2010年9月21日火曜日

武田信玄(山)

とうとう信玄は海へ到達した。
水軍も手に入れた。
北条との競り合いも終息。
氏政は上杉と手を切り、武田と対立することをやめる。
甲相同盟が修復した。
感慨も一入ながら、目は西へ。
京への道をどうつけるかだ。

信玄は、信長包囲網を確立するため動き出す。
ひとつは本願寺との絆を強くすること。
ひとつは伊勢水軍を味方に引き入れること。
この大任に、近習である真田昌幸が抜擢される。

昌幸は本願寺方面へ。
本願寺重臣と信玄の娘との結納を決めようとする。
しかし、徳川から横やり。
なかなか思うように進まない。

そうこうしているうちに信長が不穏な動き。
叡山を攻めるというのだ。
信玄の急命を受け、昌幸は叡山へ。
天台座主はじめ高僧を逃がすためだ。
叡山は別天地のようだ。
厳しい戒律はすでにない。
ふつうに女子どもの声がする。
そんな乱れた様子に辟易する昌幸。
それでも、助け出した高僧たちを古府中へ。

さらに昌幸は叡山から大和へ。
これも信玄の命で、松永久秀に会う。
盛大な饗応。
久秀の人となりを見定める昌幸。
たいした人物ではない。
しかし、多大なコネクションは利用できそうだ。
そうこうしているうちに伊勢水軍との盟約がなる。
本願寺のほうもメドがたちそうだ。

信長は、北関東にくちばしをはさむ。
信長は、少しでも信玄の西上を遅らせたい。
…ということで、佐竹と小野を小競り合いさせる。
後ろ盾にそれぞれ、上杉謙信と北条氏政。
北条は武田方に応援を要請。
バカバカしいとは思っても同盟だ。
武田方は東上州に兵を出す。
信玄は焦っていた。
こんなところでグズグズしたくない。
経験上、越軍と対峙すれば長対陣だ。
それは謙信も分かっていた。
赤城の麓で軽く会戦し、双方さっさと退いてゆく。

信玄の西上作戦は、石橋を叩くようだ。
飛騨の江馬氏は父と子で反目し合っていた。
父は武田方に、息子は上杉方。
父はそれをひた隠し。
信玄はそれを確かめるため、木曽衆を送り込む。
信玄にはもう一つ目論みがあった。
飛騨の豊富な鉱山を調査することだった。
江馬息子が申し開きをに来ることに。
その間、鉱山を調べさせる。
どうも息子は来ない。
業を煮やした武田方は息子の居城へ。
しかし横やりが入り、真偽を確かめられず。
横やりは、どうも織田方の差し金。

信玄は具合が悪い。
とうとう起き上がれないまでに。
さすがの信玄も、勝頼を跡を取らせることを考え始める。
そんなとき、江馬氏から貢ぎ物。
そのなかに栃餅が。
飛騨では栃餅の蜂蜜煮が滋養に効くという。
侍医に内緒で、山県昌景がそれを試そうと考える。
里美の方が協力。
信玄はそれを食べ、みるみる回復していく。

起死回生の信玄。
とうとう西上の途につく。
家康の予想を裏切り、伊那から南下進軍。
遠江の二俣城に楔を打ち込む。
ここを抑えれば、他の城にも潰しがきくからだ。
周辺豪族は武田になびいていった。

遠江を抑えた信玄。
これからどうするか軍議が開かれる。
ひとつは、家康のいる浜松城を囲むこと。
もうひとつは、無視して先を急ぐこと。
なかなか決まらない。
そんなとき、三つ目を提案したのは真田昌幸。
“浜松城を囲む”と見せかけて、三ヶ方原へ転進。
“低地へ降りて野営”と見せかけて、三ヶ方原へまたまた転進。
徳川方をおびき出し、迎え撃つ作戦だ。
信玄はこの作戦を採る。

おびただしい物見が、双方から出された。
徳川方も籠城か、討って出るかで意見が割れていた。
そんなとき、物見の情報から、昌幸の計略はばれてしまう。
しかし、どっちにしろ多勢に無勢。
家康は罠と知りながら、討って出る考えに傾いていた。
一方、武田方の物見の情報。
こちらでも、敵が作戦に気づきつつあることを察知。
軍議が開かれる。
馬場美濃が「どっちにしろ、あとはタイミングだろ」
ということで、“低地からの転進”を重要視。
信玄や宿老たちの脳裏には、あの川中島が甦っていた。

武田の軍列は粛々としていた。
祝田の窪地から、三方ヶ原の台地に素早く引き返す。
結果的には、徳川方が武田の策に引っかかった形。
こうなるともう、武田方の一方的な戦いとなる。
織田方の加勢も、ほとんど役立たず。
徳川軍は総崩れとなり、一散に退却。
武田軍は、即追撃にうつる。
しかし、家康は浜松城に逃げおおせた。

本来なら、このまま西上を続けるはずだった。
しかし、信玄の寿命は迫っていた。
信玄は天命を知る。
勝頼を総大将に、西上を続けること。
しかし信玄を労って、家臣たちは偽って伊那谷へ戻る。
その途上、とうとう巨星堕つ。
遺言により、喪を三年間秘す。
それまでに国内を立て直すことを厳命していた。
しかし三年後には、あの長篠の戦いが開かれるのだ。
*   *   *
昌幸父ちゃんは、信玄の近習として頭角をあらわしていった。三方ヶ原の戦いの作戦を立案したのが、昌幸だったというエピソードは興味深い。信玄を戦の師匠として、間近に見ていたことは、彼にとって大きい。真田昌幸の戦上手はここから来ていて、後々、徳川方を苦しめることになるのだね。
江馬の栃餅のエピソードも興味深かった。これって“信玄餅”の由来? とも思ったが、安倍川餅が起源という説もあるようだね。
最後のクダリは諸説あって、オイラなんかは映画“影武者”を連想したりするけど…。
信玄の最大の夢は、ついに叶えられなかった。一代で築きあげた広大な領地も、後の勝頼の代で、ほぼ一瞬にして潰えてしまった。まさに戦国の世の儚さ。天下無双の信玄も労咳という“内なる敵”には勝てなかった。