虎之助は、養父・茂兵衛の仇の情報を得ようと、自然、伊庭八郎や見廻組のいる幕府方に近づきつつあった。もう一歩で、その泥沼に身を沈めるところを、もうひとりの養父・山口金五郎が呼び戻すかのように臨終の手紙が届く。叔父・金五郎を弔うため、またも後ろ髪をひかれつつ京を後にする虎之助。一方、伊庭八郎。幕府について蛤御門の戦から鳥羽・伏見へ。そして箱根で激戦を繰り広げ片腕を切り落とす。その後、江戸に潜伏。榎本武揚を追って船に乗りこむも、嵐に遭い難破。横浜にてまたも潜伏。機をみて函館へ。到着した頃には、病もひどくなり、彼の命は風前の灯だ。五稜郭降伏の五日前に、流れ弾に当たり討死した。
虎之助があのまま京に残っていれば、八郎と運命をともにしただろう。八郎の足跡を聞いたとき、虎之助は男泣きに泣いたという。
虎之助は江戸へ戻ると、金五郎の妻・お浜を義母として山口家を継ぐ。そんなある日、昔住んでいた礼子との思い出の家で、非道な官軍に手込めにされそうな女たち救う。そのなかにいた年増女のお歌は、昔馴染みの妓楼の女だった。これもなにかの縁だろうか、虎之助はお歌を妻に迎える。
幕府の家来ではあるので、息をひそめ暮らす日々が続くが、東京新政府が「幕府の“罪”をゆるす」という勅令を公布し、大手を振って往来を歩けるようになる。
虎之助は何を思ったか、横浜で偶然見かけた洋風床屋を見てピンと来た。ここに住み込んで修業し“開化散髪処”という床屋を開業した。そこに現れたのが偶然にも、桐野利秋…出世し、洋装軍服も華やかな中村半次郎そのひとだった。
奇妙な巡り合わせからまた親交がはじまり、桐野利秋は虎之助の床屋へ通うようになった。
ときは明治も数年たち、政府は外交に注力しはじめたころ。その留守をあずかるのは西郷隆盛。幕府を倒すためいったんは協力しあった諸藩たが、西郷隆盛の朝鮮への外交政策に端を発し、岩倉具視などとウマが合わず、失脚させられ政治から身を引き鹿児島に隠棲することに。薩摩士族は彼を慕って、ほとんどが彼についてゆく。もちろん桐野利秋もだ。
桐野が去った床屋に、桐野となじみの薩摩人がやってくる。その男との会話のなかで、恩師・池本茂兵衛を殺害したのは桐野だったことが分かる。真実を確かめるため、虎之助は単身鹿児島へ。
…真実であった。果たし合いを申し込む虎之助。しかし桐野は「江戸人は昔のこつ、根に持つんか!」と一喝。虎之助はもう桐野を仇として見ることはできなかった。それほどに男惚れしていたのだ。
東京には帰らず桐野とともに、田畑を拓く手伝いをする虎之助。そんなある日、西郷隆盛がやってくる。彼とはこれが初対面だったが、たちまちその男振りと愛嬌に惚れ込んでしまう。
西郷は帰郷して、私学校を設立したり、若者を育てることに力を注いでいた。そんな彼と東京にいる大久保利通。旧知の仲だった彼らは、ますます埋まらない溝ができてゆく。
奇しくも、西郷が育てた若者たちが煽動するかたちで、西南の役が勃発。そのころにはすでに西郷隆盛は、諦めの境地に達していたようだ。「…これも天でごわす」。
これが日本人同士の最後の戦いとなった。これを虎之助は見届けるのだった。
* * *
それにしても、明治維新前後の時代とはまさに“激動”の時代だったのだなぁと、感じずにはいられない。とくに、維新後の西南戦争のクダリがどのような流れで起こったのか、本書を読んではじめてわかった。その激動の時代を杉虎之助は、“負け組”の側に立って生き抜いた。父たち、妻たち、親友たちを看とり、昭和十三年までの大往生だったという。激動を生き抜いた力強い男の物語だ。