楠木正成は、天皇に直々の諫奏を行う。「足利を敵にまわさず、和睦するが上策」と。しかし聞き入れられず、田舎へ謹慎させられる。そこへ尊氏第一の忠臣・一色右馬介がやってくる。彼の目的は正成との共同戦線だった。尊氏と正成は一度だけ対面しているが、そこで物別れに終わっていた。尊氏は正成を高く評価していて、なんとか仲間に引き入れたかったようだが、その愚直なまでの真っすぐさとすきのない返答にあきらめざるを得ない。正成の人物像は、平民や、昔はともかく今の世に評価が高いだろう。領民を思い、後醍醐天皇に対する忠義を初志貫徹した。この“初一念”、真田太平記を思い出した。犬伏の陣で、兄は徳川方に、父と弟は豊臣方に物別れするクダリだ。この時代でも寝返りは当たり前。“利”を求めず、正成も“義”に生きていた。一方尊氏。九州に逃げ延びたが、そこも窮地に追い込まれている形勢だ。しかし、太宰府は敵に落とされ、自軍の10倍の敵をまわしながら、電光石火で戦いを挑み奇跡的に勝つ。実は、ここでも尊氏のしたたかな政略が盛り込まれていた。尊氏は人心をつかむのがうまかった。九州滞在も一ヶ月足らず。後顧の憂いを断ちつつ、すかさず東上を開始する。
有頂天ではなかったであろう新田義貞。しかし、勾当の内待という美女にうつつをぬかしていた、なんて話が有名のようだが、決してそうではなかったようだ。尊氏と比べて政治家ではなかったということ。戦略に長けた義貞。しかし尊氏は政治家だったのだ。民衆の心をつかみ、戦いの流れを優位に持っていった。
はたして、決戦は兵庫沖に開戦する。