清盛は何を思うのか。
しかし、多くの者がこの遷都に反対。
正室・時子が意を決して諌言する。
清盛は、空ろな目で外の海を見るだけだった。
そのころ文覚という僧が、伊豆の頼朝のもとに。
蜂起するように勧める。
頼朝渋る。
文覚、法皇の院宣をいただき速攻で帰ってくる。
これにより頼朝は決起。
いったんは蹴散らされ敗走。
しかし、頼朝蜂起を聞きつけた東国武士。
雲霞のごとく頼朝の元に集まりはじめる。
その数、数万。
とうとう、富士川を挟んで平家率いる西軍と対峙する。
大会戦の予感をはらみつつ、対峙は数日続いた。
平家方は軍紀が緩み、夜は飲めや歌えの騒ぎに。
双方、明朝、相見える約束を交わす。
その夜、水鳥が一気に騒ぎ飛びたった。
ビビる西軍。
戦わずして逃げる。
これを聞いた清盛は激怒。
逃げ帰った将軍・平維盛に処刑を言い渡す。
しかし、その後、どういうわけか出世させる。
自分と似た境遇の維盛に同情したものか…。
日和見の武家たちは、源氏のもとへ。
次々と平家に対して蜂起。
それは膝元近い古都奈良でも。
それを鎮圧するため焼き討ちの暴挙。
興福寺をはじめ、東大寺大仏殿までも焼き払う。
これがたたったかのか、清盛発病。
その苦しみようは、地獄でもがき苦しむようだ。
そして、わずか一週間ほどで亡くなってしまう。
時子、恨むは頼朝。
「わが墓前に、頼朝の首を供えよ」
と、遺言を操作する。
清盛相国入道入寂後、そうそうに源氏討伐へと動き出す平家。
一方、木曽義仲は、以仁王の乱のとき綸旨を受けていた。
義仲は、従兄弟で嫡流の頼朝に気を使いながらも、信濃で蜂起。
越後の城氏と、依田のあたりで相まみえる。
敵数万に対し、こちらは数千。
そこで奇略を用いる。
味方数千を七手にわけ山々へ。
赤旗(平家旗)を立てさせた。
敵が油断した隙に、七手が一手に集まり白旗(源氏旗)が立つ。
ビビる城氏は、敵が数万にも見えたとか。
それを難なく掃討。
この戦いが義仲は有名にする。
宗盛は、富士川で失敗している維盛をまた大将に。
名誉挽回の場を与えたものか。
平氏軍は北陸に発向。
追いつめ籠城する義仲軍。
ここで、またも奇策で谷へ追い落とされ。
維盛率いる平氏軍は、散々に敗れ敗走。
こうなると義仲軍の勢いは止まらない。
平氏は、いつ源氏軍が京へ流れ込んでくるかヒヤヒヤだ。
詮議の結果、主上と三種の神器を持って都落ちし、西へ逃げる決意をする。
* * *
平氏は、清盛が亡くなる前後から没落しはじめる。後白河法皇にうとまれていただけで、ひどい専横政治をしたわけじゃない。源氏との確執も、今で言えば自民党と民主党の確執のようなもので、どっちが善悪というわけではない。でも歴史のイメージというものは、勝者が都合よく書き換える。
なんとなく源氏のほうにかたよりがちだったが、これを読んで、自分のなかで少しだけ平家への認識が改まってきたようだ。
