越後に流された親鸞。
一年は謹慎したような生活。
その生活が明けた年のある日。
奇妙な行列に出会う。
“ゲドエンさん”と人々が群がる。
その頭は“外道院”という。
圧倒的な陰陽と法力。
外道院は親鸞を否定しながらも近く呼び寄せる。
親鸞も外道院のやり方を正しいとは思わない。
しかし、根底に通じるものを感じる。
守護代は卑劣だ。
チサという娘をさらう。
そして親鸞と外道院たちをおびき出す。
親鸞たちはチサを救い出す。
しかし、チサは物狂い。
不思議な力を宿す。
ある日、京の犬麻呂から手紙。
鹿野の娘が生きている。
恵信はいたたまれず、京へ迎えに。
この年は雨が降らない。
親鸞に雨乞いの依頼。
しかし念仏は奇跡を起こすものではない。
固辞する親鸞。
しかし、外道院がやれば、チサが生け贄。
親鸞はダメもとで引き受ける。
七日、飲まず食わずで念仏。
京から恵信も帰って来ている。
一心不乱。
奇跡の雨。
神懸かりのチサの仕業か?
一番当惑したのは親鸞だった。
雨は降り続き、守護代の戸倉が悪だくみ。
ため池の堰を切る。
外道院たちは助かった。
そのたくらみを知らせたのは戸倉の息子だった。
外道院たちは、それをシオにこの地を離れる。
瞬く間に親鸞の噂がひろまる。
たくさんの人が詰めかける。
しかし、念仏の考え方のギャップに苦しむ。
年月は流れ親鸞にも子ができる。
長男を京の犬麻呂夫婦に預ける。
そんなある日、河原坊こと河原崎浄寛から手紙が。
関東への誘い。
親鸞は行く決意をする。
途中、善光寺による。
善光寺の考え方に、親鸞は大きく共感したようだ。
しばらく滞在。
河原崎浄寛から催促。
旅を再会。
途中、病む村。
祈祷を試みるも途中でやめてしまう。
河原崎浄寛は宇都宮氏と昵懇。
その庇護のもと、親鸞は筑波山のふもとで、布教活動。
道場では、禅問答のようなやりとりが繰り広げられる。
宇都宮氏の受け入れが整う。
笠間へ。
この間に、“念仏”の仲間も増えた。
そんなある日、黒念仏が流行りだす。
その影には黒面法師なるものが。
それは、かつて京都で対決したあの男だった。
危ういところを、またも白河印地の党が推参。
ツブテの弥七たちに助けられる。
十悪五逆の悪人は救われるのか。
それは親鸞にとっても、大きな難問だった。
しかし、親鸞は“来世”で救われるのではないかと考える。
月日は流れる。
小野のことで、夫婦喧嘩。
恵信を叩いてしまう。
それを見た小野はしゃべれるようになる。
彼女は実の母親を捜しに京へ旅立つ。
飢饉が続き、恵信は実家に戻る決意をする。
親鸞は法然の教えが荒廃していることを知る。
そして、京へ起つ決意をするのだった。
* * *
親鸞は“念仏”というものを、どう解釈し広めようか苦心する。
これを読むまでの親鸞さんのイメージは、とても崇高で、生まれながらに徳の高いお坊さんだと思っていた。
しかし、このなかで描かれている親鸞さんは、とても人間くさく、恵信ともたまに夫婦喧嘩もする。
それと“念仏”とは何か。
自分も考えさせられたし、とても難しいなぁと思った。
法然さんから受け継いだ考えは、とてもシンプルだったような気がする。しかし矛盾も。親鸞さんは、さらに咀嚼して考えをまとめて行く。
念仏とは、願いを叶える“おまじない”ではない、ということ。それは自分にも分ったような気がする。
う~ん、考えさせられるなぁ。

