2010年5月1日土曜日

織田信長(四)

 朝倉攻めは問題なく進んでいた。
 朝倉氏の居城・一乗が谷は目前だ。
 そこへ浅井からの使者が。
 信長は即座にその意味を悟る。
 浅井長政は妹婿。その油断がアダとなった。
 挟撃を避け、すばやく撤退。
 金ヶ崎の激戦をくぐりぬけ、命からがら京へ。

 信長は九死に一生を得た。
 今までなら、取って返すようにして反撃戦をするところだ。
 しかし、信長は成長している。
 時間を費やし反撃の機会をうかがう。
 そして、世に言う姉川の戦いへ。
 激戦。
 姉川は血河と化す。
 朝倉・浅井連合軍は強い。
 が、遠謀をめぐらし、何とか辛勝。
 しかし、両氏を叩きつぶすまでには至らず。

 この戦いで、信長弱体化と見てとったのは足利義昭か。
 周りの大名たちを、焚きつけはじめる。
 三好の残党はじめ、松永久秀、一向宗の本願寺や比叡山も巻き込んでいく。
 いわゆる信長包囲網だ。
 比叡山の中立に業を煮やした信長。
 とうとう比叡山を焼き討ちに。
 はたして、包囲網真打ちが動き出す。
 甲斐の虎・武田信玄。

 信玄はゆるゆると、駿河から三河へ。
 これを指をくわえて見過ごすには、家康は若すぎた。
 晩年の辛抱強い家康からは、考えられない無謀な抵抗。
 それを身を挺して、止める家臣たち。
 その甲斐あって、正気を取りもどす家康。
 だが、状況が好転したわけではない。
 野田城の攻防で膠着状態に。
 しかし、信玄がこんなところで足踏みをするはずがなかった。
 信玄は病を得ていたのだった。
 療養しながら、今後を見据えていた矢先、信玄は倒れる。

 家康・信長は最強の敵から救われた。
 信長は天皇の勅を拝し、足利義昭を将軍職から追い落とす。
 これにより足利幕府は消滅。
 とうとう積年の朝倉・浅井の討伐へ。
 朝倉をもみつぶすと、浅井にとりかかる。

 浅井長政は妹婿。
 信長は最後までこの男を惜しんだ。
 長政は孝にしたがい、父・久政のあと追う。
 が、長政は謀計にかかったふりをして妻と娘を逃がす。
 妹・お市の方とその娘たちは救われたのだった。

 さらに、信長は長島本願寺に矛先を向ける。
 信長は神仏を隠れ蓑にする輩を憎んだ。
 鬼のような攻撃。
 一向宗は狂信的な強さ。
 阿鼻叫喚。
 双方一歩も引かず、凄惨な戦いとなる。
*   *   *
 武田信玄の上洛戦は、信玄の死亡であっけない幕切れ。なんという運命のいたずらなのか。
 目の上のタンコブがなくなった信長は、破竹の勢いで周辺の敵を掃討していく。…が本願寺一揆との戦いは、ふつうの大名との戦いとは違って、凄惨を極めたようだ。
 信長はその特異な考えで、仏敵とみなされたが、神仏の加護を隠れ蓑にする輩を異常に憎んだようだ。