする信長を、家康が勘違いする。
 と、信長にでかく叱られてしまう。
 冷静に考えれば、知将・光秀が感ずかないはずがない。
 しかし、もうその冷静な光秀はいなかった。
 さらに接待役を外す外さないの、信長の命令に翻弄される。
 じつは、秀吉が毛利を抑えきれずに、助けを求めてきたことが原因なのだが…。
 それに憤った家来たちが、宴に使う食料を大宝殿の堀に捨ててしまう。
 その量は大量だ。
 腐臭が城下を覆う。
「しまった!」
 この失態を申し開きできないと感じた光秀。
 これが信長に叛旗をひるがえす、決定的なキッカケとなった。
 人の心のすれ違いというのはどこまでも。
 溝が深まれば深まるほど、疑心暗鬼になっていくものなのか。
 信長は城で軍議をしていて、その失態について、ほとんど知らなかった。
 かくして、本能寺の変がおこってしまう。
*   *   *
 本能寺の変は、あまりにも有名だし諸説あるので、覚え書きは割愛させていただくとして、この巻では、後半ほとんど光秀と信長の心のすれ違いが、どれほどだったか書かれている。
 あと、ほんの一歩二歩で天下布武は完成したはずだが、信長の最後はあまりにも、唐突であっけなく幕が切れた。覇王信長の感慨は如何ばかりか、とても凡人のオイラには推し量れない。
  人間五十年
  下天の内をくらぶれば
  夢幻のごとくなり
  一度生を得て滅せぬ者のあるべきか
「敦盛」の舞に、信長の気持ちがこめられているのだろうか。

 それにしても、本能寺の変には諸説あるようで、いろいろな方が小説やマンガで想像を巡らして描いている。そのなかで気になっているのは、加藤廣氏の“本能寺三部作”だろうか。そのうち読んでみたい。