ローマがギリシアに使節団を派遣したのは、ギリシアがペルシアを退け、名実ともに絶頂期に入ったころだった。このころのギリシアは“アテネ”と“スパルタ”の力が拮抗していた時代で、なぜかローマは、このふたつのポリスを模範とはしなかった。そんなこんなで、三者鼎立だった王制から、共和制に移行し貴族vs平民となってしまったローマは、あっけなくケルト族に負けてしまう。ローマ初めての敗北と言っていいだろう。屈辱的な数ヶ月を経てケルトと話し合ったのだけれど、ほぼ無条件降伏のようなものだった。それからなんとか元の領地と、精神的な回復がなるのは、なんと半世紀以上もかかる。
ケルトとの敗北で、どん底に突き落とされたローマは、内輪もめしてる場合ではないと、画期的な法律をつくる。かなり元老院が平民に開かれた。そしてあの「ローマ街道」が造られていくのもこのころなのだった。
それにしてもローマの人々の考え方は、紀元前という大昔なのに、現代より開かれた考え方に驚かされる。すぐお隣りのアテネでさえ、かなり閉鎖的だったのに、それに影響されることもなく、開かれた国づくりを進めていく。
そして、とうとう小さい都市国家だったローマがイタリア半島全土を統一するときが来る。建国から500年近い時が流れていた。