高野山には長岡佐渡の姿が。細川家法要の準備のためだ。その帰り、真田幸村の子・大助に出迎えられ、閑居している幸村から、若かりしころの武蔵と京都・妙心寺の愚堂禅師の門で一緒だったことなどを聞かされ、武蔵の人物をさらに改める。
伊織は、茫然自失の体でとぼとぼと、岸和田方面へ。
行きずりの回船問屋の小林母娘に助けられ、店に置いてもらう。
慣れない丁稚奉公の最中、細川家家中に小次郎の姿がある。仕返しのお茶の熱湯をぶっかける伊織。怒る小次郎。目には目を、と、熱湯をかけるバツを与えようというときに、長岡佐渡が戻って来る。伊織は法典が原の大徳寺で、その人を知っていた。佐渡に助けられた伊織は、彼の奉公人として小倉まで付いて行くことに。
武蔵はその後どうしたろうか?
名古屋近く、岡崎にその姿があるらしい。
無可先生と称して、手習いなど子どもたちに教えながらある人を待っていた。
又八もその人を待っている。又八のわだかまりは沢庵によってすでに解けていた。
二人して待っているのは、武蔵が若年教わっていたという愚堂禅師。
又八は言うを待たず、武蔵も自分の至らなさを、かなり思い迷っていた。
半年以上待って、その人は現れる。
しかし、武蔵には“無一物”のつれない言葉。何も与えず飄然と又八を連れ、西へと旅立ってしまう。
武蔵は付かず離れず、その人の影を追いかける。野に寝て、風呂にも入らずに。
ふと雨露をしのぐ山門に書かれた書に、“枝に遊んで葉を摘むな”的なことが書いてあり、武蔵は自分がもつ、つまらないわだかまりを気にしないようになる。
京都は目前。禅師が妙心寺の奥深く隠れられてしまったら、教えを請うことができない。武蔵は思い切って禅師に追いすがる。
深く土下座する武蔵に、愚堂禅師は黙然と、棒でその周りをまるく囲む円を描いて立ち去る。
武蔵はここで“円明流”の悟りを開いたか。
二にして一。一にして二。己もすべても円の中。…ということか。
武蔵は月に吠えていた。
それにしても、あわれなのはお通さん。
故郷、宮本村近くの播磨灘。かつての乳母の家に身を寄せていた。
しかし、またしても、お杉婆の策にはめられ曵かれていく途中、奇しくも城太郎が助けに入る。
城太郎は父・青木端左衛門といっしょに池田家へ帰参が叶い、姫路へ戻ってきていた。
城太郎は、師・武蔵の出世を阻んだお婆を深く恨んでいた。
お婆を神社裏の洞穴に押し込めてしまう。
助かったお通。だがこの人は観音か。烈しく降る雨の中、お婆を助けるために洞穴へ。
助けられたお婆は、それでもお通を折檻し、とうとうお通は気を失ってしまう。そのとき、洞穴に一書が雨に流され現れる。それは子を想う母の切なる供養の言葉だった。
誰もが子を想う気持ちは一緒でひとつ。お通にも親があり、その願いは、又八を想う自分の気持ちとおんなじだ。ということをお婆は悟る。
そして、細川家の取り持ちで、とうとう武蔵と小次郎の決闘が決まる。
場所は関門海峡沖の船島に決まる。(現・巌流島は彦島とも言い、決闘の史実も諸説あり詳しいことは不明)
一大決戦ということで、その点に集まるように、縁故の人びともそこを目指す形。
どちらにも、縁故の人びとと、袂を濡らす女性の見送りが…。
佐々木巌流小次郎。
きらびやな出で立ち。鷹を帯び舟上へ。
宮本武蔵政名。
逗留先で二筆啓上。舟上、紙縒で襷をつくり、打ち捨ててある櫂を無心に削る。
遅参すも悠々。
力と技の剣。
精神の剣。
勝負は、その差でしかない。
* * *
あの有名な「小次郎。敗れたり」のセリフは、この原作では「小次郎。負けたりっ」となっていた。小次郎の「遅いぞ。武蔵!」という言葉もない。剣豪武蔵も、一個の人間として、道に悩み、恋に焦がれる普通な人として描かれていたと思う。これに対し著しているのが、司馬遼太郎の「真説宮本武蔵」だと解説にあるので、機会があれば司馬版も読んでみたい。
兵法家として、いろいろな捉え方がある武蔵像だと思うけれど、吉川英治氏は善い方に捉えて書いたようだ。しかし、史実を歪曲するほど脚色していないと思う。
宝蔵院二代目との仕合いはしていないし、石舟斎とは結局会ってもいない。一乗寺では半数は切り捨てたが、途中で逃げている。
それにしても、登場人物の奇縁、機縁、薄縁が、付かず離れず、武蔵を巡っている見事さ。
読んでいてヤキモキもし、助かったと胸を撫で下ろすことの多さ。
最初に言ったように、やせ細るということはなく、ワクワクしながら読んだ。感謝です。