日清戦争がはじまった。発端をひとことでは言えない。
日本は欧州列強と渡り合うために、防衛線を朝鮮に欲し、その当時、朝鮮は清の属国だった。
日本が外交によって、無理矢理、李王朝を味方につけてしまった。
名目上は「朝鮮を守る」という形。清がそれを許すわけがない。…といった感じ。
真之。この戦争では、砲艦“筑紫”という小さい船に乗り組む。
前線の戦略にブーイングしながらも、冷静に戦況を分析した。
好古。実質、騎兵隊指揮官として、旅順を攻略。
騎兵の性格もあって、策敵はすばらしい成果をあげる。
でも当時、騎兵は“無用の長物”扱いに近かったらしい。
攻略で無理をした。
騎兵は戦術というより、戦略的にうまく使えば絶大な効果を産むらしい。
好古はそれを、研究し、実践で成果を上げたかった。が、うまくいかなかったようだ。
でも、前線の大将として気骨ある立居振舞。リーダーはこうありたいと思わされる。
子規。どうしても従軍したい。羯南に懇願してとうとう旅順へ。
しかし、行ったときには戦争は終結。
帰還の船内で容態が悪くなり、神戸で療養し、なんとか峠を越す。
その後、静養で松山に。
このころ夏目漱石が松山中学校に赴任していて、このころの出来事が「坊ちゃん」の着想になった。子規は漱石と仲が良かったらしい。
そこに真之が見舞いに訪れたりしている。
小康を得て、松山を後にし近畿地方など歩いた。
そのときできた俳句に“柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺”がある。
真之は、表向き留学という形でアメリカへ。
アメリカはこのころまだまだ後進国で、得るものは少ないと思われていた。
が、真之がいるときに米西戦争が勃発。
観戦武官として、キューバ島へ。
真之は、克明にメモを取り、のちの日露戦争で役に立つことに。
この時代は、帝国主義全盛時代。
ヨーロッパを中心に、アジアを食い物にし、極東に至る。
ドイツとロシアは皇帝同士で密談し、清を食い物にする相談。
司馬さんが言うには、清を“家畜”にしないで“食肉”とした。
これに、ただひとり極東進出に反対していた。
ロシアのウィッテ伯爵という大蔵大臣は、極東に詳しい。
そんな各国が、清の利権に“食らいつく”なか、北清事変が勃こる。
内乱に清国政府がそれに乗っかる形。
その鎮圧に各国が乗り出し、日本も参加。
どさくさにまぎれて、ロシアは遼東半島を占領してしまう。
ロシア(少なくとも皇帝ニコライ2世)は、日本をナメきっていた。
* * *
二巻から社会情勢がぐっと多く語られ、正直むずかしい。ただ、この本を読んでいけば、なぜ日本があの太平洋戦争に突入していくのか、分かっていくと思った。とにかく、日本は列強に追いつくことに必死だ。そうしないと、清のように“食い物”にされてしまうからだ。自然、軍の増強が加速していった。
ちょんまげを落として、わずか30〜40年でロシアとわたり合うことが、いかに奇跡だったのかが、語られていく。