2010年12月13日月曜日

宮尾本 平家物語(朱雀)

ほとんど、なし崩しに福原へ都を移す。
清盛は何を思うのか。
しかし、多くの者がこの遷都に反対。
正室・時子が意を決して諌言する。
清盛は、空ろな目で外の海を見るだけだった。

そのころ文覚という僧が、伊豆の頼朝のもとに。
蜂起するように勧める。
頼朝渋る。
文覚、法皇の院宣をいただき速攻で帰ってくる。
これにより頼朝は決起。
いったんは蹴散らされ敗走。
しかし、頼朝蜂起を聞きつけた東国武士。
雲霞のごとく頼朝の元に集まりはじめる。
その数、数万。
とうとう、富士川を挟んで平家率いる西軍と対峙する。

大会戦の予感をはらみつつ、対峙は数日続いた。
平家方は軍紀が緩み、夜は飲めや歌えの騒ぎに。
双方、明朝、相見える約束を交わす。
その夜、水鳥が一気に騒ぎ飛びたった。
ビビる西軍。
戦わずして逃げる。

これを聞いた清盛は激怒。
逃げ帰った将軍・平維盛に処刑を言い渡す。
しかし、その後、どういうわけか出世させる。
自分と似た境遇の維盛に同情したものか…。

日和見の武家たちは、源氏のもとへ。
次々と平家に対して蜂起。
それは膝元近い古都奈良でも。
それを鎮圧するため焼き討ちの暴挙。
興福寺をはじめ、東大寺大仏殿までも焼き払う。

これがたたったかのか、清盛発病。
その苦しみようは、地獄でもがき苦しむようだ。
そして、わずか一週間ほどで亡くなってしまう。
時子、恨むは頼朝。
「わが墓前に、頼朝の首を供えよ」
と、遺言を操作する。
清盛相国入道入寂後、そうそうに源氏討伐へと動き出す平家。

一方、木曽義仲は、以仁王の乱のとき綸旨を受けていた。
義仲は、従兄弟で嫡流の頼朝に気を使いながらも、信濃で蜂起。
越後の城氏と、依田のあたりで相まみえる。
敵数万に対し、こちらは数千。
そこで奇略を用いる。
味方数千を七手にわけ山々へ。
赤旗(平家旗)を立てさせた。
敵が油断した隙に、七手が一手に集まり白旗(源氏旗)が立つ。
ビビる城氏は、敵が数万にも見えたとか。
それを難なく掃討。
この戦いが義仲は有名にする。

宗盛は、富士川で失敗している維盛をまた大将に。
名誉挽回の場を与えたものか。
平氏軍は北陸に発向。
追いつめ籠城する義仲軍。
ここで、またも奇策で谷へ追い落とされ。
維盛率いる平氏軍は、散々に敗れ敗走。

こうなると義仲軍の勢いは止まらない。
平氏は、いつ源氏軍が京へ流れ込んでくるかヒヤヒヤだ。
詮議の結果、主上と三種の神器を持って都落ちし、西へ逃げる決意をする。
*   *   *
平氏は、清盛が亡くなる前後から没落しはじめる。後白河法皇にうとまれていただけで、ひどい専横政治をしたわけじゃない。源氏との確執も、今で言えば自民党と民主党の確執のようなもので、どっちが善悪というわけではない。
でも歴史のイメージというものは、勝者が都合よく書き換える。
なんとなく源氏のほうにかたよりがちだったが、これを読んで、自分のなかで少しだけ平家への認識が改まってきたようだ。